軍を編成し、金ヶ崎へ向かう。
そう決定した後の行動は速やかだった。家康が望む泰平の世はまだ始まってもおらず、各地で小さないざこざがまだ絶えない現状において戦の準備となれば瞬く間に整えられる。平和ボケはしていられないのだな、とふと家康は思った。そういう意味では、秀吉が目指した強い国を土台とした上での、平和を作らねばならないのだろう。
「いいのか」
ぼそりと不機嫌そうな声に振り向くと、さきほどまで兵たちに指示を飛ばしていた三成がたたずんでいた。
いいのか、と彼は問う。それは、自分がついていかなくていいのか、ともとれるし、今や天下人となった家康がここを離れていいのか、という意味にもとれた。
「ああ、何が起こっているのかこの目で確かめたい。三成、鬼島津たちとともにこの城を守ってくれ。頼む」
「おまえがそう決めたのなら仕方ない。あのうるさいお祭り男は最後まで文句を言っていたようだが」
また留守番かよ、一緒にきてくれって昨夜言ったじゃん、とむくれた顔でぶつぶつ言う慶次を思い出して、家康は頭をかきながら笑った。
「今は慶次は雑賀衆の一員だからな。偵察ならともかく作戦となれば孫市と共に行動してもらわんと」
「というのは方便だろう」
きっぱりと言われると言い訳のせりふも詰まる。
政宗や幸村は絶対に金ヶ崎へ行くと言って聞かないし、鶴姫の占いが本当なら元就も行かざるを得ない。それを放って見送る元親ではない。となればそれ以外の者は留守役となる。最後に残った問題は家康が行くか三成が行くか、だった。
「すまん」
「その言葉は聞き飽きた。さっさと行ってさっさと戻ってくることだな」
「分かってるさ」
ついでにお市殿もちゃんと連れ帰らなくては、と笑顔で言う家康に、三成は何とも言い難い顔をした。
「私はあの女は苦手だ」
「そうか?放っておけない感じがしないか?」
「家康」
「ん?」
珍しく、真正面から真摯な目を向けられて、家康は思わず姿勢をただした。
「おまえのそれは傲慢と思われても仕方ないぞ。何でもその手で掬えると思ったら大間違いだ。理想の為にたくさんの犠牲を払ってきただろう。だから私はおまえを許しはしないしそれは変わらない。あれもこれもと言うのはやめろ」
「三成」
おまえこんなに饒舌にしゃべれたのか、と思ったが、もちろん口には出さなかった。ただ彼がそれだけ自分のことを考えてくれていたのかと思うと嬉しい。それがどんなに厳しい言葉でも、それは正論だからだ。許されるはずがないことは分かっている。それでも側にいることは譲歩されているのだから、これ以上を望むのは贅沢というものだ。
もしかするとあのふたりの関係にも少し似ているのかもな、と家康は思った。家康自身は自分の理想に私情を交えたことで多大な犠牲を払うと同時に天下を手に入れた。あの男は己の信念に私情を上乗せしたことで惚れた相手に多大な犠牲を強いた。
(ああ、わしには何も言う資格はなかったのかもしれない)
「ありがとう、三成」
「はあ?」
心底嫌そうな顔で三成は片目を細める。家康は癖のように頭をかきながら、笑顔を見せた。
「すまない」
「あ?ああ。行って来い」
おそらく三成には、留守役を押し付けてすまない、とでも聞き取れたのだろうなと思ったが、訂正することなく家康は準備を整えるために彼に背を向けた。
編成した精鋭の兵たちで結界の周囲を囲み、まずは様子を伺う。中に突入するためにはほんの少しでも結界にほころびを作らねばならない。
「と、するとだ。やはり毛利殿、あなたの技が効くのではないかとわしは思う。わざわざお市殿があなたを狙った理由はそこにあるのではないか?」
「ふん」
顔色を伺うように覗き込みながら告げると、元就は不機嫌そうな表情を崩さないまま鼻を鳴らした。
「片っぱしから何かしてみろと?それは構わんが何の効力もなかったら笑い草であるな」
疲れるばかりで何の益もない、と吐き捨てる。足を投げ出すように座りそっぽ向く姿は拗ねた子供のようで、怒る気にもなれないと三成あたりは舌打ちするにとどまっていた。元親が苦笑して意味もなく手をひらひらと振ってみせる。
「家康も試してみろよ。おまえらの力ってどこか似てる気がするんだよな。眩しくて目が開けてらんねえの」
性格は全然違う癖に、と笑う。
実はそれほど全然違うわけではない、と家康は思ったが、ここで「いやわしらは結構似ている」など言いだせば元就が怒り狂うのが目に見えるので、黙っておくに限る。
「そういや孫市、さっき何かこそこそ話してなかった?」
首を傾げる慶次に、孫市がうなずいた。
「実は西軍から東軍に寝返った者たちの一部・・・と言うより、元より豊臣方の人間で石田や大谷らとは一線を画す者たちだが、ここ最近不自然なほど目立たない」
「どういうことだ?」
さっさと出発しようぜ、と先ほどまで意気込んでいた政宗と幸村が顔を上げる。
孫市は家康の指示で、新しい政の基礎を築くための下準備に関わる情報収集を行っていた。当然これも契約のひとつである。戦で銃を放つばかりが彼女らの仕事ではない。 三成が顔をしかめ、孫市を睨むように見据えた。
「私や刑部に従うことをよしとせず、戦の最中に東軍に寝返った奴らか」
「ああ。彼らはもともと徳川を慕って東軍についたわけではない。東軍へ寝返った後もずっと監視を続けていたが、我らがここに集ったのと時を同じくしてぴたりとそれぞれのねぐらから動かなくなった。これまでは頻繁に会合や宴を催していたにも関わらず、だ。何かあると考えていい」
「面倒なことになったな。こっちはこっちで早急に動かねばならんというのに」
やはり束ねる者が城を空けるのはまずいか、と嘆息する。
「戦の後で身元の分からない人間がそこらじゅうに溢れている。彼らがもし、奴らが集めた私兵だとすると相当な数になるな」
「決起するかもしれないってこと?」
また戦乱を起こす気か、と慶次がいきり立った。
「仕方ねえ。やっぱり家康も三成もここを動かねえほうがいい。その代わり精鋭の部隊をもう少しだけ増やしてくれ。俺ら四人で行ってくる」
元親が立ち上がり廊下の壁に立てかけていた碇槍を肩に担いだ。
「では前田、おまえもそちらへ行け」
「あ、やっぱりそうなる?うんそれがいいね」
あっちに行けと言ったりやはりこっちへ行けと言ったり、忙しないねえ、と慶次は笑った。
「何でも良いから早く支度をせぬか。いつまで待たせる気だ」
苛々した様子で元就の鋭い声が割って入る。
「怒るなよ、仕方ねえだろうが」
獲物を担いだまままま元就の隣りにしゃがみこんで額をつつく。それを手荒く振り払いながら、
「おまえの駒どもが船で待機しているだろう。そいつらも呼びだすがよい」
「おお、そうだな。野郎共も収集だな!」
それほど人数は多くないが、それでも戦に慣れた部下を数十人連れてきた。否、くっついてきた、と言った方が正しい。
「じゃあ出発は明朝。金ヶ崎へ向かうのは独眼竜、真田、慶次に元親と毛利殿。こちらは何としてでもおまえたちの戻ってくるこの場所を守って見せる。早く片付いた方が援護に向かう。それでいいな」
「がはは、滾ってきたわい!」
ぽん、と膝を叩いて告げる家康に島津が余裕の笑い声をたて、それぞれがうなずいた。