不可思議愛憎劇 7



 
 
 
 
 軍を編成し、金ヶ崎へ向かう。
 そう決定した後の行動は速やかだった。家康が望む泰平の世はまだ始まってもおらず、各地で小さないざこざがまだ絶えない現状において戦の準備となれば瞬く間に整えられる。平和ボケはしていられないのだな、とふと家康は思った。そういう意味では、秀吉が目指した強い国を土台とした上での、平和を作らねばならないのだろう。
「いいのか」
 ぼそりと不機嫌そうな声に振り向くと、さきほどまで兵たちに指示を飛ばしていた三成がたたずんでいた。
 いいのか、と彼は問う。それは、自分がついていかなくていいのか、ともとれるし、今や天下人となった家康がここを離れていいのか、という意味にもとれた。
「ああ、何が起こっているのかこの目で確かめたい。三成、鬼島津たちとともにこの城を守ってくれ。頼む」
「おまえがそう決めたのなら仕方ない。あのうるさいお祭り男は最後まで文句を言っていたようだが」
 また留守番かよ、一緒にきてくれって昨夜言ったじゃん、とむくれた顔でぶつぶつ言う慶次を思い出して、家康は頭をかきながら笑った。
「今は慶次は雑賀衆の一員だからな。偵察ならともかく作戦となれば孫市と共に行動してもらわんと」
「というのは方便だろう」
 きっぱりと言われると言い訳のせりふも詰まる。
 政宗や幸村は絶対に金ヶ崎へ行くと言って聞かないし、鶴姫の占いが本当なら元就も行かざるを得ない。それを放って見送る元親ではない。となればそれ以外の者は留守役となる。最後に残った問題は家康が行くか三成が行くか、だった。
「すまん」
「その言葉は聞き飽きた。さっさと行ってさっさと戻ってくることだな」
「分かってるさ」
 ついでにお市殿もちゃんと連れ帰らなくては、と笑顔で言う家康に、三成は何とも言い難い顔をした。
「私はあの女は苦手だ」
「そうか?放っておけない感じがしないか?」
「家康」
「ん?」
 珍しく、真正面から真摯な目を向けられて、家康は思わず姿勢をただした。
「おまえのそれは傲慢と思われても仕方ないぞ。何でもその手で掬えると思ったら大間違いだ。理想の為にたくさんの犠牲を払ってきただろう。だから私はおまえを許しはしないしそれは変わらない。あれもこれもと言うのはやめろ」
「三成」
 おまえこんなに饒舌にしゃべれたのか、と思ったが、もちろん口には出さなかった。ただ彼がそれだけ自分のことを考えてくれていたのかと思うと嬉しい。それがどんなに厳しい言葉でも、それは正論だからだ。許されるはずがないことは分かっている。それでも側にいることは譲歩されているのだから、これ以上を望むのは贅沢というものだ。
 もしかするとあのふたりの関係にも少し似ているのかもな、と家康は思った。家康自身は自分の理想に私情を交えたことで多大な犠牲を払うと同時に天下を手に入れた。あの男は己の信念に私情を上乗せしたことで惚れた相手に多大な犠牲を強いた。
(ああ、わしには何も言う資格はなかったのかもしれない)
「ありがとう、三成」
「はあ?」
 心底嫌そうな顔で三成は片目を細める。家康は癖のように頭をかきながら、笑顔を見せた。
「すまない」
「あ?ああ。行って来い」
 おそらく三成には、留守役を押し付けてすまない、とでも聞き取れたのだろうなと思ったが、訂正することなく家康は準備を整えるために彼に背を向けた。




 編成した精鋭の兵たちで結界の周囲を囲み、まずは様子を伺う。中に突入するためにはほんの少しでも結界にほころびを作らねばならない。
「と、するとだ。やはり毛利殿、あなたの技が効くのではないかとわしは思う。わざわざお市殿があなたを狙った理由はそこにあるのではないか?」
「ふん」
 顔色を伺うように覗き込みながら告げると、元就は不機嫌そうな表情を崩さないまま鼻を鳴らした。
「片っぱしから何かしてみろと?それは構わんが何の効力もなかったら笑い草であるな」
 疲れるばかりで何の益もない、と吐き捨てる。足を投げ出すように座りそっぽ向く姿は拗ねた子供のようで、怒る気にもなれないと三成あたりは舌打ちするにとどまっていた。元親が苦笑して意味もなく手をひらひらと振ってみせる。
「家康も試してみろよ。おまえらの力ってどこか似てる気がするんだよな。眩しくて目が開けてらんねえの」
 性格は全然違う癖に、と笑う。
 実はそれほど全然違うわけではない、と家康は思ったが、ここで「いやわしらは結構似ている」など言いだせば元就が怒り狂うのが目に見えるので、黙っておくに限る。
「そういや孫市、さっき何かこそこそ話してなかった?」
 首を傾げる慶次に、孫市がうなずいた。
「実は西軍から東軍に寝返った者たちの一部・・・と言うより、元より豊臣方の人間で石田や大谷らとは一線を画す者たちだが、ここ最近不自然なほど目立たない」
「どういうことだ?」
 さっさと出発しようぜ、と先ほどまで意気込んでいた政宗と幸村が顔を上げる。
 孫市は家康の指示で、新しい政の基礎を築くための下準備に関わる情報収集を行っていた。当然これも契約のひとつである。戦で銃を放つばかりが彼女らの仕事ではない。 三成が顔をしかめ、孫市を睨むように見据えた。
「私や刑部に従うことをよしとせず、戦の最中に東軍に寝返った奴らか」
「ああ。彼らはもともと徳川を慕って東軍についたわけではない。東軍へ寝返った後もずっと監視を続けていたが、我らがここに集ったのと時を同じくしてぴたりとそれぞれのねぐらから動かなくなった。これまでは頻繁に会合や宴を催していたにも関わらず、だ。何かあると考えていい」
「面倒なことになったな。こっちはこっちで早急に動かねばならんというのに」
 やはり束ねる者が城を空けるのはまずいか、と嘆息する。
「戦の後で身元の分からない人間がそこらじゅうに溢れている。彼らがもし、奴らが集めた私兵だとすると相当な数になるな」
「決起するかもしれないってこと?」
 また戦乱を起こす気か、と慶次がいきり立った。
「仕方ねえ。やっぱり家康も三成もここを動かねえほうがいい。その代わり精鋭の部隊をもう少しだけ増やしてくれ。俺ら四人で行ってくる」
 元親が立ち上がり廊下の壁に立てかけていた碇槍を肩に担いだ。
「では前田、おまえもそちらへ行け」
「あ、やっぱりそうなる?うんそれがいいね」
 あっちに行けと言ったりやはりこっちへ行けと言ったり、忙しないねえ、と慶次は笑った。
「何でも良いから早く支度をせぬか。いつまで待たせる気だ」
 苛々した様子で元就の鋭い声が割って入る。
「怒るなよ、仕方ねえだろうが」
 獲物を担いだまままま元就の隣りにしゃがみこんで額をつつく。それを手荒く振り払いながら、
「おまえの駒どもが船で待機しているだろう。そいつらも呼びだすがよい」
「おお、そうだな。野郎共も収集だな!」
 それほど人数は多くないが、それでも戦に慣れた部下を数十人連れてきた。否、くっついてきた、と言った方が正しい。
「じゃあ出発は明朝。金ヶ崎へ向かうのは独眼竜、真田、慶次に元親と毛利殿。こちらは何としてでもおまえたちの戻ってくるこの場所を守って見せる。早く片付いた方が援護に向かう。それでいいな」
「がはは、滾ってきたわい!」
 ぽん、と膝を叩いて告げる家康に島津が余裕の笑い声をたて、それぞれがうなずいた。


「足、痛くねえか?」
 自室でくつろいでいると、何の前触れもなしに西海の鬼が現れて声をかけてきた。相変わらず無粋で無礼な奴だ、と振り返りながら鋭く睨みつける。無意識のうちに足を撫でていた手を止めて、そばに放り出していた扇子を握った。これ以上近づいてきたら投げつけてやる、との意思表示は、けれど相手に通用するはずもない。予想通り無遠慮に中へ入ってきた元親に扇子を力いっぱい投げつけたが、あっさりと大きな手に受け止められばちんと派手な音がした。
「危ねえなあ」
 よいしょ、と正面にあぐらをかいてどっかりと座りこむと、受け止めた扇子を差し出した。
「なあ、ちょっとばかり話をしねえか」
「・・・何を話すと言うのだ」
 孫市に言われた言葉を思い返す。

『一度心行くまで話をしてみてはどうだ?腐れ縁とも言える間柄だと言うのにきちんと対座して話をしたことはないのではないか?思っていることを正直に伝えたことがこれまであったか?』

 戦場ではなく。褥の中でもなく。ただ座って話をする。それだけのことなのに、何故こうも避けてきたのか。そうすることで相手を理解してしまうことを恐れたに他ならない。そうなれば最後、国主という立場でありながら敵国に情けを感じてしまうことになる。それは決して許されないことだ。
 うつむいたまま黙りこんだ元就を見つめて、元親は緊張したように咳払いを二、三回した。きっとこの男も同じことを考えているのだろう。
 長曾我部元親という男は、実に甘い。敵に同情することもあるし、一度信頼すれば裏切りを疑うことすらしない。この戦乱の世では生き辛いだろうと思うのに、何故か彼自身はそうは思っていない。
(だから馬鹿なのだ、この男は)
「なあ、俺たちさ」
 ゆっくりと元親が口を開く。彼はこちらを見ない。元就も彼を見ない。目を見ることができない。
「俺たちさ。国主なんかじゃなければ良かったな」
「・・・貴様・・・!」
 その言葉に、元就は脳の芯が焼けたような、ひどい怒りを感じた。国主であることは元就にとって全てだ。毛利と、中国だけが彼の全てだ。それを否定することは毛利元就という人間を否定することと同じだ。
 激昂して立ち上がろうとする元就の腕を、元親は素早く掴んで押し戻した。中途半端な姿勢で蹴りを繰り出そうとするのをさらに抑えつけ、怒鳴り散らそうとする唇を自身のそれで塞ぎ、腹の底から伝わる怒りを飲み込むように、ゆっくりと息を吸った。暴れようと震える体を畳の上に押しつけて傷つけないように爪をたてる。元就の体を包む布の糸が人差し指の爪に引っ掛かった。力任せに引き抜くとぶちっと音をたてて糸が切れる。
 あまりに怒りが行き過ぎると、涙が出るのだと知った。じわりと目尻に滲むそれを厚い舌で拭われる。ごめんな、と耳元で囁く声がしたが、そんなことで絆される自分ではないのだ。決して言ってはいけないことを口にした。それだけで許されぬ大罪だ。恥を知れ下衆が、と重ねる罵りに、けれど元親は反論しなかった。ただぎゅうぎゅうと細い体を抱きしめ、甘えるように額をこすりつけ、ごめん、を繰り返す。
「言っちゃいけねえこと言ってるのは分かってる。それでも思うんだよ。俺が四国の、あんたが中国の国主じゃなきゃ良かった。それかどちらかが国主じゃなけりゃ良かったんだ。そうすりゃ俺は俺の全てをあんたにあげられたのに。あんたは俺に全てをくれただろうに。俺の体も、お宝も、魂も、命もあんたにあげられたのに!」
 ずっとそればかり考えてきた。
 元就の胸のあたりに顔をおしつけもごもごと呟く。振動が伝わって、彼の声が鈍く反響する。
「そしたらあんたは四国をあんな目にあわせたりはしなかっただろう?俺たちが殺し合いすることもなかった。いつだってこんなふうに抱きあえたかもしれねえ」
 そうだろう、と言う元親に、元就は次第に怒りが冷えていくのを感じた。収まったのではない、ただ凍りついていく。やがて耐えきれないとばかりに喉の奥で笑った。くっくっと漏れるそれを不思議に思ったのか、元親が顔を上げてのぞきこむ。
「なに笑ってやがる」
「いや、愚かすぎてもう怒る気にもなれぬ」
 だらりと力を抜いた大きな体を思いきり押しのけ上半身を起こすと、唖然としている元親の横面を勢いよく平手で引っ叩いた。
「いってえ!何すんだよ!!」
 慌てたようにのけぞり元親が怒鳴る。
 元就はじんじんと痛むてのひらを握りしめ、乱れた裾を直してから悠然と座りなおした。冷え冷えとした感傷が手足を支配し、先ほどまで沸騰するほど熱かった頭も冷静さを取り戻していく。冴えわたるような感覚は策を講じるときと同じ。もはや何の迷いもないと、指示を下す冷酷な智将のものだ。
「国主でない我など我ではない。同じように何も持たぬ貴様など長曾我部元親ではない。全てを捨てて我に差し出そうとする貴様などには何の興味もないわ」
「なんだと?」
 決して戻らぬ過去や、あり得ない理想を語ったところで何ともなるまいに、ああだったらこうだったらと口にして駄々を捏ねて何の意味があるだろう。
「良いか長曾我部。国を捨てられぬ貴様がそれを差し出せぬと知っているからこそそれが欲しい、全て寄こせと我は言うたのだ。元より何も持たぬ貴様やぽんと差し出そうとする貴様など長曾我部元親でも何でもない。無理難題を承知で我は言うておるのだ。貴様の全てを寄こせ、と。もう一度言うぞ。国主でない長曾我部元親など何の価値もない。何の興味もない。船の上で殺し合いをしなければ貴様と褥を共にすることもなかったろう」
 だから、と元就は言った。
「貴様の言う夢物語には我も貴様も存在せぬ」
 残念であったな、と。
 声をたてて笑った。
「捨てられねえのを知っていて、それを寄こせとあんたは言っているのか」
「ようやく理解したか?そうだ。もっと簡単に言ってやろう。貴様の国などどうでも良い。下品な部下も言うことを聞かぬ領民も興味はない。ただ貴様の、体と、魂と、命を寄こすがよい。ああ、宝はいらぬ。どうせ貴様の愛でる宝などガラクタであろう」
 さあ、と白いてのひらを差し出した。
 それをじっと見つめて、元親は首を傾げる。
「でもあんたはくれないんだろう?あんたの体と、魂と、命は俺にくれんのか?」
「やらぬと言ったであろう。だが、そうだな」
 手を戻して細い指を唇に押し当て、何事かを考えるそぶり。
「半分だけならたまに貸してやってもよいぞ」
 どうだ、と言わんばかりに胸を張る元就に、たまらず元親は両手を畳についてうなだれた。
「あんたな・・・。そりゃ対等じゃねえだろ。話が堂々巡りしてんじゃねえか」
「しておらぬ。半分貸して良いと譲歩したではないか」
 我が譲歩したのだぞ、とさも偉そうに威張る姿に、そうだよなあそれは大変な進歩だよなあ、と嬉しいような悲しいような、複雑な気分に陥る。
「結局夢物語はただの夢か・・・。けどよォ」
 未練がましく見上げる先は、きつく正面を見据える気高い男がある。折れぬその姿に自分は惚れたのだ、と思うと、これはもはやどうしようもなく初めから負け戦ではなかったかという気にすらさせられる。
「俺もあんたも跡目を譲れば晴れて自由の身だろう」
 そうなれば、簡単に国をあげるのあげないのとは言えなくなる。
 そう言うと、元就は奇麗な眉をぴくりと上げて、吐き捨てた。
「女々しい」
 西海の鬼を自称するのであれば、瀬戸海ごと持って行け、くらいのせりふを言ってみよとまたもや無茶なことを堂々と言われて、元親は嘆息した。



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