家康の居城に戻り一休みした元親たちだったが、次第に少しだけ焦りの表情が浮かぶようになった。
「・・・戻ってこないな」
外はすでに日が暮れて真っ暗だ。雨は止まず、時折ごう、と強い風が屋根や地面を叩く音がする。大木の枝が大きく揺れ今にも根こそぎ飛んでいきそうな勢いである。
びしょぬれになって戻ってきたふたりは早々に湯につかり、毛利さんは少しは機嫌治ったみたいだねと慶次が笑った。
「まあ、彼らのことだ心配はないだろうが・・・しかしお市殿がなあ」
「予想の範囲内ではあるだろう」
熱い茶をすすりながら元就はそっけなく言い放った。隣りには元親が座って同じように茶を飲んでいる。
おや仲直りしたのだろうか、とその場にいた者たちは思ったが、そもそも喧嘩だの仲直りだのといったレベルの問題ではない。孫市は痴話喧嘩だと笑ったが、痴話喧嘩にしては物騒すぎる。国も民も兵士も、そして互いの命をもかけた痴話喧嘩などあってたまるか。
「朝になっても戻らなければ兵を出そう。城の守りは固めてあるから大丈夫だ。慶次、行ってくれるか」
「分かった」
「オイも行くか?」
いつものように酒を飲みながら尋ねる島津だったが、その目は真剣だった。何かよからぬことが起きていなければいいが、と彼なりに心配している。
「いや俺が行く」
「独眼竜」
片膝をたてた政宗が愛刀に打粉を丁寧に打ちながら目だけを上げた。
「何もなければいいんだが、どうにも気にかかる。俺が行く。家康、兵を貸せ」
「分かった」
それだけ言って、あとはしんと静まり返った。ふ、と元就が息をつく。
「我は疲れた。休ませてもらうぞ」
「ああ、そうだな」
布ずれの音すらたてず立ち上がる元就を、当たり前のように元親が支えようとした。その硬い腕にそっと触れてさりげなく爪をたてて睨む。嫌がっているのか甘えているのか分からない、猫のような仕草だった。
ふたりが去ってからここぞとばかりに慶次が身を乗り出す。孫市のことはそれほど心配していないようだ。彼女が元就を逃がそうと元親に頼んだということは、自分の身くらい自分で守れるという意思表示に他ならない。ましてや傭兵集団の長に対して大丈夫だろうかと心配するのは何だか信用していないみたいで嫌だ、という考えがある。
戦の最中は、守ってやるよなんて言ったけれど。
結局、そんな機会は巡ってこなかったな、と心の中で笑った。
「なあ、あのふたり仲直りしたのかな。雰囲気が昨日までと違わない?」
「ふむ・・・。確かに少しだけ」
昨日までは、毛利から放たれる気配は殺伐としていてざっくり斬られそうだった。疲れもあるのだろうが、明らかに変化している。
「家康も仲直りできるといいね」
「そうは言うがな慶次。別にわしは毛利殿と喧嘩しているわけではない。一方的に嫌われているだけだ」
眉を下げて困ったように笑みを浮かべる。
「ありゃ焼きもちだよ焼きもち。家康が元親と仲良くしてるから」
恋だねえ、と言う慶次の盃に、島津が酒をなみなみと注いだ。
「わしは邪魔しているつもりはないぞ」
「家康はそうだろうさ。ただ毛利さんにとっては元親に近づく人間は全部敵なんだよ。あ、その割には孫市とは話し込んでたなあ。ってことは俺は元親に嫉妬しなくてもいいってことか。うんうん」
「毛利殿は元親を信用していないのだろうか」
「してないんじゃない?」
あっさり言ってのける慶次に、家康と島津は同時に顔を上げた。
「惚れた相手を信用していないと?」
「してないから、国を壊滅させてまで手元に置いておこうと思ったんじゃないか。信じられないから元親の周囲にある全てを憎むんだよ。可哀想だよね」
かわいそうに、と慶次は言う。
好きな人を信用することができないなんて。
「慶次どんは男前じゃのう。惚れた相手はとことん信用できる。当たり前のようで実はそう簡単なことじゃなかばい」
「そんなに褒めるなよー。照れるだろ」
あはは、と豪快に笑うふたりを、家康はほんの少し羨ましげに眺めた。
「独眼竜?」
「ん?ああ」
先ほどから静かな政宗に気付いて声をかけるも、彼はどことなく考え事に没頭する顔つきで曖昧に返事をした。
「心配か?」
「あ?いいや別に。たぶん朝にはみんな戻ってくるだろう。簡単にどうかなっちまうような奴らじゃねえしな」
「ああ・・・そうだな」
ふと思った。彼にも誰か思う人がいるのだろうか、と。
だが冗談まじりに聞くのも何だかためらわれて、家康は苦笑した。