不可思議愛憎劇 6




 
 
 
 家康の居城に戻り一休みした元親たちだったが、次第に少しだけ焦りの表情が浮かぶようになった。
「・・・戻ってこないな」
 外はすでに日が暮れて真っ暗だ。雨は止まず、時折ごう、と強い風が屋根や地面を叩く音がする。大木の枝が大きく揺れ今にも根こそぎ飛んでいきそうな勢いである。
 びしょぬれになって戻ってきたふたりは早々に湯につかり、毛利さんは少しは機嫌治ったみたいだねと慶次が笑った。
「まあ、彼らのことだ心配はないだろうが・・・しかしお市殿がなあ」
「予想の範囲内ではあるだろう」
 熱い茶をすすりながら元就はそっけなく言い放った。隣りには元親が座って同じように茶を飲んでいる。
 おや仲直りしたのだろうか、とその場にいた者たちは思ったが、そもそも喧嘩だの仲直りだのといったレベルの問題ではない。孫市は痴話喧嘩だと笑ったが、痴話喧嘩にしては物騒すぎる。国も民も兵士も、そして互いの命をもかけた痴話喧嘩などあってたまるか。
「朝になっても戻らなければ兵を出そう。城の守りは固めてあるから大丈夫だ。慶次、行ってくれるか」
「分かった」
「オイも行くか?」
 いつものように酒を飲みながら尋ねる島津だったが、その目は真剣だった。何かよからぬことが起きていなければいいが、と彼なりに心配している。
「いや俺が行く」
「独眼竜」
 片膝をたてた政宗が愛刀に打粉を丁寧に打ちながら目だけを上げた。
「何もなければいいんだが、どうにも気にかかる。俺が行く。家康、兵を貸せ」
「分かった」
 それだけ言って、あとはしんと静まり返った。ふ、と元就が息をつく。
「我は疲れた。休ませてもらうぞ」
「ああ、そうだな」
 布ずれの音すらたてず立ち上がる元就を、当たり前のように元親が支えようとした。その硬い腕にそっと触れてさりげなく爪をたてて睨む。嫌がっているのか甘えているのか分からない、猫のような仕草だった。
 ふたりが去ってからここぞとばかりに慶次が身を乗り出す。孫市のことはそれほど心配していないようだ。彼女が元就を逃がそうと元親に頼んだということは、自分の身くらい自分で守れるという意思表示に他ならない。ましてや傭兵集団の長に対して大丈夫だろうかと心配するのは何だか信用していないみたいで嫌だ、という考えがある。
 戦の最中は、守ってやるよなんて言ったけれど。
 結局、そんな機会は巡ってこなかったな、と心の中で笑った。
「なあ、あのふたり仲直りしたのかな。雰囲気が昨日までと違わない?」
「ふむ・・・。確かに少しだけ」
 昨日までは、毛利から放たれる気配は殺伐としていてざっくり斬られそうだった。疲れもあるのだろうが、明らかに変化している。
「家康も仲直りできるといいね」
「そうは言うがな慶次。別にわしは毛利殿と喧嘩しているわけではない。一方的に嫌われているだけだ」
 眉を下げて困ったように笑みを浮かべる。
「ありゃ焼きもちだよ焼きもち。家康が元親と仲良くしてるから」
 恋だねえ、と言う慶次の盃に、島津が酒をなみなみと注いだ。
「わしは邪魔しているつもりはないぞ」
「家康はそうだろうさ。ただ毛利さんにとっては元親に近づく人間は全部敵なんだよ。あ、その割には孫市とは話し込んでたなあ。ってことは俺は元親に嫉妬しなくてもいいってことか。うんうん」
「毛利殿は元親を信用していないのだろうか」
「してないんじゃない?」
 あっさり言ってのける慶次に、家康と島津は同時に顔を上げた。
「惚れた相手を信用していないと?」
「してないから、国を壊滅させてまで手元に置いておこうと思ったんじゃないか。信じられないから元親の周囲にある全てを憎むんだよ。可哀想だよね」
 かわいそうに、と慶次は言う。
 好きな人を信用することができないなんて。
「慶次どんは男前じゃのう。惚れた相手はとことん信用できる。当たり前のようで実はそう簡単なことじゃなかばい」
「そんなに褒めるなよー。照れるだろ」
 あはは、と豪快に笑うふたりを、家康はほんの少し羨ましげに眺めた。
「独眼竜?」
「ん?ああ」
 先ほどから静かな政宗に気付いて声をかけるも、彼はどことなく考え事に没頭する顔つきで曖昧に返事をした。
「心配か?」
「あ?いいや別に。たぶん朝にはみんな戻ってくるだろう。簡単にどうかなっちまうような奴らじゃねえしな」
「ああ・・・そうだな」
 ふと思った。彼にも誰か思う人がいるのだろうか、と。
 だが冗談まじりに聞くのも何だかためらわれて、家康は苦笑した。

 まだ日も昇らぬ明け方、叩き起こされた家康は急いで御座乃間を飛び出した。見れば昨日から続く雨はまだしとしとと大地を濡らしており、篝火も不安気に揺れているのがいっそう不気味に見える。
「戻ったのか!」
 誘導されて向かった大広間には、どろどろに汚れた幸村、三成、そして孫市らが疲れた表情で顔を拭いていた。
「無事でよかった、心配していたのだぞ」
「孫市いいいいい!!」
 思わず、と言った様子で飛びつく慶次を適当にあしらいながら、孫市は家康の後からついてきた元親を見て笑みを浮かべた。
「あいつは?」
「大丈夫だ。それよりみんな無事でよかったぜ」
「よう真田幸村。ひでえ格好だな」
 ぶらぶら歩きながら政宗もやってきて、泥に汚れた幸村の肩を叩いた。彼の隣では三成がむっつりと口をへの字に結んで乱暴に髪を拭いている。
「ほら、早く熱い酒ば用意せんね!」
 島津に急かされ、使用人たちが慌てて茶や酒、簡単なつまみを載せた膳などを運んでくる。
「申し訳ござらぬ、こんな深夜に」
「何を言う、おまえたちは夜を徹して戻ってきたのだ。それにもうじき夜も明ける」
 ようやく一息ついたのか、それぞれ腰を下して深くため息をついた。
「すぐに休んでもらいたいがその前に、すまんが何があったかを聞かせてくれ」
 眉を下げながら家康が言うと、三成と幸村が互いに譲るような視線を交わし、やがて三成がふうと息を吐いて孫市をちらりと見た。
 以心伝心。孫市がひとつうなずいて話し出す。
「私から話そう。ふたりから話を聞いたと思うが、不気味な<結界のようなもの>を見渡せる崖を降りようとしたところで第五天に邪魔をされ、毛利を元親に託して我らは彼女の足止めをした。第五天は毛利を追おうとしたのでな。しばらくやりあっているとあきらめたのか、そのまま闇に消えてしまったのだ。急いで戻りたかったが濃霧が深く兵たちがはぐれないよう慎重に歩いているところにそのふたりと合流したというわけだ」
 淡々と話す孫市だったが、やはりその声には疲れが見えた。結局市を連れ戻すことができなかった。彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。
「私と真田だが、もう少し近づいて確認しようと金ヶ崎へ向かった。そこで見たのは・・・。家康。貴様は私の話を信じるか」
 唐突に鋭く尋ねる三成に、家康はぽかんと口を開けた。ぎりぎりと射殺すように睨まれて、思わずがしがしと頭をかく。
「当たり前じゃないか。わしはおまえを信じてる」
「ふん。ならば話そう。金ヶ崎で私と真田が見たものは、死者の群れ、だ」
 死者の群れ。
 さてどんな反応をするのか、と確認するように三成は言葉を切った。
 それは、と家康が顎を一撫でする。
「それは南部のところのような、死者が蘇るという意味か」
「違う。違うのだ」
 首を振って、三成は背筋を正した。
「黒い霧に触れないようぎりぎりのところまで近づいて行った。ところどころ切れ目があったのでその間から中をのぞきこんだのだ。すると竜巻に似た黒い霧の中は一面の闇が広がっていた」
「一面の闇」
「大きな穴がぱっくりと地面に開いたような、そんな風にも見えたでござる」
「Hey、おふたりさんよ。まさかその穴の中から死者が這い出てきたなんて言うんじゃねえだろうな」
 あぐらをかき、立てた膝に腕を置いて頬杖をつきながら尋ねる政宗に幸村は目を見開いた。
「何故分かったのだ政宗殿!よもや人の心が読めるのでござるか」
「いやジョークだよ・・・ていうか本当か?」
 想像しただけで気持ちの悪い光景だ、と呻く。
「その死者の群れは地面から這い出てきたと、そう言うのか」
「地面かどうかは分からん。穴だろう」
「その穴はどこへ通じているのだ」
「知るか」
 まさか入ってみるわけにもいくまい。
「黄泉の国か」
 大きくはないがひどく通る声が響いて一同は振り返った。
 いつの間にか柱にもたれかかるようにして元就が立っている。きちんと身なりを整え、白と朱で彩られた狩衣は寝不足の彼らの目に大層眩しく見えた。
「元就」
 そういえば明るくなってきた、と外を見ると、すでに日は昇りかけており、篝火も消えている。
 従者が音もなく現れ、彼のために座布団を用意した。
 いつも思うが毛利家の家臣は影のようだ、と元親は思う。
 元就が口を開く前に、彼が何を欲しているかをすぐに察知し、無言でそれをやってのけ、いつの間にか姿を消すのだ。『気配がうるさい』と元就に幾度となく文句を言われた長曾我部軍の野郎共には絶対に真似できない所作だろう。
 ゆっくりと腰をおろしてから、元就はきりりと結んだ唇をわずかに動かした。
「あの小娘が言っておった結界とはその竜巻のような黒い霧と考えて間違いなかろう。それが消えれば中から這い出た死者どもが国中を徘徊しはじめるのではないか?」
「死者がそこらじゅうを徘徊するだと?」
 つまりこの日ノ本が死者で溢れかえることになる、と彼は言っているのだ。
 ぎょっとしたように幸村が身を乗り出した。
「今すぐあの穴を塞がなければ」
「どうやって?」
 最も的確な疑問を慶次が投げかけた。




「問題点は三つある」
 と、家康は指を三本たてて周囲をぐるりと見渡した。
「ひとつは誰が、何の目的で死者を放つのか。ふたつめは死者が這い出る穴をどうやって塞ぐか。みっつめは・・・」
「黒い霧のような<結界>の役割」
 だろ、と元親が口を挟む。
「そうか、初めから死者を国中に放つだけが目的なら、わざわざ結界で封じ込める必要なんかないんだ」
 ぽん、と手を打って慶次はうなずいた。
「推測でいいのならこう考えるのはどうだい?ひとつめの疑問の答えは、第五天、つまりお市さんが仲間が欲しいと思って死者を放った。彼女が黄泉の国から蘇った、なんて噂もあるしね」
「そりゃあの女がつかう妙な手はこの世のものじゃねえけどよ。そもそも死んだ奴が生き返ったところで何がどうなるんだよ」
「独眼竜は死者の蘇りを信じないのか?」
「蘇りそのものは恐山で見たぜ。だがあれが生きた人間そのものが再び生を受けたものとは思えねえ。単に蘇らせた術者に操られてるように見えたからな。だから怖くねえ」
 確かにそうだ、と誰もがうなずいた。
 反魂の術によって蘇ったところで、それは死ぬ前に存在していた者とは全く別のものだ。そして術者が死ねば蘇った死者もまた死ぬのだ。
「ていうことは・・・市殿は蘇りとは違うのだろうか」
「知らねえよそんなことは」
 そっけなく言って、政宗は肩をすくめた。本当に興味がないのだろう。
「巫は」
 ぼそりと元就が呟く。
「結界が壊れる前に、と言っておったのだろう。つまりは結界はいつかは壊れるということだ。ならばその前にどうにかして中へもぐりこみ、封じるしかない」
 何故結界が存在するのかは分からないが、その効力で這い出てきた死者がまだ金ヶ崎から放たれないというのであれば早急に手を打たねばならない。
「やはり最大の問題はどうやって穴を塞ぐか、に尽きるわけか・・・」
 やらなければならないことは決まっている。だがその手段が分からない。
「なあ家康」
 改まった口調で、政宗が名を呼んだ。
「突拍子もねえ仮説だが笑わねえで聞いてくれるか」
「どうした独眼竜。この際どんな推測でも意見でもいい、聞かせてくれ」
 笑ったりしない、と力強くうなずいた家康に、政宗は言い難そうに頭をかきながら、やがて咳払いをして、言った。
「俺はよ、崖の上からあの黒い淀んだ霧と空を見てすごく嫌な予感がしてたまらねえんだ。肌を刺すようなぴりぴりとした殺気みたいなもんを感じた。そう遠くない過去に感じたことのある、こいつはやべぇと思ったあれに似てる」
「何だよはっきり言えよ」
 どういうこった、と急かす元親をちらりと見て、あんたも知ってるはずだぜ、と政宗は僅かに唇の端を持ち上げる。
「第五天が黄泉から舞戻ったって言うのが本当なら、あの女以上にそんなことができそうな奴がいるじゃねえか、ひとり」
「・・・・・・独眼竜」
 はっとして息を飲む。
 この先を口にしていいのか否か、誰もが気まずい空気の中黙り込んだ。
 やがて鶏の鳴き声が遠くで聞こえ、完全に朝がくる。
 にわかに人の気配が広間の外で増え、慌ただしく廊下を駆ける足音に日常が戻ってきたような安堵感をおぼえて誰もがふ、と詰めていた息を吐いた。
「あの結界とやらが」
 しばらくして、元就が口を割る。
「あの結界とやらが<外>にいる我々に配慮してできたものではないことくらいは理解しておろう。つまりは<中>にいる何者かにとって有益だからこそ、死者が外へ這い出ぬよう結界を張ったのだとしたら。時が来れば結界が自然に破れるようになっているのだとすれば」
 あの世とこの世を結ぶ穴を開き。
 中から死者の群れを放ち結界の中に閉じ込め。
「それを糧に蘇り、やがて破れた結界から外へ出る」
 この世に未練を残し、泣く泣く死んでいったものたちを蘇らせ、歓喜にむせび泣くそれらを食らってこの世に舞戻ろうとする存在がいるとしたら。
 背筋が寒くなるのを感じて元親は一瞬身を震わせた。
「家康様」
 再び沈黙が流れた頃を見計らって外から声がかかる。
「朝餉と湯殿と、皆さま方のお部屋の支度を整えてございます。いかがいたしましょうか」
「・・・あ、ああそうだな。うん、そうだ」
 ほっとしたように家康が強張った顔を無理やりのように和らげる。
「少し休もう」
 そうして、一度解散することとなった。
 各々が重い腰を上げて自室や湯殿へ向かう中、元就は座り込んだまま険しい顔を崩さない。
「元就」
 声をかける元親に、元就はそっと目を閉じて言った。
「魔物は地獄で大人しくしておれば良いものを」
 その言葉は渦中の黒幕が誰であるかを告げたも同然だった。


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