不可思議愛憎劇 10


  
 
 
 
 
 耳障りな音をたてながら、触れてもいないはずの扉が開いていく。
 冷たい風に乗って運ばれてくるのは腐臭だ。思わず全員あとずさった。
 各々が得物を構える。闇の中ぼんやりと白っぽく浮かぶのは市の姿か。足元にうごめく群れが声にならぬうめき声をたてながら、人型をなしていく。
「おいおい、まじかよ」
「これは・・・かの恐山で見たときと明らかに雰囲気が違う」
 引き攣った顔で口笛を吹く政宗が刀を一本抜くと、幸村も槍をかまえ地面をニ、三度踏みしめた。ぼこぼこと地面から生えるようにして現れるのは人の形をした死者の群れだ。腐りおちた兜や甲冑からは白骨化した体がのぞき、空洞が見えるものもある。しゃれこうべの窪んだ穴には白く濁った眼球がへばりついたもの、何も残っていないもの、ぶら下がっているものと様々で、ただ一様に腐った臭いを放っていて鼻が曲がりそうだ。彼らは何故か空を仰ぐようにして、かろうじて刃の残っている刀を掲げ持ち祈るようにうめき声を上げた。それは怨嗟か、それともこの世に再び蘇ったことへの歓喜なのか。つられるようにして上を見上げると、確かにここは城の中のはずなのに灰色の空が見える。とぐろのように渦巻く雲がひとつ、意味ありげに見下ろしていた。
「愚かな・・・」
 ぽつりと元就が呟き、右腕を天へ掲げた。きらりと灰色の雲が割れて一筋の光が舞い降りる。縁を飾るは炎を象る輪刀天照。迷わず主の手の中へ召喚される。彼らはそうとしようと声を掛け合うでもなく、互いの背を守るように位置を決めた。相談するわけでも事前にそうと決めていたわけでもない。ただ何百と数える戦の経験が彼らの体を本能的に動かすのだった。
 ぼこり、ぼこりと地面が盛り上がり次々と幽霊武者が黄泉還り彼ら五人を囲むように、まるでひとつの大きな意思に操られているかのように統率を見せた行動をとっている。それが非常に気味が悪かった。せめて化け物は化け物らしく、ばらばらに動いてくれればまだ良いものを。
「来るがいい・・・。我と、天に照る日に秘策あり!」
 掲げた輪刀が眩い光に包まれる。
 一瞬、身構えていた武者たちの動きが止まったように見えた。
 それに気づかない政宗たちではない。
「いま変な動きしなかったか?」
「某も思ったでござる。もしや光に弱いのでは?」
 襲いかかってくる武者を蹴散らしながら振り向く政宗と幸村に、超刀を豪快にふるう慶次がきょとんとした顔をした。
「え、もしかしてお市さんと同じ?光で弱体化しちゃう?」
 それなら話は早いと、彼らは元就の前へと進み出た。それよりも早くすでに元親は元就をかばう位置から動かない。
「毛利さんよ、あんたはそこから動かなくていい。やつらの動きを少しでも止めてくれ」
「油断したところを突くのですな!」
「好き勝手言いおって」
 我に命令するな、と不満そうに吐き捨てながらも、動かなくていいと言われたのは正直助かった。そろそろ本格的に足が痛い。常時であれば自在にふるえる輪刀もやたら重力を感じる。走りながら敵を斬りつけるような余力はないようだ、と忌々しげに、けれど冷静に分析してから舌打ちした。その苛立ちが伝わったのか、碇槍をふりあげ地面に幾度も突き刺しながら元親が振り返る。笑みを浮かべるその表情は余裕にあふれていて、見る者をほっとさせる力があった。これもひとつの才能だ。
「大丈夫か?」
「ふん、言われるまでもない」
 斬っても斬ってもぼろぼろの状態で起き上がってくる死者の群れだったが、どうやら『修復不可能なほどに焼き焦がす』と灰になったまま風にさらわれていくようだった。そうであれば、もはや敵ではない。永遠に復活する者など存在しないことを、彼らはすでに知っていた。
「くっそ、皇炎にしときゃよかった」
「阿呆め」
「うっせえ!」
 軽口を叩きあいながらふたりの立つ周囲からは幽霊武者の姿がひとつまたひとつと消え灰となっていった。
「無限にわき出るわけじゃなさそうだな」
「時間稼ぎのつもりか?」
 ふいに、それまで五人を襲っていた武者の群れがぴたりと動きを止めた。
「おい、どうした?」
 怪訝な表情で政宗たちが駆け寄ってくる。ざわ、と冷たく湿った空気が肌に触れて、彼らは顔を見合わせた。ふわりと陰湿な光が満ちる。
「おい、足元!」
 はっとして全員が地面を見ると、彼らの立つそこに巨大な印が浮かんでいた。それはとてつもなく遠くまで描かれており、幽霊武者らは縫い付けられたように身動きがとれなくなっている。必死でぶるぶると足を震わせているのはそこから逃げようとしているようにも見えた。
「おい、何かやべぇぞ!」
「う、わっ?」
 怒鳴る元親がとっさに元就を抱え上げた。掴んでいた輪刀が手から滑り落ちて地面に沈もうとするのを慌てて拾う。
「元親っ」
「ちょっと黙ってろ!」
 正体は分からぬがこの地面の印はやばい、と誰もが悟った。動けなくなった幽霊武者の群れには構わず、四人は一斉に走り出す。
「また逃げるのかよっ」
「政宗殿、印がどんどん広がっている!逃げても追いつかれてしまうのでは!?」
 不気味な印はどこかで見たことのある紋のようにも見えるが、広がりすぎてもはや何をしめしているのか分からない。ただ足を取られればそれまで、という危機感だけがあった。逃げ去る彼らを追いかけるように、そしてもうこの場所が城の中などではないことをはっきりと表すように、ごつごつとした岩と茶色いもので覆われた地面は果てしない。
 ふわり、と前方に揺れる白い影ひとつ。
「どうして行っちゃうの・・・?」
 女が寂しげに首を傾げた。
 オオオオオオオ、と地響きに似たうめき声が響いた。背筋を凍らせるような、怨嗟のような慟哭。黒と白が混ざった色をした女がうっとりと恍惚の表情を浮かべながら、じぃっと地面をのぞきこむ。
「おはよう、にいさま」




「大義であった」
 確かにそう聞こえた。
 地面に浮かぶ印が淡く光り、やがて地面の上に根を生やしたように突っ立っていた幽霊武者たちを次々と飲み込んでいく。うああああああ、と大気を震わせ武者たちが泣き叫び、やがて次々と地面の中へと引きずり込まれていった。一度死に、甦り、そしてまた命を吸われる。地獄だ、と彼らは思った。降り立つ大きな影、よりそう女。生温い風がひときわ強く吹いて、黒い霧が晴れた一瞬だけ晴れた。
「第六天魔王」
 誰かが呟く。
 ほれ見ろ、とはさすがに元就でさえも口にしなかった。ただ黙って元親の腕に抱かれたまま息を飲んでいる。
 次々と幽霊武者を飲み込んでいく印の中に捕らわれながら、かろうじて政宗たちがそれを弾いていられるのは光のせいだった。元就の手に握られた輪刀が忍び寄る印を寄せ付けないように、弱々しく、だが確実に追いやっている。
「にいさま。言われたとおりにしたわ。贄よ。贄を誘いこんだわ。褒めてくれる?市、偉い?」
 すがるようにして兄、と呼んだ魔物に寄り添う市を、その大きな影は冷やかに見下ろした。もはや用はないとでも言いたげな、煩わしげな視線を落としぼろぼろのマントを翻して妹を遠ざける。
「贄、だと?」
「やっぱり罠かよ」
「まあ、そんなことだろうと思ったけどね」
 がしゃん、と重そうな音をたてて、慶次は超刀を肩にかついだ。強張っているがそれでも癖のように笑みを絶やさない。ここで笑顔を作らなければ負けだとでも言うかのようにあえて余裕の表情を崩さなかった。
 それは政宗も同じだった。一度は滅ぼした敵だ、何度地獄から甦ろうとも恐れる相手ではない。ただ悲しそうに目を伏せて、それでも兄に寄り添う市の存在が不気味で仕方なかった。
 魔王が手を振り上げると同時に、ショットガンから弾が放たれる。すでに軌道を読んでいた政宗が飛び退って六爪を抜いた。
「上等じゃねえか。もう一回殺してやるよ」
「政宗殿」
 彼の右側に幸村が、一歩引いたところに慶次が陣取った。
「おい西海の鬼。あんたそこから動くなよ」
「つってもよォ」
 動くに動けねぇわ、と苦笑する。思案するような表情で彼らのやりとりを黙って見ている元就だったが、自分の役割は心得ているとばかりに元親の腕を叩いて地面におろさせた。
「元就」
 案じるそぶりを見せる元親に、痛む足をかばいながら気丈に背筋を伸ばした。
 彼の、背をまるめたしぐさは寝ているときしか見ないな、と呑気なことを思う。小柄な体だが頼りなくは見えない。むしろ目の前で相対しているときはその存在感と威圧感に圧倒されることすらある。それはきっと、毛利元就という名を背負う者の覚悟であり矜持なのだろう。その、誇り高いところが何よりも好きだ。怪我を負っても、病に伏せても、乱暴に情をぶつけても、元就は決して痛いとは言わない。
「我があやつの動きを止められるやもしれぬ。そうでなくとも、日輪の威光があれば第五天や死人どもの相手くらいはできよう」
 掲げる輪刀天照に、分厚い灰色の雲が細く割れて一筋の光が反射する。
 埃のたつ地面を軽く踏みしめれば、突き刺すような視線が襲う。
「邪魔しないで・・・」
 ゆらり、と細く黒い影が動いたかと思うと、いくつもの黒い手が襲いかかってきた。信長を囲むようにして走る政宗らの脇を通り抜け、黒い手は元就と元親に狙いを定める。
「へえ、兄妹でちゃんと役割分担かい?意外とまともな思考してるじゃねえか」
 がしゃん、と音を鳴らし碇槍を構える。
「うらぁ!!」
 力強く振り回し、黒い手をなぎ払うと同時に元就の輪刀が輝いた。
「失せるがいい!!」
 繰り出した光の輪が一斉に黒い手を捕縛し、焼き焦がして霧散する。大きく輪刀を振るう腕がぎしりと痛んだが眉ひとつ動かすことなく次の攻撃に備えた。吸い込まれるようにして地面に姿を消した市が、ぼんやりと目の前に出現しては再び襲いかかってくる。至近距離からの黒い手の攻撃にとっさに飛び退こうとして、元就は傷を負った足が動かないことに歯がみした。
「おのれ・・・ッ」
「おっとあぶねえ!」
 ジャラッと鎖が放たれて、黒い手を一掃しながら、もう一方の手で元就の腰を抱き込んだ。痛みで震える足を地面につきながら腕を振り払おうとする相手を軽く睨んでから元親は元就をぐいぐいと自分の背にかばう。
「後ろにいろよ」
「黙れ。我に命令するかっ?」
「いやあんた・・・」
 もうちょっと素直になれねえのかい、と毒づきながら、ゆらゆらと陽炎のように揺れては姿を現し、消えては移動する市を目で追い続ける。
 遠くではばりばりと雷光が走り、炎が上がるのが見えた。どす黒い雲が彼らの頭上を覆っている。たまに聞こえる慟哭は魔王がさらなる贄を吸い取ったものだろうか。耳を塞ぎたくなるような声にふたりは眉をひそめるしかない。


「いや・・・眩しいのはいや・・・!」
 今にも泣き出しそうな声で市が再び地面へと吸い込まれていく。それを阻止しようと元親の碇槍が彼女を捕え、雲を切り裂くように日輪の光が彼女を覆いつくした。
 童女のような泣き声に元親は一瞬ひるんだか、ぐいと細い腕をつかみ上げると市はあっけなくそれに引きずられしくしく泣き始めた。あわれな。そんな感情しか浮かんでこない。
「おい」
 早く始末しろ、と苛立たしげに言い放つ元就を押しやって、元親は地面に片膝をついた。
「なあお市さんよ。寂しいのは分かるが、もうあんな兄貴のために辛い思いしなくてもいいんじゃねえのか?本当は戦いたくねえんだろ」
 痛いのは嫌、動けない、と、言いながら泣くのが見ていて大層哀れだった、と家康は語っていたのだと言う。戦うのは嫌だ、と泣く女を放っておけないのは元親も同じだ。
 彼の心境が嫌と言うほど伝わってきて、それが元就は気に食わないのだった。そんな愚かしい女など、いっそ葬ってしまえばいいのだ。
 はっきりと不快そうな表情を浮かべて、元就はずしりと重く感じる輪刀を持ち上げた。はっとして元親が顔を上げる。
「おい、」
「邪魔ぞ!」
 制止しようとした元親を無理やり押しのけて、遠く東の空へと光を放った。大きく円を描いた光の刃は空に浮かび上がる黒い影を捕捉する。
 大きな黒い影が一瞬動きを止めた。もがくように身をよじりながら大地を震わせるうめき声を轟かせる。
「おのれ小賢しい小物よ・・・!」
「ふん、貴様は大人しく地獄へ還るが良い!」
 息をつきながら怒鳴る先では、この機を逃すまいと三人が跳躍したところだった。
「うらぁああああ!!」
 頭上に構えられた政宗の六本の刀が雷光を帯びて斬りかかる。だが信長は雄叫びをあげると縛を引きちぎるように身をくねらせた。光の輪は一度大きく輝き、やがて耐えきれぬように消滅する。反動で瘴気に似た霧が術を放った主へと襲いかかった。
「ぐぅっ・・・」
 光の逆は闇だ。つまり、受けるダメージは大きい。黒い霧に体を絡め取られ強烈な吐き気と眩暈が元就を襲う。堪らず膝をついて体を折り曲げ自身をかばうように腹に両腕をまわしてうずくまる。慌てて、元親が駆け寄りかばうようにその体をたくましい腕で抱きとめた。
「元就!」
「・・・ッ!かはっ、」
 大きくぶるりと体が震えて、苦しげに身悶える元就を必死に抱きかかえながら、ふと嫌な予感がして振り返る。細い刃で貫かれるような冷たい衝撃を受け止め、次いで燃えるような、体を焼くような強烈な痛みが襲う。
「ぐうっ・・・」
「元親、元親!」
 ぐらりとバランスを失って崩れ落ちる元親を、元就は言うことを聞かない体で受け止めようと両腕を伸ばし、だが支えきれずに一緒に地面へと転がった。目をやった土の上に落ちている血に濡れた鉛玉。
 撃たれた、と気づいた時には血の気が引いて、息をするのも苦しい。
「元親、おい、起きろ!」
 ふざけるな、こんなときに、寝ている場合か。
 手をついて上体を起こし、すぐ隣で目を閉じたまま動かない元親を何度も揺さぶる。こんな姿を見たことはない。元より白い顔は青白く、精悍さに欠けている。なによりも強く優しい色を放つあの片方の目が閉ざされたままぴくりとも動かない。愛おしげに名を囁く掠れた低い声もしない。どんなに耳を澄ましても、じくりと胸を打つ男の声がしないのだ。見る間に地面に流れ吸い込まれていく赤い血が元就の指を濡らした。はっとして手で押さえるが、てのひらの指の間から鮮血が吹き出し止まらない。
「元親」
 元就は静かに混乱していた。まずは何をすればいいのであったか。数えきれぬほど戦場に立ち、いくつもの怪我人と死人を見てきた。戦場に出たばかりの頃は怪我の手当の仕方から学んだものだ。なのに頭がからっぽで何も思い出せない。
 どんなに策を巡らせようとも、肝心な時に何もできないのでは意味がないではないか。
 鍔迫り合いの音や叫び声が響いて激しい戦闘が繰り広げられていたが、元就の耳には何も届かなかった。彼の目はただ目の前に倒れ伏す男の姿しかなかった。
「死ぬのか」
「毛利殿!!」
 幸村の叫び声が遠くでしたような気がした。耳が痛くなるような鈍い音が何度かしてすぐそばの地面が抉れる。魔王の攻撃がこちらまで届くほどに、いつの間にか近距離に場が移っている。それでも元就は動けなかったし、動く気にはなれなかった。
「毛利さん!元親引きずって、あっちまで退いてくれ!」
 慶次が叫びながらふたりを背にかばうように超刀を掲げる。振り返る顔はすでに余裕の欠片もなかった。体中傷だらけで血が流れ、ぼろぼろなのは政宗も幸村もほぼ同じ。だが確実に事態は変化している。ただ動けない怪我人をふたりかばいながらでは非常に難しいことは確かだった。
 この場を離れなければ、と強く思う。地面に目を移す。赤い血が土と混ざりあい、黒く染みを作っては滲んで吸われていくのを眺めた。傷口を抑えている元就のりょうてのひらは真っ赤に塗れて凄惨だったが、広がる袖や沓がどんなに汚れようと、その手がどんなに血で染まろうと、何も感じないのだった。
 ぐったりと倒れ伏したまま微動だにしない元親の汚れた銀色の髪に触れるとべったりと血がついて赤く染まる。ああ、美しいな、と場にそぐわぬ感想を抱く。
「元親」
 ともに地獄へ落ちれば、魔王のように復活することが叶うだろうか。
 ふたり一緒なら、化け物になって甦ろうとも構わない。
 そのとき確かに、元就はそう思った。



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