魔王ごっこ






 なんだありゃ、と呟いて、跡部はサロンの中心でわいわいやっている集団を見た。どうやら立海がかたまっているらしい。その塊を、他のメンバーがちらちら見ては笑っている。
「何や跡部、戻ったんか」
「おう。自習練つってもマシンを使える時間が限られてるからな夜は。それよか何だあの騒ぎ」
「ああ・・・。あれなぁ」

 おおお、というどよめきがあがり、ほんの少し背伸びして跡部が見たのは輪の中心、ソファに優雅に座り左腕を差し出している幸村と、床に片膝をついてしゃがみこみその白い腕を手に取っている柳生の奇妙な光景だった。ふたりの発するオーラのせいだか何だか知らないが、まるでどこぞの女王様と騎士のようだ。まさかこんな公衆の面前で手の甲にキスするんじゃねえだろうな、と険しい表情で声を発しようとする跡部だったが、柳生が右手に持った小さなそれを見て忌々しげな舌打ちに変える。
「動かないでくださいね」
「分かってるよ。それより綺麗にやってよね」
「ええ、もちろんです」
 ぱちん。
 音をたてて、小さな道具が指の先を一本ずつ整えて行く。
「・・・なんだありゃ」
 先ほどと全く同じ言葉を呟く跡部に忍足がどうでもよさげな気だるい表情で首を振った。
「神の子の暇つぶしとちゃうん」
「答えになってねぇよ」
「あ、赤也ー」
 間延びした、やけに気の抜けた声が響く。
 人々のざわめきの中にあっても何故かその少し高めの声はよく聞こえるのだ。
「はいっ」
 よい子のお返事をはきはき返して、もじゃもじゃ頭がすっ飛んで行く。おまえ今部屋の一番隅っこにいなかったか。いつの間に彼も縮地法を会得したのだろうか。それは残像だ!というオチではなかろうか。
 いそいそと駆け寄ったもじゃもじゃ、もとい切原赤也は、偉そうにふんぞり返っている幸村の正面、柳生の隣りに正座した。にこにこ笑いながら見上げるその顔はご主人さまの命令を待つわんこである。左腕を柳生に託したまま、幸村はそんな可愛い後輩ににっこり笑ってみせた。
「俺、ミルクティが飲みたいなぁ」
「ミルクティっすね!任せて下さいぶちょー!あ、じゃなくて、王様!」
「ああん?」
「あ、あかんで跡部おまえを呼んだんちゃうで?」
「うっせえな分かってるよ!」
 大体、あんなもじゃもじゃに王様呼ばわりされたところで馬鹿にされているとしか思えない。どうせ呼ぶなら俺様はキングである。
 いやそうではなくて。
「だから何やってんだよ周りのやつらドン引きじゃねえか」
 跡部の呟いたとおり、彼らは注目を集めまくりである。
 クラウザーが近くにいた越前に「あれは何だ」と話しかけているのが見えたが、越前は何と答えたものかとしばらく悩んだ末に短く返答して目をそむけてしまった。
「真田のやつは何をやってるんだ」
 あの変な神の子を止められる者がいるとすれば、真田くらいのものだろう、と周囲を見渡せば、止めようともせず様子をうかがっている立海メンバーから少し離れたところで黒帽子の男がひとりうなだれて座っている。
 何となく近寄りがたい雰囲気をまとっていて、彼の周囲だけぽっかりと空間が空いていた。
「おい、」
 何やってんだ早く止めろよどうするんだよこの微妙な空気、と若干の苛立ちを込め、真田のいる方へと歩み寄ったその瞬間、やや生気に欠けた声がまた響く。
「あ、だめだよ跡部。そいつは俺が捕獲したんだから」
「ああ!?」
 いま物騒な単語を吐かなかったかこいつ。
 振り向くと、相変わらず何を考えているのか分からないにこにこ顔で幸村が緩く首を振った。
「だから、そいつは俺が捕えたお姫様だから。近づかないで」
 君は勇者というには少し、柄が悪すぎるよ、と笑う。
「・・・・・・何だよその、自分が悪者みたいな設定は」
「悪者だよ。俺魔王だからね」
 つまり切原の言った「王様」は「魔王様」という意味だったらしい。
「・・・・・・魔王と、従者と、姫?」
 肝心の主役がいない。
 というより姫の人選に重大なミスがあるのではないだろうか。
 うなだれたままの真田はびくっと肩を震わせ、深々とため息をついた。
 そんな真田に心の底から同情しながら、跡部は早く消灯時間がこないかと時計を見上げる。
「大丈夫だ跡部。おそらくあと十五分ほどで飽きる確率95%」
 ぽん、と肩を叩かれて振り向けば、いつものようにノートを手にした柳が立っている。
「ちなみにおまえは何役なんだ」
「これだ」
 淡々と言い返し、ぺらりとノートをめくって見せる。
 そこには配役だの、舞台設定だの、細々したどうでもいいことが非常に読みにくい字で書かれていた。
 明らかに柳の書いた文字ではない。見覚えはないが、こんなくだらないことをつらつら書くような人間はひとりしか思い浮かばなかった。
 指し示された箇所を何とか読みとろうと眉を寄せ、跡部は疲れたように嘆息する。
「妖精ってなんだ」
「ティンカーベルのような存在だと精市、いや魔王は言っていたな」
「いや、だから」
 肝心な配役がないまま、わけのわからない設定が跡部を悩ませる。
「傅かれる役がやりたいだけだろう、あいつは」
 そう言って、何事もなかったかのようにノートを閉じて柳は幸村たちのいる集団の中へと埋没していった。
 傅かれる役も何も。
 普段からそうじゃねえの。
 跡部の小さな突っ込みは、ざわめきと幸村の甘い笑い声にかき消されて、そのままスルーされるのだった。
 ちょっと楽しそうだな、と思ったのは内緒だ。