「ブン太ー」
「んー?どうしたの幸村くん」
きゃっきゃっとはしゃぎながらあれこれ話しかけてくる芥川を適当にあしらいつつお菓子を与えていた丸井が振り向くと、暇そうな顔をした幸村がぼんやり立って喉のあたりをさすっていた。
「喉飴持ってない?」
「喉飴?喉痛いの幸村くん。大丈夫?」
「うん、ちょっとはしゃぎすぎたかな」
平気だよ、と笑う幸村に、丸井はポケットをあさるととっておきのレモンキャンディを取り出した。
喉飴ではないけれど、スーッとするし爽やかに甘いし、丸井のお気に入りである。
「これやるよ」
「ありがとう」
にっこり微笑んで、包みを開けるとぽいと口に放り込んだ。
もごもごと頬っぺたが膨れるのが見ていてちょっと可愛い。
可愛い、なんて自分より背の高い男に使う言葉ではないけれど、彼の本性を知ってはいるけれど、そう思わずにはいられない。
廊下に出て、相変わらず喉をさすりながら歩いていると、こちらへ向かってくるいかめしい顔の男がひとり。
「幸村」
「やあ真田。こんな時間にランニングかい?」
「ああ」
見れば汗をかいている。すっかり夜も更けて気温はぐっと下がっているのに、相変わらず体温が高そうだ、と幸村は思った。冬に湯たんぽ代わりにするのにちょうどいい。ひっついているとじっとしていてもぽかぽかしてくるのだから、きっと真田は子供体温なのだろう、と勝手に思っている。
「おまえ、歩きながら飴を舐めるとは行儀が悪いぞ」
目敏くもごもごしているのに気付いた真田が眉間にぐっと皺を寄せた。
「喉飴だよ」
「・・・喉飴?喉が痛いのか」
「うん、ちょっと、」
はしゃぎすぎて、と言い終わらないまま、ぐいと強く手を引かれてつんのめった。
「うわ、何」
「来い」
「ちょ、どこ行くのさ」
真田は慌てる幸村を無視して手首を掴んだまま、ずんずんと廊下を歩いて行く。
通りすがる中学生メンバーたちが何事かと振り返ってざわめいた。
何しろ立海トップ2のふたりが仲良く(かどうかは知らないが)手を繋いで(正確には一方が強引に掴んで)足早に歩いているのだ。ただでさえ存在感のある幸村と真田がそんなことをしていて目立たないはずがない。
周囲の視線に耐えられなくなったのか、幸村は立ち止まるとぐいと真田の手を引いた。
「何するんだよ!」
「医務室へ行く」
「はあ?」
「風邪の引き始めかもしれん。薬をもらいに行くぞ」
当然だろう、と言わんばかりの表情に、幸村はぽかんとして、目を丸くした。
「いや、風邪じゃないと思うよ。夕方白石と不二と三人でちょっと植物談義を」
「いいから行くぞ!」
「ちょっ、」
またもや最後まで言わせず再び引っ張って行こうとするのを押しとどめて、幸村は飴のせいではなく頬を膨らませた。
「行かない。風邪じゃないし、消毒液の匂いのするとこなんてごめんだよ」
「喉が痛いのならきちんと診てもらうべきだ」
「だから違うってば!自分の体のことくらい自分で分かるよ!」
「だったら俺に言われずともさっさと医務室へ行かんか!」
話が平行線のまま、ふたりの声音はだんだん熱を帯びてしまいには怒鳴り合いに発展し始めた。
さすがに様子がおかしいと思ったのか、ふたりから少し距離を置いてみんなが人垣を作り始めている。
真田が怒鳴るのはそう珍しい光景ではないが、いつも穏やかな顔でにこにこしている幸村が拗ねた子供のような顔をして怒りの声を上げている。
「おいおい、何の騒ぎだ」
何事かと寄ってきた男が人をかきわけて寄ってきた。
「橘さん」
喧嘩か祭りかと真っ先に駆けつけた桃城が困惑の表情でやってきた不動峰の部長を見上げた。
「ん?真田と、幸村か?喧嘩してるのか。珍しいな」
「珍しくはなかけどね」
ぼそっとつぶやくのは仁王である。そのうち立海のメンバーたちも集まってきたが、みな呆れた顔をするばかりで動揺している者はいなかった。柳がいれば止めただろうが、生憎この場にはいないようだ。
「おいふたりとも・・・・・・」
仕方なく、ここは自分が止めるべきなのだろうと正義感を発揮してふたりの間に割って入った橘だったが、急に片腕をがしっと幸村に掴まれ抱き込まれた。
ぎょっとして右腕にしがみつく幸村を見る。
すぐそばに人形のような綺麗な顔がアップで迫っていて、思わず動揺した。
「聞いてよ橘。真田ってば全然俺を信用してくれないんだ。ひどいよね」
「あ?あ、いや幸村、」
「何を言っている!俺はおまえを心配してだな・・・とりあえず離れろ橘!」
「いや俺は別に」
強引に腕をとられたのはこちらの方だ、と目配せするが、真田は顔を怒りで紅潮させたまま橘を睨んでいた。
ちなみにしがみつかれている右腕は早くも痺れ始めている。
え、何この馬鹿力。紫色に変色し始めてるんですけど。
「橘の右腕アデュー」
「ちょっと、不吉なこと言わないで下さいよ仁王くん」
「もういい、俺橘と風呂入ってくる!」
「え」
「なんだと貴様!橘ァ!」
「なんでそうなるんだ!」
ぎりぎりぎりぎりと絞めつけられる右腕が本格的に死にそうだ。
「待て幸村、頼むとりあえず腕を放してもらえないか」
「嫌だ。橘は俺と右腕とどっちが大事なのさ」
右腕に決まっている。
いよいよ血の気を失いかけた橘の右腕を、まるで親の敵のように押しつぶしながらも幸村は可憐な少女のように泣きそうな顔で橘を見る。
(いやいやいや。いやいやいやいやいや。おかしいから)
何となく五感が奪われ始めたような気がする。
遠くで真田が怒鳴っている声がするが、何を言っているのかさっぱり分からない。
とりあえず言えることはただひとつだ。
放してください。
しょんぼりしている幸村(本性はともかく見た目は可愛い)と、真田(決して可愛くないが哀愁が漂っている)を尻目に、橘と後輩たちは微妙な顔をしていた。
ソファの上で正座をさせられ、柳にくどくどと説教をされているふたりはお世辞にも王者立海の頂点に立つテニスプレイヤーには見えない。ただのちょっとアホな迷惑コンビである。
「橘さん、腕大丈夫ですか」
うわぁ、と言いながら指で右腕をつつく神尾をやんわり制して、橘は苦笑した。
くっきりと五本の指の痣が残っている。特に骨に異常はなかった。あれほどの痛みを感じたのにこの程度で済んだのは、柳生いわく「腕以外の感覚が僅かに奪われていたせいで腕の痛みが増したように感じたのではないでしょうかふふふ」だそうだ。とんだどSの所業である。しかも柳生の「ふふふ」も意味不明だ。だいたい自由自在に感覚を支配できるのであれば、もうあれは神の子なんてものではない、ただの魔王である。もうそれイップス関係ないし。
ただ、息がかかるほどまじかでみた幸村は(本性はともかく)可愛かったなあ、と思う。
「まあ、遠くで眺めるだけならいいけどな」
「何の話っすか?」
「いや・・・まあ・・・おまえたちは本当に可愛い後輩だなあってことさ」
ははは。
爽やかに笑いながら、もう二度とあのふたりの喧嘩の仲裁などするものか、と固く心に誓った。