明かりが見える、と言いだしたのはやはり野生児ばりの視力をもつ金太郎だった。
いますぐ駆け出そうとするのを慌てて白石が引き止める。
「金ちゃん単独行動はあかんよ。危ない」
「えー。平気やで?ほら、あれやテ、テイサツ!」
「あかんて」
ああもう、仕方ないやっちゃ、と宥める白石は完全にお母さん状態である。
真田の上着をすっぽり頭にかぶった幸村はくすくす笑った。
そうして、似た関係の柳と赤也のことを思い出す。あのふたりは今どこにいるだろう。
ふたりはそれぞれ家の用事を済ませて一緒に後を追ってくることになっている。
すでに天候が崩れ始めた時間に出発したなら、引き返してくれているだろうというのは希望的観測だ。
不安定な足元に注意しながら、一行は金太郎が指示す方向へと向かう。
倒木を乗り越え、鬱蒼と頭上を覆う枝を振り払いながら進んでいくと金太郎の言ったとおり、ぼんやりと人工的な明かりが遠くで光っているのが見えてきた。明らかに誰かがいる。周囲が暗いので、そこだけが幻想的に光り浮かんでいて、ほっとするような、それでいて幻のような妙な不安感とが交錯するようだ。
「家、か?それにしてはずいぶん、明かりのついている箇所がばらばらだ」
「高さもある。何か大きな建物みたいだね」
「だが人がいることは確実だ。救助を要請しよう。跡部たちへの連絡もしなければ」
山の中は電波状態が悪く、携帯が使えない。孤立無援、とは言え、ひとりではないことがせめてもの救いだ。特に四天宝寺の面々が底抜けに明るい。もしこれが自分と真田のふたりきりだったら、怖くなくてもきっと寂しいだろう、と幸村は思った。
「なあなあ、もうここからあの家まで方向は分かっとるし、ワイ先に行ってええ?なあ、ええやろ?」
白石の腕にしがみつきながらぴょんぴょん跳ねる金太郎に、ぐぐ、と真田の眉間が寄る。
何かを言いかけようと口を開く寸でのところで、しゃぁないなあ、と白石ののんびりした声が被さった。
「一本道や。どうせやったら切り開いてこい!」
「おう!任せとき!」
「さすが金太郎さん、おとこまえやわー!」
「小春ー!」
相変わらずの四天の騒々しさが今はとてもありがたい。
「うわ・・・なんやこれ」
ぱしゃ。
電波の繋がらない携帯をそれでも手放さない財前が写真をとりつつ唖然と呟いた。
「城?何か不気味だね」
まるでゲームみたいや、と見上げる。
暗い森にそびえるその建物は、唐突に現れた。
灰色の煉瓦造りのそれは西洋の城を思わせる館だ。生い茂る木々の中に建てられているため視界が遮られその全貌は見えない。
枝をかいぐぐりながら、まだしとしとと降り続ける雨に濡れる髪を振り払い、ようやく門が見える位置で立ち止まる。
「いややわぁ、気味悪いでユウくん」
「大丈夫や小春、俺に任せとき!」
「とか言いつつ足震えとるぜよ」
ぼそぼそと何故か小声になる彼らの間を縫うようにして真田と幸村がひょっこり顔を出す。
「インターホンあるよ。鳴らしてみようよ」
「うむ」
「マイペースやなさすが王者」
「いや王者は別に関係ないと思うよ」
やけに古めかしい門のそばにとりつけられたそれを押してみる。
ブザーが虫の羽ばたきのような音をたてて遠くで鳴るのが聞こえた。
しばらく待ってみても反応がない。
「留守?」
「でも灯りついとるで」
小さなくしゃみがふたつみっつ続いて、さすがにここで引き返すのももう無理だろう、と真田と白石が視線を交わした。
訪問者に威圧感を与えるような重々しい門に手をかけて、真田は考える。
中に人がいるのが確かだ。こんな山奥で留守にも関わらず灯りをつけっぱなしにする意味が分からない。
そしてすでに時間は太陽が傾きかけており今から彷徨うのは危険すぎる。
ならば答えはひとつしかない。何としてでもこの洋館の主に助けを求める。
もう一度、とインターホンを押そうとしたところで、かしゃん、と金属音がした。
はっとして全員が顔を上げる。見つめる先は門から数メートル離れた玄関と思わしき扉だ。
鍵が開いた音だ、と気づいた頃には二メートルほどはあるだろう扉がゆっくりと開く。
「はい」
山奥、不気味な洋館、散々客を待たせた対応、そのどれもがまるでなかったかのように愛想のかけらもなく現れたのは小柄な女だった。
「め、メイドさんや・・・!」
きらん、と一瞬目を輝かせた謙也と、思わず携帯を構えようとした財前が同時に白石に襟首を掴まれ引き戻される。
黒のワンピースに白いレースのエプロン、という時代錯誤とも言える格好のおかっぱの女性がおおきな黒目をこちらに向けた。
「どちらさまでしょうか」
雨に濡れた中学生たち(一部そうは見えなくても)を見てそのセリフはないだろう、と誰もが思ったが、四天宝寺の連中すら突っ込む気すら起きずひたすら唖然と突っ立っているばかりだ。
仕方なく、真田が一歩進み出て軽く経緯を説明した。
山を登っている途中で雨と霧で道に迷ったこと、土砂崩れに合ったこと、雨宿りをさせてほしいということ。
すぐ隣りでは幸村がきょろきょろと洋館の外観を見まわしては興味津々な顔をしている。
どうせならもう少し神妙な顔をしていてほしいものだ。
どうか一晩でいいので屋根を貸してもらえないだろうか、厚かましいかもしれないが電話も貸して欲しい、と必死の形相で頼み込む真田を、他のメンバーが固唾を飲んで見守っている。
しばらくして女は無表情のまま、主に聞いてくる、ときびすを返し、さすがに雨の中待たせるのは悪いと思ったのだろうか玄関の中へ全員を入れてくれた。
「ロボットじゃないみたいね」
「小春、しっ」
ロボット、と言いたくなる気持ちもあるが機械ならばわざわざ中へ入れてくれるような配慮はしないだろう。
エントランスから中へ入り、扉は開けたままでのぞくロビーはホテルのようだった。
やけにごわごわしたカーペットはくすんだ臙脂色で、それほど手入れをされているようには見えない。
目の前にはぐるりととぐろを巻いたような螺旋階段、前方に先のフロアへ続いているのだろう大きなドアがひとつ。左右にふたつずつ。上階を見上げれば錆の浮いた元は真っ白だったのだろう柵に囲われた廊下が階段から続いているようだった。
奥行きには分からないがやはり異常に広い。しかし人の気配がまるでしない。
お待ちください、と言い置いた女がどの扉からどこへ向かったのかも分からないまま、待ちぼうけを食らう彼らは、それぞれ濡れた髪を拭いたり上着を絞ったりしていた。洋館の中は外と変わらない温度で肌寒い。これだけ大きな屋敷なので全体を暖めることはしないのだろう。
「それにしても寂しいおうちやな」
「せやね。ちょっとした殺人事件でも起きそうな雰囲気や」
「ちょっとした殺人事件て何やねん重大事件やないか」
ようやく本調子に戻ってきたのか、後ろで謙也たちがやいやい言いだした。
「電話借りないとな。さすがに跡部たちも心配してるだろうし」
「あと蓮二たちも気になる。途中で下山してくれていればいいのだが」
同じルートを辿って後ろから着いてきていたのなら不安だ。なにしろ道が寸断されてしまっている。そのまま引き返して救助を要請してくれていれば良い。気の効く柳なら全て俊敏に事を運んでくれるはずである。
「誰かが先にここに辿りついとる、という可能性はないかのぅ」
ぼそりと仁王が呟き、何となしに全員が二階を見上げた。
「見つめてても柳生は降ってこないよ仁王」
「何じゃそりゃ」
あの男は何だかんだ行って夏季講習の方が大事なんじゃ、と仁王はわざとらしく拗ねた振りをしてみせた。
くすりと笑って、幸村がふと右側にある扉を振り返る。
どうした、と真田が尋ねる暇もなく、突然扉が開いて女が現れた。
それまでの緊張を解すかのようにずっとおしゃべりしていた連中が口を噤む。
女は全員が一通り見渡した後、最後に真田を見て言った。
「夜の山歩きは大変危険ですので今夜はこちらにお泊まり下さいと、主人からの言付けです」
二階の部屋を支度するのでしばらく食堂で待っていてほしい、と返事も待たずに奥の扉へ向かう女を、慌てて白石が追い掛ける。
「ありがとうございます、あの、それで電話を借りたいんですが」
「先に食堂へご案内します」
取りつく島もない。客と認識されていないのだろうか。だが事実自分たちは助けてもらう身であって招かれた客ではない。
とりあえずこの人の言うことを聞いておいた方がいいだろう。雨の中夜に追い出されては敵わない。
「幸村、おまん鳥肌たっとるぜよ。寒いか?」
「うん、少しね。でも大丈夫だよ」
「風邪を引かねばいいのだが」
何故か華奢に見える肩にかけてやれるものがあればいいのだが、生憎真田の上着も当然濡れている。若干焦ったような顔をしておろおろし出す真田に、幸村は苦笑した。
「俺別に体弱くないよ」
「いや、それは知っているが・・・」
昔から、風邪を引くのは真田の方が先だった。インフルエンザが流行ったときも、先に倒れるのはいつも真田だ。一見、か弱そうに見える幸村の方がずっと頑丈だったというのに、彼が病に倒れてからはことあるごとに心配してしまうのはもちろん真田だけではない。
突然倒れ、原因不明の難病で長い入院生活を強いられた幸村は当然だったが、ある意味その周囲の方に強いトラウマを残したのかもしれない。
いつもの日常が日常ではなくなる。
隣りにあるはずのものがいない。
そこにいるはずの輝きがない。
それだけで恐怖心が心臓を握りつぶすようで毎日が苦しかった。
戦っていたのも、苦しんでいたのも、幸村当人だというのに、それこそ病人のような顔色で怖かった、と後になって柳が言っていた。
それでも、心配くらいはさせてほしい、と真田は思う。
隣りにいない時間の寂しさに比べれば、自分の過保護に対する文句くらいいくらでも受けとめよう。
女に誘導された食堂は玄関からそれほど遠くはない場所にあった。
広々としたそこにはおそらく三十人は優に座れるだろう巨大なテーブルがあり、それをぐるりと囲むように椅子が並んでいる。
この館の主の席なのだろう場所の後ろにはレトロな暖炉には赤々と炎が舞っていた。
ようやく空気が暖まって全員がほっと息をつく。
「あの、ご主人にお礼を・・・」
「必要ございません」
白石が言い終える前にきっぱりと言い置いて、女はしばらくお待ちください、と出て行ってしまった。
ぽかんとする白石を金太郎が心配そうに見上げた。
「千歳たち、ここにはおらんみたいや」
今頃どうしているだろう、としゅんとする後輩の髪をくしゃっと撫でて、言い知れぬ不安を押し隠すように白石は笑うしかなかった。
「才気煥発の極みで雨の予言してとっくに家に戻ってるんとちゃう?」
「え、そんな技やったっけ?」
「いやん、めっちゃ便利やん!」
それにしても暖かい、と暖炉の前でうずくまる四天のメンバーを眺めながら、仁王が近くの椅子を引く。
「あー、久々に休めるナリ」
「だが少々おかしくはないか、あの女は何者なのだ」
「真田の言いたいことは分かるけど、今はそれどころじゃないからね。助けてもらっただけでも感謝しなきゃ」
あやしいところはたくさんある。
そもそもあのメイドらしき女は自己紹介すらしておらず、真田たちに素性を聞くことすらしていない。
この館の主が姿を現さないのも、他に誰の気配もないこともおかしい。
黙りこんだ立海メンバーをよそに、白石たちは金太郎を慰めるためにあれやこれやと笑い話で場を盛り上げていた。
かたん、と再び何の予告もなしに扉が開く。
振り返ると女が銀色のサービスワゴンに蓋のついた大きな器を三つ乗せて戻ってきた。
「残りもので恐縮ですがシチューです。少しでも暖まると良いのですが」
愛想のない女が天使に見えた。
それぞれが満面の笑みで、遠慮するそぶりを見せながらも口々に礼を言うそばで幸村は考える。
(残りもの?)
やはり他に誰かがいるのだろうか。
これだけの量のシチューが余るほどの、大人数が。
雨と疲労で湿った空気が一気に暖かくなるのを感じながら、幸村は真っ白な深い皿に注がれたシチューを受け取りながら微笑み返す。
それでも女の顔は凍ったまま、笑顔を浮かべることはなかった。