「くそ、これでは何も見えんではないか!」
激しい雨風が体中をばちばちと叩き、まるで殴られているようだ。
真田は道沿いの大木に手をついてバランスをとりながら、もう片方でしっかりと握っている幸村の手に少しだけ力をこめた。
「大丈夫か」
「うん・・・・・」
答える声は風に流され途切れ途切れだ。
不安になって振り向くと、びしょ濡れになった藍色の髪を頬にはりつかせながら幸村は青白い顔で微笑む。
大丈夫、と唇を動かして伝えてきたが、疲労の色が濃い。
「先頭のやつら、見えなくなったぜよ」
幸村の背中にてのひらを当てながら、仁王が後ろから顔をのぞかせた。
険しい山道は人ひとりが通れるほどしか幅がなく、しかし仁王は危なげなく壁に手をついて正面を睨んでいる。
「ごめん、少しゆっくり歩きすぎたかな」
「いや、急ぐ必要はない。それより足をとられないように気をつけろ」
「うん」
急ぎたくても、急げない。
それは幸村もじゅうぶんすぎるほどに理解していた。
ぶあつい雨雲は昼間だと言うのに周囲を暗く包んで文字通り一寸先は闇だった。
足をすべらせれば命はないだろう。
激しい雨と風は彼らの全身を襲い、容赦なく体力を奪っていく。
だが立ち止まって避難しようにも逃げ場所はなかった。
ひたすら上を目指して歩き続けるしかない。立ち止まったところで休息などとれる状態ではない。
「おおおーい!!」
前方から声がして、手で雨避けのひさしを作りながら坂の上を見つめる。
ざざざ、とすべるように降りてきたのは小柄な少年だ。
「あんちゃんたち大丈夫か?この少し上で白石たち待っとるで」
「遠山か。すまんな、わざわざ降りてきたのか」
「あんちゃんたちがちっとも追いついてけえへんから・・・」
心配する白石の代わりに様子を見に来たらしい。
真田に手を掴まれて立ち止まっている幸村を何やら言いたげな表情で見上げたが、金太郎はにっ、と明るく笑った。
「ワイも着いていったる」
こんな状況だと言うのに、彼は明るい笑顔を振りまきながら手を伸ばした。
「ちょっとこの先で道にちっちゃい川できとるで」
気ぃつけや、と真田の腰あたりを軽く叩いて、誘導するように歩きだす。
幸村は小さく笑みを浮かべると、決してこの手は離さないとばかりに掴まれた手を握り返した。
跡部主催の合同合宿、という名の慰労会。
彼の所有している別荘のひとつで互いの健闘を讃え合い労うという名目の元、全国各地から再びテニス馬鹿たちが集結した。
そのはずだった。
跡部と氷帝、そしてすでに集まっていた人々から遅れること数時間。
それぞれの都合で全員集合してから出発とは行かなかったため、真田と幸村、途中ふらりと現れた仁王の三人が先に向かうことになった。
慣れない山道に悪戦苦闘しつつ、どうせ招くなら迎えくらいよこしんしゃい、と仁王がぼやいていると前方から賑やかな声が聞こえてきて、四天宝寺の連中と出会ったのである。
そして急な雷雨と激しい風に襲われ、お約束のように果たしてこの道が正しいのかそれとも途中で間違えてしまったのか、それすらも分からない有様に困惑するしかなかった。
「手塚がいれば良かったかな」
ふふ、と僅かにひきつった顔で笑う幸村に、すぐ後ろを歩く仁王は肩をすくめるしかない。
「そんな装備で大丈夫か?てか」
「え、何?」
雨と風で聞こえない、と振り返ろうとする幸村の背中を軽く押しながら、「プリッ」といつもの謎の単語を発して、仁王は幸村に気づかれないように溜息をついた。
やっとられん。
後から追ってきてるだろう他のメンバーは大丈夫だろうか、と柄にもなく仲間たちを心配しながら、とりあえずは我らが部長を守るのが優先だ、と思うのだった。
繋いでいる手が濡れてすべる。
熱がこもって、冷たい雨に打たれているというのに体温は上昇するようだ。
「真っ白だね」
「そうじゃの。雨と、霧か」
足元すらも白い靄がかかったように見え辛く、注意して進まねばそのまま崖から落ちそうで怖い。
それでも慎重に歩く真田がたのもしくて、触れるほどすぐ後ろにいる仁王が背後を守ってくれている。
そんなに過保護にしなくてもいいんだよ、と思うけれど、仲間に前後を挟まれているのは安心だった。
本当は自分がどちらかの役目だろう。
(部長だし、責任があるし)
けれどその役目を真田と仁王が譲るとも思えない。
真田がそんな性格なのは十年の付き合いでよく知っているし、仁王もおそらく、のらりくらりと交わすだろう。
食えない連中だなあ、と苦笑するしかない。
「あ、あそこ!白石たちや!」
ほらほら、と金太郎が声を上げて指をさす。
「ううむ、俺にはよく見えんが」
「えー。おっちゃん目ぇ悪いんとちゃうか」
「な、なんだと!」
そんなはずはない、と言いながら真田は目を凝らした。
金太郎はよほど目がいいのか、それとも野性的な勘で気取るのか、真っ白な霧の先を見て手を振っている。
「おおーい!!」
嬉しそうに叫びながら、それでもひとりで駆けだしていかないのは幸村たちを誘導するという役目をちゃんと心得ているからだろうか。
ひどく意外だけれど、そういうところは真面目なのか、と真田は彼への評価を少しだけ上げた。
こっちこっち、と促されて行く方向は道の脇にわずかに逸れて開けた茂みへと足を踏み入れる。
切り立った崖の下にぽっかりと空洞ができていて、どうやら白石たちはそこを避難場所と定めたようだ。
「助かったぜよ」
これで雨がしのげる、と仁王が呟く。
「幸村、入れ」
「うん」
「三人とも無事やったか、良かった。金ちゃんようやったで」
「おお!任せとき!!」
洞窟の入り口で濡れながらも出迎えた白石が、幸村たちを中へ誘導しながら金太郎の頭をわしゃわしゃと撫でくりまわした。
「いややわぁ、このままじゃ風邪ひいちゃう。幸村くん大丈夫ぅ?」
濡れたハンカチを差し出そうと小春が寄ってくる。
さすがのユウジも浮気か!とは言わなかった。
濡れ鼠状態の三人はかろうじて持っていたタオルをしぼって体を拭くのが精一杯だ。
髪の毛の先からぽたぽたと落ちる水滴がほてった首筋に流れて染みていく。
「ここで雨が上がるの待つか・・・」
「ううん、でもねぇ、この分じゃしばらく止みそうにないわよォ」
腕時計で時間を確認すると午後の2時をまわったところだった。
すでに到着予定時間を3時間もオーバーしている。跡部たちもそろそろ気にして捜索を始めているかもしれなかった。
「なぁ・・・・・・」
一番奥の方で壁に寄り掛かっていた謙也が体を起こして、声を上げる。
「何か、揺れてへん?」
「え?」
何度もタオルを絞りながら、幸村の頭を拭いてやっていた真田も顔を上げて外を睨む。
「ちょ、何言ってんすか先輩やめてくださいよ」
こういうときに冗談はなしやで、と財前が嫌そうな顔をしたが、そうしているうちにズズズ、と地面が軽く揺れて不穏な音が少しずつはっきりと聞こえてくるのが分かった。
きゃぁ、と小春がユウジにしがみつく。
どんな非常事態でも決して離しはせん、とばかりに真田が幸村の背中に手をまわした。
嫌な予感がする。
ぶるりと身を震わせながら、幸村が小さくくしゃみをした。