跡部が山奥にある変な洋館を買い取ったらしい。
朝玄関のドアを開けた幸村が開口一番そんなことを言ってきたので、真田は彼の家の玄関前で「おはよう」の「お」の形に口を開いたまま沈黙した。
全国大会を終え気が抜けたのか、少し体調を崩していた幸村は両親に涙ながらに訴えられたのがさすがに効いたのか、夏休み終了まで自宅療養中だった。とは言っても大人しく引きこもるような性格ではなく、もう平気だから、と両親を説得しては二、三日おきに部活へ顔を出している。結局何も変わっていない。
立海は付属校で全員がそのまま持ちあがりのため、三年のレギュラー陣も当然のように毎日部活に顔を出している。彼らの引退はもう少し後だ。大きな大会は終わったとは言え全国三連覇を逃したという課題は残っているし、後輩の指導もしなければならない。
「跡部がなんだ?」
「うん。あ、おはよう真田。わざわざ家まで迎えに来なくてもいいのに」
「おはよう」
後半のせりふには特に返さず促せば、幸村は今日も暑いね、と青々とした空を見上げながら大きく深呼吸した。
「跡部がね、全国大会の慰労会をやろうって。昨夜スカイプ飛ばしてきた」
「おまえまた遅くまで起きていたのか。きちんと規則正しい生活をせねばまた体調を崩すだろう」
「おまえは俺のお母さんか?」
ぼやいて、自分より五センチ高い位置にある幼馴染みの帽子を奪う。
おい、と抗議するのを無視してそれを自分の頭にのせてみた。暑い。ちらりと見上げると真田は渋い表情のまま、しかし帽子を奪い返そうとはしなかった。これはそのままかぶっていろ、ということなのだろうと勝手に解釈して歩き出す。
「真田がスカイプ登録しないから全部俺のところに連絡寄こしてくるんだよ。跡部も愚痴ってた」
「スカイプというのがよく分からん。ツイッターをやっと始めたとこなのだぞ」
「うん、真田にしては大きな進歩だよね。ついこの間までメールすらまともにうてなかったのに」
「・・・・・・・・・」
あまりな言い草に反論しようとして、けれどどうせ一を返してもその倍がまた返ってくるのを嫌というほど知っている真田は黙りこんだ。
「それで、行くのか、俺たちも」
その慰労会。
ややげんなりしながら隣りを見ると、幸村はそれはもう楽しげに奇麗な笑みを浮かべた。
美しいけれど、華やかに笑えば笑うほどろくでもないことになるのはよくよく知っている。
だが幸村がイエスと言えばそれは決して覆らぬ決定事項になるのだ。
「どうせ青学あたりも来るんだろうな。全国での慰労会っていうから、四天宝寺とかも来るかな」
あの派手好きの跡部のことだ。慰労会というのは建前で、面識のあるなしに関わらず大勢人を呼んで驚かせてやる腹積もりなのだろう。
「おまえは体は大丈夫なのか」
「大丈夫に決まってるだろ」
あれだけの試合をすぐ目の前で見ていたにも関わらず、相変わらず心配症だな、と幸村は笑った。
「おもしろそうっすね!!」
部室で着替えながらその話をした幸村に真っ先に食いついてきたのは赤也だった。
ネクタイを首に引っかけたまま抱きつくように寄ってきた後輩を、幸村のすぐ隣りに立っていた柳がノートで軽くつつく。
「しかし各人の事情もあるだろう。日程などはどうなっているんだ?」
「俺夏休みの後半はばーちゃんち行くことになってっからなー」
膨らませたガムをぱちんと割りながら言うのはブン太だ。
夏休み後半は数日間部活は休みになっている。宿題をためている者もいるだろうし、と最もその可能性の高いメンバーを何となしに全員が注目したが、当の本人はへらりと笑って嬉しそうに幸村の顔を眺めているだけだ。
「俺行くっすよ」
「俺はちょっとまだ分からないな」
ブン太とジャッカルは保留、と柳がすかさずメモをとる。
「仁王と柳生は?」
「私は部活のない日は夏季講習が入ってるんですよ。しかし調整はしてみます」
「ほぉ、意外と乗り気じゃの」
「そういうあなたはどうせさぼる気でしょう」
言いながらずり落ちてもいない眼鏡を押し上げる柳生だったが、仁王は僅かに首を傾げるとほそい顎をつまんだ。
「おもしろそうじゃの」
「え?」
驚いて振り向くのは赤也とブン太である。
「おまえそういうの行きたくない方だと思ってた」
「仁王先輩行くんすか!」
「珍しいね。予定がないなら一緒に行こうよ」
ね、と念を押すかのように幸村が言えば、もう確定である。
「楽しそうだよね」
にこにこしながらネクタイをおおざっぱにロッカーの内側に引っかけて、幸村は手になじんだラケットを持つとくるりとまわした。
「赤也も一緒にレギュラーで遠出することって試合の遠征以外でなかっただろ」
「そうっすよ!一年のとき柳先輩のペンション合宿置いて行かれたっす」
今だに根に持っているらしくふくれっ面をする後輩に思わず苦笑した。
「うん、だから赤也も今度は一緒に行こうな」
「はいっ」
いつもは生意気な奴だが、こうして素直に嬉しさいっぱいの笑みを浮かべられては誰も何も言えない。
「問題を起こすなよ」
真田もそう釘を刺すのが精いっぱいだった。