繋ぐ話






 鬼、と自称しそう呼ばれることもあれど、毛利にとって長曾我部元親とは餓鬼のようなものだった。確かに瀬戸海の覇権をかけて戦う武人ぷりは西海の鬼にふさわしい荒々しさと豪放さに辟易するほどだが、やはり中身はお宝という名の玩具を探して目を輝かせる幼い童子と大差ない。数日前に戦場であいまみえたかと思えば、ふらりとやってきて珍しい魚を釣り上げたのだと自慢げに見せてきたり、同盟を結んだからと月に数度勝手にやってきては殺気を放つ男の堅い膝の上でごろ寝をしていく。戯れに片目を覆う眼帯に触れれば一瞬だけぴりっと空気が凍って、さりげなく振り払われる。やはり弱点は弱点なのだな、とほくそ笑んで、いつか無事な方の目も抉ってくれよう、と機会をうかがい策を巡らせど、実行に移したことはなかった。深い海の色をした鬼の目が存外気に入っているのだと気付いたのは、衝突と休戦を幾度越えた先だったろうか。
 これで最後、これで最後と何十、何百と心の中で唱えた日々だったが、今度こそこれが本当に最後だろうと思ったのはいよいよ徳川方と豊臣方が挙兵したときだった。どちらにつくも中国のため。どちらを裏切るも毛利のため。そこに迷いはなく、また、鬼と殺し合いをするもためらうことはなかった。ただほんの少しだけ、時間が欲しかった。決して惜しんでいるのでもなければ悲恋だなどと思うことはないが、手放しがたいのは事実で。毛利、と語りかける潮に枯れた声や、半ば強引に抱き寄せる腕や、いちいち子供のように怒る目や、困ったように眉尻を下げて笑う口元がいつまでもそこにあればいいと思った。
 最後の夜。
 最後、とは、長曾我部が密かに徳川へ会いにいく算段をつけていると知った日の夜、である。その日に限って口数少なく、ただ何事かを考えている様子で静かに盃を傾ける鬼を見て、毛利は確信した。
 おそらく、彼はこっそりやってきたこの陣を朝になる前に抜け、三方ヶ原へ行くのだろう。そうして問いただすのだ。四国を強襲したのは本当におまえなのか、と。徳川は首を振るだろう。裏で情報戦を行い暗躍する雑賀衆もそろそろ合流する頃だ。そこで初めて長曾我部は自分が陥れられていたことに気づく。すぐ近くでこうして閨を共にした、毛利元就の策だということに。彼は怒るだろう。憎悪に身を滾らせ、殺しに来るだろう。そう考えると、ぞくりと熱いものが体内を走るのを感じる。
 来るがいい。
 我を殺しに来い。
 臓腑の隅から隅まで怒りで満たし、この首を取れ。
「何笑ってるんだよ。悪い顔しやがって」
 また何か企んでいるんだろう、と耳元で囁く声は何かしらの含みがあるようだ。そう感じるのはおそらく、自分がこれから起こることを予測しているからなのだろうけれど。
 うつむいていた顔をあげて嘆息する。
 この鬼と呼ばれる男の、優しい笑顔が好きだった。



 晴れた空に轟く突然の雷のよう。
 重いまぶたを苦労して開ければ、自分はまだ生きていて、自分を殺したはずの男がそこにいた。
「・・・なんぞ、これは」
「なんぞって、おまえ」
 自分でも間の抜けたせりふであることは重々承知しながら、訝しげに眉をひそめる。息苦しいのはやけに分厚い布団がかけられているせいだろうか。頭痛がし、体の芯が燃えているように熱い。吐く息が熱のようなのは、そのとおり体温が上昇しているせいだろう。それを自覚するとみるみるうちに具合が悪くなって、全身の痛み、特に腹部がひきつれるような痛みを思い出したように主張し出す。
 顔をしかめたのを見たのか、額に載せてあった手拭いを奪うと温くなったそれを水桶に浸し、きゅっとしぼって再び元ある場所に載せた。甲斐甲斐しく世話をする男と、記憶が途切れる前の男の表情とがどうしても一致せず困惑する。
「おまえでもそんな顔するんだな」
 淡々とした口調で言って、長曾我部は苦笑したようだった。
「・・・何をしておる」
「ご挨拶だな。ありがとうくらい言えねえのかよ」
「何の礼をしろと?」
 命乞いなどした覚えはない。捨て駒と呼ぶ家臣たちにも、あらかじめそのことは言い含めてある。我もしょせんは駒のひとつ。ゆえに、中国と、そして毛利のためいつ死にゆくやもしれぬ。そのときは取り決め通り次代に国主の座を譲渡し、仕えよ、と。人質にされようと決して交渉には応じてはならない。それは弱みを見せることになるからだ。だから、厳島での一騎打ちに敗れたこの身が生きていることなどありえぬ。
 動かぬ体を忌々しげに震わせ睨み上げると、文字通り鬼の形相で碇槍を振り上げて襲ってきた男の殺気はすっかり鳴りを潜めており、己自身困惑しているとでも言いたげに頭の後ろをかいてそっぽ向いた。
「仕方ねえだろ。とどめ刺したと思ったらあんたしぶとく生きてやがったんだ。決着はついたし、野郎共も・・・」
 そこまで言って一度言葉を切ってから、二度深呼吸をして横になっている毛利をじっと見た。
「泣きやがるんだ。元の俺に戻ってくれ、ってな。復讐に駆られた鬼神ではない、大海原を駆ける西海の鬼でいてくれってあいつらがよォ」
 毛利は知らない。死んだと思った彼の体を抱き抱え、慟哭する長曾我部を、彼と、そして毛利の配下たちが泣きそうな顔で見守っていたことを。ふたりに近しい者たちの中には勘付いていた者も多かった。戦乱の世でさえなければ、ふたりは互いに憎みあいながらも愛し合うことができたのではないかと。悪態をつきながら、本気で刃を交わらせながらその瞬間瞬間を楽しんでいたことを。本気で殺し合い本気で愛し合うことの意味を、長曾我部も毛利も気づいてはいなかったのだろう。
「すべてを水に流すわけにはいかぬ」
「ああ」
「我らの間だけではない。駒どもも、そして貴様の部下どもも、互いを憎むだろう」
「分かってる」
「それでも、」
「それでも。それでもだ!家康は太平の世をつくると言った。争いのない平和な日の本だ。正直言って俺には絆とか、よく分からねえ。散々殺し合いをして血を流して、それでも生きなきゃならねえ。国を守るってのはそういうことだ」
 それはおまえも同じなんだよな、と。初めて気づいた、という顔で長曾我部は言った。
「俺が勝った。あんたは負けた。これで決着だ。そうだろう」
「敗軍の将は首をとられるが宿命よ」
「嫌だ。いやだ、あんたのことを忘れることも、殺すこともできねえ!」
 いやだいやだと、童子のように床を叩き、布団の端を掴んで首を振る。
「あんたをここに閉じ込めてでも殺させたりしねえ」
「我を飼殺しにするつもりか」
 ふ、と自嘲するように笑うと、長曾我部はゆっくりと体を起して、情けない顔を晒した。
「そんなことできるとは本気で思ってねえよ」
「そうであろうな」



「けどよォ。今後のことはちょっと置いておいて、しばらくここに滞在するんだしちょっとは礼のひとつでもくれていいんじゃねえの?」
「ふん。泣いた鬼が今度は取引を持ちかけるか。先のは演技か」
「あんたじゃあるまいしそんな悪だくみできるかよ」
 ちぇっ、と唇を尖らせると、僅かに湿った目尻を乱暴に指でぬぐい、ぐいと体を折り曲げて布団の上の毛利をまじまじと見た。
「助けてやった礼と、これから看病してやる礼と、それからそのうち中国に返してやる礼をもらうぜ」
「つくづく阿呆だな貴様、は、・・・・ッ!」
 おもむろに鼻先を近づけ、びくりと震えた肩を上から押しとどめるように掴んで抵抗を防ぎ、猫か犬にするように顎の下の匂いをかぐ。薄い皮膚の上を銀色の髪がさらさらとすべってくすぐったい。思わず身を捻ってたくましい肩に爪をたてたが鬼は全く動じずに耳の裏を鼻でくすぐり、両手の手首を捕まえて布団の上にはりつけにした。まじかで見つめる青い目はいたずらっぽく光っていて、ほんの少しの劣情と、からかいとが混じっている。
「こんな日輪の高いうちから、貴様・・・」
「へえ。じゃあお天道さんが沈めばいいのかい?」
「そういう、意味では」
「じゃあどんな意味だ?なぁに恥ずかしがることはねえ。俺野郎共の前で言っちまったし」
「何を!?」
 ぎょっとして目を剥くと、長曾我部は耳の軟骨に舌を這わせながら、告白した。
「死んだと思ったあんたの体抱き抱えて泣きながらよ、あんたのこと好きだったのに、て」
「なっ・・・」
 その場面を脳裏に思い描き、毛利は見る間に顔から耳から首まで真っ赤になった。きっと眦を吊り上げじたばたと攻撃しようとするが、重傷を負い熱をもった体では通用するはずもなく、抑え込まれたままほどなくしてぐったりと力尽きることになる。
「周知の事実ってやつだ。もうこそこそする必要はねえだろ?あんたがまだ息があるって知ったとき野郎共も俺に良かったっすねー、なんて言ってやがったんだぜ」
 それはどう考えても、毛利元就に同情したのではなく、敬愛する「アニキ」を思ってのことだろう。そもそも人の許しもなく勝手に人目のある中でそのような恥ずかしい真似をするなど万死に値する行為である。
「だから遠慮しなくていいって」
「何の遠慮だ!貴様脳が沸いておるのではないか!?」
 しつこく顔のあちこちを指で触れるのをばしばしと叩き返しながら叫ぶ。
 だが埒が明かない。長曾我部は罵声を次々と浴びせる毛利を何故か心底嬉しそうに見返しながら、ああやっぱりこういうのが好きだ、とぽつりと呟くのだった。




「チカナリへの3つの恋のお題:優しい笑顔が好きだった/青天の霹靂/真昼だって構わない(http://shindanmaker.com/125562)」を繋いで一本のお話にしてみた。