「醤油が切れた」
「は?」
いきなりの同居人の暗い顔と言葉に、思わず間の抜けた声を上げながら元就は振り返った。
季節は冬、体が温まるし手抜きでいいやと夕飯は鍋にしたふたりだったが、思わぬ落とし穴を今頃発見、といったところか。
ストーブの前で洗濯物を畳んでいた元就がくっきり眉間に皺を寄せる。
「今頃気づいたのか」
「今頃気づいた。ていうかもう野菜切って鍋に放り込んだところまで終わってるんだが」
「あとは?」
「煮汁作って蓋をしておしまい」
「・・・・ばかチカ・・・」
はああ、と同時に溜息をついて、元親はハンガーにかけたコートを手にとった。
「ちょっと借りてくる」
「待て」
こういうときすぐ近所に知り合いがいていいよな、と思いながらコートを羽織る元親に、元就が携帯を手にしながら立ち上がった。
「どうしたよ」
「いや、そなた今日スーパーで竹中と会ったと言っておったであろう」
「ああ、あっちも今夜鍋にするってさ」
かつての豊臣軍の軍師竹中半兵衛は、現在豊臣家のお母さん役をやっているようだ。今も昔もあまり変わらない、とふたりは思っている。
おとーさん役は豊臣秀吉。高校の教師をやっている。おかーさんは竹中半兵衛。秀吉が勤務する高校の付属大学で学生をやりつつ図書館のバイトをしている。もうひとりのおかーさんに大谷吉継がいる。彼は歴史小説家としてそこそこ有名な賞をとったりしているらしい。息子役は当然石田三成。両親が海外に住んでいるため親せき筋の豊臣家に居候している。良かったな三成、と元親は実に微笑ましく彼を見守っていた。元親と元就は、大谷のぞく豊臣家の人々とほぼ毎日学校の敷地内で顔を合わせる。つまりふたりとも高校生。なぜ実家を出て同居しているかの説明はいずれするかもしれないししないかもしれない。
そんな豊臣家と元親・元就両家はご近所さんである。醤油が切れたからと買出しに行くより借りに行った方が断然早い、そのくらいの距離に住んでいた。
「ついでだ。ちょっと電話しろ」
「あ?」
「鍋ごと持って豊臣家に襲撃に行くぞ」
「あ、なるほど」
突然出向いても迷惑かもしれないとかそういう考えは元就には通用しない。ついでに元親も、大勢で食べる鍋はうまいよな、といった程度の考えしか浮かばない。なんだかんだでマイペースを貫くふたりは戦国時代より数倍うまくいっていると言っても過言ではないだろう。背負うものと言えば自分の人生くらいのものなのだ。軽い軽い。
ぽんと放り投げられた携帯を操作して、元親は三成に電話をかけた。しばらくして無愛想な声が返ってくる。
『元親か。なんだこんな時間に』
「おまえんち今日鍋やるんだろ?」
『はあ?ああ、そうだが』
「今からうちの鍋もって行くからよ」
『あ?』
「材料は全部ぶっ込んであるんだ。足りないの醤油だけ」
『ならば醤油だけ借りに来ればいいではないか』
「固いこと言うなって。じゃ、よろしくな!」
『あっ、おい!』
何やらまだわめいている三成を無視してぶちっと通話を切断する。
振り返るとすでに元就はコートに耳あて、手袋にマフラーと完全防備でばっちりだ。促されて、元親もコートを羽織ると手袋の代わりに鍋つかみを装着し、鍋を抱えて持ってくる。実にシュールな光景だが、どうせ徒歩五分程度の道のりだ、問題ない。
「あ、そういやおまえんとこの実家から送られてきたカステラまだ残ってただろ。持っていこうぜ」
「そうだな」
何かと弟を心配する兄のおかげで、ふたりはおやつに事欠いたことがなかった。豊臣家にものを借りたときはお返しにお菓子(ただしすでに封を切られている)を返すのが習慣になっている。
ごそごそと食べかけのカステラを風呂敷につつんで、財布をポケットに入れると元就が元親をせかして家を出た。
「さむっ」
「早く春になればいいな」
「だよなー。でも寒い時期に食べる鍋は最高だよな」
「毎日鍋でもいいな」
「そうだな」
他愛のない話をしながらのろのろ歩くこと五分。
立派な門構えの一軒家の前、煌々と明かりのついている玄関でブザーも鳴らさず元親が大声を張り上げた。
「うおーい!!」
どたどたと荒い足音が響いて、きっかり五秒後ドアが開いた。相変わらず無愛想な顔に少しだけ不機嫌そうな色をのせて三成が舌打ちする。
「貴様ら、いきなり・・・!」
「寒い。早う中へ入れろ」
「あのな・・・」
ほれほれ、と三成を押し返しながら無理やり玄関の中へ入りぴしゃんと扉を閉めた。ほんの少し外を歩いただけなのに、足元からぶるりと底冷えが広がってきて鳥肌がたつ。
「おや、いらっしゃい」
ひょい、と顔をのぞかせたのは半兵衛である。
「本当に鍋ごと持ってきちゃったんだ?いいのに、普通にうちで食べていけば」
「だって作っちまったんだもんよ。醤油貸してくれ」
「はいはい」
入りなよ、と促され、仕方なさそうな三成を置いてふたりはずかずかと中へ入りこんだ。何度も訪れた豊臣家、勝手知ったる、といったふうに、元親は鍋を抱えて半兵衛とキッチンへ、元就はカステラを半兵衛へ手渡すと、リビングへと向かう。
「ふむ、床暖房か。贅沢な家だ」
床暖房設備が整っていていいな、と元就は思う。さすがに高校生ふたりぐらしのアパートにそんな洒落たものは存在しない。
リビングへ続くドアを開けると、外とは別世界だ。ぽかぽかと暖かい常夏である。ストーブではなくエアコンというところがもうすごい。ふたりでの生活は質素すぎるほどで、電気代の節約のためエアコンは入れないことにしている。まだ高校生なのに涙ぐましい努力をしているというのに、豊臣家には節約とかエコとかそういう単語は存在しないらしいのだ。夏だってガンガンクーラーをかけているので、よく涼みに来る。
「おや三成、どうしたそんな渋面作って。ほれ毛利よおこたに入れ。寒かったろう」
「ああ」
新聞を読んでいた大谷が促した。元就の後についてきた三成はむっとした顔を崩さないまま、大谷の隣りに座り込む。最もテレビが見やすい位置には秀吉が陣取っていた。軽く会釈をすると無言でそれにうなずく。過去のしがらみがどうとかはいまさらのことで、単に秀吉は無口なだけである。機嫌の良い悪いは半兵衛あたりはすぐに分かるらしいが、この教師の考えていることはさっぱり分からない、というのが学生たちの間での共通認識だ。
「ほらほら、テーブル拭いて。吉継くんは新聞片付けて」
「あい、あい」
「くぉら元就、手伝えよ!」
「断る」
即答して、ぬくぬくとこたつにもぐりこんだ。幸せだ。冬はこたつにはいってぬくぬくするために存在しているのだと元就は本気で思っている。あとみかんとお茶があれば最高だ。
ぐつぐつと煮えたぎる鍋がふたつ、長方形の大きなテーブルのど真ん中に鎮座している。アク抜きやら材料を入れる仕事は元親と半兵衛に任せて、あとの四人はひたすら箸を動かしていた。
「おい毛利、貴様は少し遠慮したらどうだ!」
見かけによらず大食漢な毛利の食べっぷりに三成が文句をつけると、皿の中を肉と野菜で大盛りにした元就がじろりと睨んだ。
「何故我が遠慮する必要があるのだ。そなたこそ昔はろくに飯など食わなかったではないか、現代でも食わず寝ずを貫き通せば良かろう」
「こら喧嘩しないのふたりとも」
いつものやりとりなので誰も気にしない。やんわりと半兵衛が制止して、鍋に蓋をした。
「お肉足したからしばらく煮詰めようね」
「あ、いいもん飲んでるじゃん秀吉さんよ、それ俺にも・・・」
秀吉が手酌で飲んでいた日本酒を目ざとく見て、元親がすり寄る。
「おい未成年」
「よくもまあ教師にそんなことが言えるものよ」
秀吉と大谷ふたりから同時に突っ込みが入る。
「いいじゃん、ちょっとくらい。あ、そういや正月お屠蘇でぐでんぐでんに酔っぱらったやつがいたなあ」
にやにやしながらちらりとこちらを見る元親に、元就がぎりぎりと睨み返しながら鼻を鳴らす。
「ふん、そういうそなたこそお年玉もらったそばから使い果たして泣いていたではないか。まあ銀行振込みなどと情緒のない小遣いだったわけだが」
「うるせー!男には思い切りが必要なんだよ!」
ちっ舌打ちしてからそっぽむく。
「え、お年玉もう全部使っちゃったの?」
「浪費癖は治らんな」
ネットで注文した大型のプラモデルが届いたら、こいつの部屋はどうなるのだろうと思いながら元就は笑った。子供じゃあるまいし、といつも思うが、元親いわくプラモは子供ではなく男のロマンなのだと言う。自分にはさっぱり理解できない分野である。
「あれ、そういえばふたりともお正月は実家に帰らなかったのかい?」
「帰ってない。どうせしょっちゅう帰ってるし来週の連休帰るし」
「我のところも同じだな」
休みに実家へ帰る日はお互い合わせてあるのだという。
「ふうん、そんなものかなあ。現代っ子て」
彼らに投げるにしてはいささか珍妙なセリフではあった。
しかしそれにしても笑える光景だ、と大谷は箸をせっせと口に運びながらちらりと周りを見た。
かつて日ノ本を統一せんとした豊臣秀吉、彼の相棒にして最大の理解者竹中半兵衛。現世でも寄り添うように生き、また同じ場所に三成と自分がいるのだ。もちろん自分もだが、それ以上に三成が幸せで良かった、と心底思う。今でも人付き合いは不器用すぎるほどだが感情豊かと言ってしまえばそれもいいだろう。
長曾我部元親と毛利元就のふたりがここで一緒に食事をとっているのも、すでに見慣れた光景ではあるがやはり奇妙としかいいようがない。相変わらず仲が良いのか悪いのか、いや同居するほどなのだから仲の良い悪いどころではないのだろうが、言い争いをやめようともしない。
(やれ、メデタキナ・・・?)
ヒッヒッと喉の奥を鳴らして笑うと、三成が怪訝そうな顔で見つめてきた。それににやりと笑みで返すとぷいと目をそらされる。
「肉団子余りそうだねえ」
「大量に作ったからな」
ぼそりと答える秀吉に元親と元就が同時に振り向いた。
「え、あんたが作ったのか?えっ?」
「いまどき男子も台所事情に精通しておかねば」
「真顔でおもしろいことを言うな」
「いやおまえが言うな」
真顔で突っ込む元就にやはり真顔で三成が突っ込んだ。どうでもいいが六人中三人が無表情というのもどうかと思う。もう少し愛想というものを学んでほしい、ああでも秀吉がニコニコ笑いだしたらなんか怖いからいいや。などと考えながら半兵衛は肉団子が山盛り乗った皿にラップをかける。
「明日お弁当に入れてあげるね」
「へえ、弁当作ってんだ?愛妻弁当ってやつ?いいねえ」
職員室で、大きな体を丸めて半兵衛作の弁当を食べている豊臣先生、という絵面を想像すると何とも言えないシュールさがある。どんだけでかい弁当箱なのだろう。
「毎日じゃないけどね。さすがに僕も朝早いときは無理だし」
「たまにだからいいのだ」
「なるほど」
なぜかぼそりと呟いて、元就は少し遠い目をした。
「どうした?」
「いや、別に」
それよりご飯おかわり。
いつの間にか空になっている茶碗を差し出して、元就は弁当のご飯にハートマークを描く職人技を思い浮かべたが一瞬で破壊した。
「毛利貴様ァ!三杯目だろうが!少しは遠慮しろ!」
「断る!!」
また始まった。
飽きずに争うふたりをうんざりしながら眺めつつ嘆息する元親に、主も苦労するな、と大谷がまたヒッヒッと笑った。