捨て駒の鑑




 
 面倒くさい。
 深々と溜息をついて、元就は足を止めるとずいぶん小さくなった男の背を眺めた。
 わらわらとわき出てくる敵兵を薙ぎ払いながら、後ろをかえりみることもせずただひたすら走って行く。
 そんな西軍総大将にしてこの度の戦の将を心底面倒なやつだと思った。
 なぜアレの供を自分がしなければならないのか全く理解不能である。
 見れば毛利方の兵たちも困惑したように、主の反応をうかがっていた。石田の兵たちはもう慣れているのか、ひとり突っ走る石田三成を必死に追いかけている。まるで追いかけっこでもしているかのようだ。おまえら何しに来た。
「元就様・・・」
 おそるおそる、声をかけてきたのは清水宗治だった。城をまだ年若い息子と忠実な家臣たちに任せて、元就に従い常にそばにいる。
 この清水のことを元就はひっそり胸の中で捨て駒の中の捨て駒と呼んでいた。この男は自分の命など惜しくはないと公然と言い放ち、元就の盾となって戦うことを選んだからだ。幾度も元就をかばい大きな傷を負ったが不思議なことにまだ生きている。悪運の強い人間というのはどこにでもいる。彼の評判は上々で忠臣と名高いが、元就にとってはそれ以上に良い盾であり捨て駒であった。
「元就様、いかがいたしましょうか」
「どうするとは何だ。追うに決まっておろう。ただし急がずとも良い」
「は。急がずに追うのですか?」
「我は疲れた。茶の支度をせよ」
「は、ははっ」
 戦場ど真ん中である。が、敵兵はほとんど三成を追いかけて遠くへ行ってしまったし、残りの残党もやる気のない負傷兵ばかりで脅威になるものはひとりもいない。
 ちなみにこの小田原城へ攻め入ってまだ五分もたっていないので疲れるも何もないのだが、主の言うことは絶対である。
 清水は疑うことなく頭を下げた。ぱしぱし、と両手をうって部下を呼び、桜の木の下にゴザと布とふかふかの高級座布団を二枚重ねて手を差し伸べる。元就は具足を外すとついでに沓もぽいと脱いで大儀そうに座布団に腰をおろした。すぐさま熱いお茶といちご大福が運ばれてくる。
 何度も言うがここは敵陣の真っただ中である。が、戦などどこ吹く風で優雅にお茶を楽しむ彼を、止める者はここにはいなかった。
 清水は当然のように元就のすぐそばに立ち周囲を警戒するように睨む。大事な大事な主のお茶の時間を邪魔する愚か者は成敗しなければならない。ところでここに何しにきたんだっけ?まあいいや。
 と、のんびり花見を(元就が)楽しんでいると、何やら地響きのようなものが聞こえてきた。門の向こう、城の方角から土煙がもうもうと立ち上がりこちらへ近づいてくる。元就ははっきりと嫌そうな顔をした。埃がたつではないか。
「敵か!?おのれ元就様のお茶の時間を邪魔立てしようとは無礼な!」
 獲物を構えて腰を落とす。その周りにも彼の部下たちがぞくぞくと集まって元就の目の前に強固な盾を築いた。
「もおぉぉおおおぉおぉおりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「な、なんだ?元就様の名を呼び捨てるとは無礼極まりない・・・」
「お、お待ちください清水殿、あれは」
 カサカサとものすごい勢いで走ってくる細い影。あらぶる前髪。その尋常でないスピードはここから城内へひとり走り去ったあの姿そのもので。
「い、石田殿・・・」
 そして三呼吸のうちに石田三成がずずずっと地面を滑りながら駆け寄ってくる。
「貴様ァ!!ここで何をしている!!」
「はァ?」
「『はァ?』だと?この期に及んで『はァ?』とは何だ!」
 思いきり人を馬鹿にしたような顔で茶をすする元就に三成は刀の先をちらつかせながら詰め寄る。
 慌てて清水たちが元就をかばうように割って入ったが、強引に押しのけられてたたらを踏んだ。細い体のくせにやけに力がある。さすがは豊臣の左腕、などと感心している場合ではない。
 清水は必死に主を守ろうともがいたが、元就はそれをすげなく手で払った。まるで虫を振り払うような仕草だったが、その白い指の先がわずかに清水の腕に触れてびりびりと電流が走ったように熱くなる。
(も、元就様が触れて下さった!!)
 もう一生この腕洗えない。
「どうした石田。もう片はついたのか」
「当然だ!奇襲は成功した、この城は我が豊臣のものだ!」
「そうか。では帰るとするか」
「ちょっと待てぇ!貴様何もしていないではないか!何をしに来たのだ!」
 襟元を掴みかかろうとするのはひょいと交わしながら、元就は四つ目のいちご大福をもちもちと頬張りながら、
「花見ぞ」
 きっぱり言い切った。あまりにさらっと当然のように言い放ったので、一瞬三成は言葉につまった。その隙が人生経験の差、もしくは年の功、そうだ元就様は素晴らしいお方なのだ。(清水談)
「馬を寄こせ」
「はっ」
 硬直したまま目を泳がせている三成は、おそらくここにはいないはずの大谷を探しているのだろう。
 少し離れた場所で心配そうに石田軍の兵士らが見守っている。
 ああ大丈夫かな三成様、おろおろ。
 だがこれ以上近づけない。石田軍の兵士に限らず、西軍に属する者たちは皆一様に元就が苦手だった。慣れている長曾我部軍の野郎共はそうでもないが、やっぱり近寄ろうとしない。雰囲気がぴりぴりしているし口を開けば流れるような罵倒がだんだん心地よくなってきて開けてはいけない扉を開きそうになる。
 あの冷やかな目で一睨みされると石になったように動けなくなる。どこかの国では目を見ると石にされてしまう女の妖怪がいると言うが、もしかするとその眷属なのではないだろうか。美しさのあまり見つめているときっと足から根が生えて地面に釘づけにされた挙句延々と罵倒されて恍惚に浸っているうちに命を吸い取られるに違いない。メデタキな。
 清水は主の具足を部下に持たせたままそれはそれは恭しい手つきで沓を履くのを手伝い、立ち上がると元就が馬に乗りやすいよう肩を少しだけ下げた。とん、と小さなてのひらがそれを掴み、やはりびりりと熱くなる。肩こりとは無縁なのはきっと元就様のおかげだ、なんとありがたいことだ。
 元就は手綱を清水に持たせると、軽く馬の腹を蹴った。
 彼の愛馬である真っ白な日輪号がひとつ嘶いて、三成がはっと振り向く。
「きっ貴様ッ・・・」
 文句を言おうと口を開きかけたが、元就はさっさと背を向けて城を後にしてしまった。ぽつんと立ち尽くす彼の背を部下がそっと押す。
「参りましょう三成様。刑部殿が待っておられますよ」
「あ・・・ああそうだな」
 結局あの男は何のためについてきたのだ。花見か?花見のためについてきたのか?
 帰ったら刑部に文句を言って官兵衛に八つ当たりしようそうしよう。
 そう腹に決めて、三成はなんだか疲れたようにとぼとぼと歩いて大阪城へ戻るのだった。