隔てた世界 1






 穏やかな波がざ、ざ、と音をたてるのを、元就は静かに眺めていた。
 何かが劇的に変化したわけではない。それでも彼の置かれた環境はほんの少し、申し訳程度に何かが変わって、第三者の目からすればそれは軟禁、もしくはあまりに軽い処罰だと言う者もいるだろう。
 徳川と石田による関ヶ原での戦は、ひとりの風来坊の乱入という闖入事件によりあやふやなまま幕を下ろしたかのように見えた。
 小競り合いは続くも天下はすでに徳川の世へと動き出している。
 石田や大谷がどうなったのか、それもまたこの静かな西国の海までは届かない。
 ただ大谷の病状が悪化したため石田軍は瓦解も寸前だと風の噂で聞いただけだ。さもありなん。下地から戦略まで全てを大谷に頼ってきた石田がひとりで東軍と戦えるはずもなく。私怨であるならばそれは戦ではなく、一騎打ちでもだまし討ちでも何でも勝手にすればいいのだ。友、と呼ぶのだろう存在を失いたくなければ初めから戦など起こさなければ良い。
 劣勢であった西軍についていた元就は戦から手を引き、あっさりと隠居して跡目を次代へ譲ると厳島へと引きこもった。
 神域であり、幾度も血に汚れては洗われてきた小さな島。それ自体が信仰される、特別な場所。社の奥に小さな庵を建て、海を眺め、茶をたて、気まぐれに書を紐解いては祈る日々だ。
 だがこれまで違うのは、彼は常に監視下に置かれているということだった。
 大谷との共謀、徳川の仕業と見せかけ黒田を利用した四国壊滅。憎悪、怨嗟、怒り、その末の一騎打ちと血の穢れと。雑賀衆の情報を頼った長曾我部は真実を知り、厳島で元就と最後の戦いに挑んだ。どちらもそれが「最後」であろうことは分かっていたつもりだった。ただ、殺したと思った相手がしぶとく生きていて、死んだ、と思った自分がまだ生かされている。討ったと思った瞬間長曾我部元親の中の様々な思いはどこかへ深い場所へと沈んでいったようで、彼は元就にとどめを刺そうとも、処刑を望むこともせず、ただ死んだ多くの部下たちの墓の前で声をあげて泣いたと言う。
 毛利元就なくして大国である中国が平穏であろうか。真っ先にそれを危惧したのは徳川だった。だからこそ、毛利元就という人間を処刑することはできなかった。隠居させ、居を移し、監視下に置くことで周囲を説き伏せることができたのはいつでも国々が危うい状況にあることを誰もが知っていたからに他ならない。
 おそらく誰もが勘違いをしている、と元就は考えている。彼は長曾我部元親という男にはなんら興味はなく、四国の領地が欲しいと思ったことなど一度もなく、ただ瀬戸海は毛利が所有する領海でありそこを荒らす海賊は悪である。ただそれだけのことだ。何故こうもあの鬼が手出ししてくるかまるで理解できぬ。
 覚えさせてやる、とかつて不敵に笑いながら大きな得物を突き付け、そうして今度は身勝手な振る舞いで勝手に罠にかかった挙句忘れてやる、と慟哭する。
 くだらぬ。短慮すぎて呆れる以外なんの感情も湧かない。
 ただ、一騎打ちで勝負に負けた、という事実のみが横たわっておりそれが忌々しくてたまらぬ。かなうならばもう一度戦いたい。そうして今度こそ海の藻屑としてやりたい。あの鬼が血を吐いて死ぬ様を見れば、きっとこの、胸中に汚泥のように溜まっているどろどろした何かも綺麗さっぱり失せるだろう。
 だが事実上蟄居の身である。厳島から出ることすらかなわぬ身でどうして鬼退治ができようか。そしておそらく、もう二度と鬼はやってこないだろう。
 身内がここを訪れることには何の制約もない。こうしてひとり静かに暮らしているだけだと言うのに、跡目を譲った現毛利家当主隆元や、両川として隆元を支える吉川元春、小早川隆景と言った面々も特に用はなくとも訪れてはあれこれとやかましい。暇さえあれば重臣宍戸隆家に嫁いだ娘もやってくるし、最近隆元の正室が孕んだのだと一族総出でここへやってきて宴を催していった。さっぱり意味が分からない、と元就は嘆息する。もしかしてひとり寂しがっているなどと思われているのだろうか。
 たん、たん、たん、と規則正しい足音が響いて、やがてがらりと背後の障子が開いた。ふわりと香るなじみのある匂いに思わず振り向きそうになるが、堪えて知らぬ振りをする。この気配は、違う。
「ただいま戻りました、父上」
「隆景か」
 ようやく振り返ると、そこには海上よりすぐさま駆けつけたのだろう、三番目の息子が穏やかな顔で平伏している。
「は。あまり四国へは近づけず常に監視されておりますゆえ、なかなか思うような偵察とは行きませぬが」
「よい」
 そして小さく、大義であった、と小声で付け加えた。
 物珍しそうにやや目を細めると、元就に良く似た顔立ちの三男坊は微かに微笑んだ。
「奪われたかの宝物、やはり四国にあるか」
「おそらく。ですが、それと知っての狼藉ではないようです。金目の物をとりあえず強奪したと言ったところでございましょう。罰あたりにもほどがある」
「鬼は神仏を恐れぬ。ゆえに悪鬼よ」
「まことに」
 お宝だと意気込んで奪ってみれば、それが呪いの宝具であるとも知らずにありがたがっているのだろう。鬼にふさわしい愚かな所業である。
「さて、あの悪鬼はいかにするか思案どころよな」
 ふむ、と扇子をぱちんと閉じて唇に押し当てる。
 うつむいた拍子にできた影に鋭利な美貌が一瞬老獪なものに見えて隆景は音を鳴らさぬよう咽喉を鳴らした。
 これもまた呪いなのだろう、と父は言う。だが、物ごころついた頃より変わらぬ父の容姿は日輪と、そして厳島の神から与えられた加護であると皆は信じていた。ゆえに、畏れはするがそれは神格化した存在への畏れであり、あやかしに対するものとは全く別の感情である。
「慌てだすのに五年か十年か・・・あの愚か者が呪われし宝具の存在に気づくまで無駄に時間をかけるであろうな」
「しかし、それまで放置するわけにもいきますまい」
 奪還を、と隆景は片膝を立てて詰め寄る。
「そもそも父上、宝具にかけられた呪いとは何なのですか?それを封じるは毛利家当主の務めと聞いております。兄上は御存じなのでしょうか」
「否、あれにはまだ力量が足りぬ。ゆえに我がなす務め」
 呪いとは。
 にやり、と赤い唇を上げて元就は言った。
「老いることを止める、あり方によってはめでたき神器よ」
「それは・・・・・・では、父上」
 慌てて口を開く隆景を制し、元就はゆっくりと立ち上がった。
 すでに日輪は傾きかけており、群青色の混ざった赤い空に鳥居が映える。最も美しい情景のひとつだ。
「詣拝する」
「父上」
 困惑しながらもつられて立ち上がる若者をちらりと見上げ、ぞくりとするほど艶やかに笑う。
「人が老いねば末路は鬼よ。あれに何の加護があろうか」
 やがて鬼よあやかしよと石を投げられ、果てはどこぞへ投獄されるか殺されるか。
「見物よな」
「父上と宝具とは関係ありませぬか」
「ない」
 ゆえに我はひとつであり白である、と彼は赤い空を睨んだ。 


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 家というものは代替わりするものである。元服して三十年もすれば次代に引き継ぐのが妥当だろう。しかし、毛利家新当主毛利隆元は考える。
 毛利家は、そしてこの中国は、誰のものだろうか、と。
 たし、と踏みしめる冷たい板の廊下を渡り、涼やかな潮の風を受けながら御簾が垂らされた奥座敷へと向かう。ちっぽけな庵は隆元が息子を元服させたと同時に改修して屋敷とした。知らぬ者が見れば社を守る神官の住まいだと思うかもしれない。だがこの奥屋敷は神聖な場所とされ毛利の身内とごく僅かな許された者しか立ち入りができなかった。ふと鼻をくすぐる香がたちこめているのに気づく。まるで海の匂いをかき消すように、それは昼夜問わず常に焚かれていた。いつからだろう、何かを待ち切れぬと、そうして常に香を聞くようになったのは。
「失礼つかまつります」
 御簾の前で膝をつき平伏すると、ぬ、と白い腕が伸びて豪奢な打ち掛けの袖と共にそれが御簾を開いた。ふわ、と伽羅香が一瞬強くなる。
「お客様?」
 高くも低くもなく、ただ品良く落ちついた女の声。
 はっとして顔を上げる隆元が目にしたものは、童女のような熟した女であるような、何とも不思議な雰囲気を持つ美しい女だった。思わずぽかんと目と口を開いて間の抜けた顔を晒すも、慌てて居住まいを正して頭を下げる。
「申し訳ござりませぬ。とんだ無礼を」
「え?」
 女は小さく声をあげて首を傾げたようだった。
「良い、入れ」
 奥から知った声がする。低く落ちついた声音は戦場を駆けていた頃よりはずっと穏やかではあるが、拒否を許さない威圧感は健在であった。無意識のうちに背筋を伸ばし唾を飲み込む。この厳しい父親に、幼いころからどれだけ叱責されてはひとりしくしくと泣いたことだろう。しかし長い人質生活の中でいつも思い出す家族のぬくもりはその父親の恐ろしい顔と声だったことも確かである。誰もが、人形のようだ、とため息をつく美しい容姿と冷酷な目つき。畏れてはいたが誇らしくもあった。血を分けた親子ながら、神のような人だと何度となく思ったことか。
「お客人でございますか」
「気にするでない」
 おのれがこの世に生を受けて三十年近く。目の前に座っているのは少しも変わらぬ容姿を保つ父である。すでに現在の自分より年下にすら見える。
 こざっぱりとした羽織袴姿に胡坐をかき、脇息に持たれて膝の上にある巻物を解いており、案外と崩した様子に隆元は複雑な思いを抱いた。
 まず目の前のこの女性は誰なのか。誰かに似ているようだが見覚えはない。さらに、女の前でこれだけくつろぐ父の姿というのも珍しい。たとえ身内の前であろうとほとんど姿勢を崩す事のない男だ。
 脳裏にあらゆる疑問を浮かべる隆元はその通りの表情を浮かべていたのだろう、女ががくすりと笑って口元を袖で抑える。
「退屈しのぎはお済みのようで」
「え、」
 あ、と隆元が声をかける暇もなく、女は元就に挨拶のひとつもせずに出て行ってしまった。風のような、あまりに自然な動作に引きとめる言葉すら出て来なかった。
 慌てて隆元は元就ににじり寄る。
「父上、あの女性はいったい」
「隆元。そなた、何か我に報告することがあるのであろう」
「は」
 遮られてしまってはそれ以上何も尋ねることはかなわない。それは聞くな、という意味なのだろうと隆元は理解した。すでにとうの昔に正妻である隆元の母は亡くなっているし、側室は何人かいるがそれぞれ子育てにいそしんでいる。いまさら若さと美貌を保ったままの父に新しい妾ができようとそれをどうこう言う者はいない。
 ただ、ひどく不思議な女だった。まさか遊女の類ではあるまい。貴族のような気品に満ちており、育ちの良さが滲み出ていたし、娼婦特有のいやらしい色香は感じられなかった。童女のようだ、と一瞬でも思ったのはそのためだろう。
「江戸より文が届いております」
「・・・徳川か」
「は」
 細い眉がぴくりとわずかに跳ね上がった気がして、隆元は目を伏せた。明らかに元就の機嫌が急降下するのが分かる。
 名家である大毛利の頭を押さえつけ監視しているのが徳川だ。恭順の意を示しているとはいえ、敵視しているのは双方ともに分かりきっている事。それでも緊迫した危ういバランスの上にふたつは繋がっている。やがて日の本が安定し戦の火種が尽きた頃には、毛利家は取り潰される可能性が大いにある。そのための先手を、果たして元就が打てずにいようか。
 隆元と毛利の家中が不安に思いながらもどこか安穏としているのは全て元就の存在に寄るところが大きい。すでに隠居した身である彼にいつまでも頼るわけにはいかないのだけれど。
「何故そなたがわざわざ届ける必要がある。そなたは毛利の当主ぞ。そう易々と雑事を引き受けるでないわ」
 斯様な事は家臣にやらせよ、と言外に叱責する父に平伏しながら、隆元はしかし、と何とか気持ちを奮い立たせて反論を試みた。
「文は毛利家当主へ宛てたものですが、元就公へ助言を請うと書いてあるのです」
「くだらぬ。破り捨てよ」
 吐き捨てる様に言い放ち、ぞんざいに手を振って元就は面倒な顔をした。まるで勉強を嫌がる子供のような仕草に、父は中身と行動とついでに外見がかみ合っていないのだと心の中で苦笑する。
「そういうわけにもいきますまい。さあ父上」
 駄々をこねないで下さいと声に出しては言わずつきつける文を、元就は心底嫌そうに受け取った。
 彼が書くよりはずっと短い、それでも見た目には長々と書かれたそれをざっと斜め読みしてから、元就はぽいとそれを放り投げた。
「よいのですか?」
「良い」
 つんと顎をそらして、元就は脇息を押しやるとぺたりと畳の上に寝そべるようにして上体を倒してしまった。具合でも悪いのかと慌てて顔をのぞきこんだがどうやら脱力しているだけのようだ。
(本当に、珍しいことだ)
 長年の疲労が溜まっているのだろうか、とも考えたが、それよりもずっと穏やかな表情と雰囲気に彼は今まで気を張っていただけなのかもしれない、と思い直す。中国と毛利家の未来は今でも元就の肩に乗ってはいるが、世代交代を鮮明にしただけでもいくらか重荷が和らいだのかもしれない。そうだといい、と隆元は微笑む。
 そして放り出された文を取り上げると徳川家康の花押をしっかりと確認してから、置いた。
 ふわり、と御簾が揺れる。
 しばらく沈黙がおりて、波音だけが微かに伽羅香に包まれた部屋を満たしていった。
「・・・・・・父上」
 痺れを切らしたように隆元が声を上げた。
 怖々と父の顔色をうかがう。白い顔に浮かぶのは紛れもない嫌悪だった。
 やがて元就はがさりと文を乱暴に握りしめた。細い手の甲の青い筋が浮かぶ。何とも言えない色香が一瞬殺気だったように思えた。
「狸め」
「解せませぬ。なにゆえ天下人たる徳川家康様がおいでなのか。詳細は別にと書かれておりまするが父上には何か心当たりが」
 相談事があるのだと言う。文の宛名は毛利家当主である隆元になっていたが、内容は理解不能なもので、詳しくは直接元就に告げたい、とあるのだ。普通ならばこの時点で毛利家の主をないがしろにしていると激高するところだろう。だが実際のところ隠居したとは言えいまだ毛利と中国の覇権は元就のものであり、事あるごとに難題を解決する策を講じるのもまた元就であった。新たな当主の座についた隆元も例外ではなく、周囲から見ればまだまだ甚だ頼りない。父が偉大すぎると本人すら知らぬうちに抑圧されるものだ。そうとは気づかないうちに自分は一人では何もできぬと思いこんでしまう。
 それを危惧したからこそ、元就はあっさりと第一線を退いて嫡男に下げ渡したのだが、毛利家の基盤が不安定なままでは雲隠れしてしまうわけにもいかぬ。
「この間隆景が来た」
「隆景ならいつもちょくちょく顔を見せにくるではありませんか」
 それが何か、と首を傾げる隆元を冷ややかに睨んで、舌打ちする。
「昔鬼が盗んだ宝物について随時探りをいれさせておるのだ。いくら馬鹿でもそろそろ呪いの効果に気づくはず。で、あるならばどこぞへ相談事を持ちかけたであろうな」
「宝物・・・。昔話して下さった、あれのことでしょうか。お伽噺かと思っておりましたが実在するのですか?」
「しておるから盗まれたのだ。そろそろそなたに継がせようと思うておるのだが」
「え、それは」
 途端に頼りない子供の顔になってうつむく様は、元服した子供がいるようには到底見えない。そもそも顔立ちの幼い家系なのだろうかとどうでもよいことまで考えて、元就は扇子をぱちんとたたんだ。
「あれは御伽噺などではない。そなたが怖がるゆえ適当に装飾して話しただけのこと」
 なお悪い、と隆元は嘆息する。
「呪われた宝具など私の手に負えるとは思えませぬ。それより、徳川様の来訪とその宝具が盗まれた件と、関係がおありなのですね?」
「良いか、あの鬼は、宝物の呪いに気づきかつ宝物がこの厳島から奪い去ったものだと知ればすぐさまここへやってくるだろう。だがその気配なく徳川からの文が来たと言う。つまり鬼は宝物の出所を知らぬ。そして忌々しいことにあの鬼は徳川と懇意にしておるではないか」
 どうせ他の金目のものと一緒に奪い去った後がらくたの山の中にでも放り込んでいたのだろう。自由に海を荒らし気ままに暮らす。おのれにはもはや国主としての器などないと、さもそう言い聞かせるかのように、国の復興をある程度終えた後長曾我部元親は四国の地に留まることをしなかった。案じた徳川家康は彼を幕臣として迎え入れようとしたがそれを拒否。かろうじて客人の身分として気が向いた時に江戸に在住しては宝の地図を広げて次の航海へと準備をする日々だと聞く。
 老いぬ呪いに気づいたとすれば、それは周囲にいる人間、そして誰よりも近しい友である家康も気づく。呪いの源を捜すだろう。
「宝物を常に携えていたのでしょうか?」
「品定めした後そうしたのだろう。あれの好みそうなものよ」
「お守りか何かですか?」
「否、もっと女々しい」
「女々しい?」
 ふいに、先ほど見た美しい女を思い出す。さらりと流されたまま何も聞くなと無言で命じられたが、果たしてあれは何だったのか。あとで探してみよう、と思いながら考える。
「降参です。教えてください」
「手鏡だ」
「手鏡。・・・ああ、なるほど」
 美しいものが好きだと豪語していた鬼が、なるほど常に持っていそうな女々しい道具である。
「では徳川様の来訪は、その手鏡が厳島の宝物であるかどうかの確認と、呪いを解く方法なのですね」
「さて、それはどうか」
 呪いを解く方法、を探るのか。呪いとは何か、それを調査にくるのではないか、と元就は考える。いかに天下人であろうと決して成しえぬ悲願。不老不死。それが叶う宝物が手の内にあるとしたら。
「素直に宝物をお返し下さりはしますまい。むしろ・・・・・・」
 他にその呪い、否、奇跡と言えるかもしれない力の及ぶ者はいないか、それを知るためにくるのではないか。それは脅威だ。隆元は背筋が寒くなるのを感じた。
「父上・・・・・・」
「慌てるな」
 青ざめた表情で立ち上がろうとする隆元を制して、元就は思案深げに細い顎を指でつまむ。
「わざわざ征夷大将軍が毛利の地へ足を踏み入れるのだ。他にも何かあろう」
「ゆゆしき事態だと?」
「双方にとって、な」
 自分たちの知らぬうちに、東で何かがおきているのやもしれぬ。
「使者をおくれ」
 そして将軍殿を迎え入れる準備をな、と。
 元就の表情は余裕に溢れていて、隆元はほっと胸をなでおろすのだった。