西軍だから仕方ない






 背中を丸めて正座し、うつむいてぎゅっと目を閉じた状態でぷるぷると震えている虎若子をまじまじと眺めて、元就は三度目の大きなため息をついた。それに反応してかびくっと大げさなほど体を震わせたかと思うと幸村がおそるおそる、といった様子で顔を上げる。普段元気すぎるほど元気な若者が、珍しいほど落ち込んでいた。
 ・・・が、目をうるうるとさせてすがるような顔で見られても元就は何の感慨もわかない。むしろ早くこの場を立ち去りたいとさえ思っている。だが何故か体は動かず、しぶしぶこの若者の話を聞いてあげているのであった。
 自分でも不思議なことに、元就は幸村のことをそれほど嫌ってはいない。むしろその愚直さが好ましいとさえ思っている。だからといって友情を育むとか、力になってやろうとか、そういった気は一切ないのだが。
 強いて言うなら愛玩動物を観察するようなものだろうか。ぴいぴい泣いている子猫や小鳥をわざわざ踏んづけたりはさすがにしない。
「申し訳ござらぬ元就殿。鬱陶しい様を晒し、自分でも情けのうございます」
「そうだな。鬱陶しい」
「ぐっ」
 きっぱりと言い捨てて、だがそれでもこうして話を聞く姿勢を見せているだけでも大きな譲歩である。長曾我部元親あたりが見れば驚きのあまり卒倒するレベルだ。
「だがそう気に病むこともあるまい。石田はああいう性格だ。いちいち気にしていてはやっていけぬぞ」
「いえ、しかしこの幸村にも非はあるのです。どうしても謝罪したいのですが、この広い大阪城、探しても探しても見つからず・・・。大谷殿に聞いても知らぬ存ぜぬばかりで部屋も教えてくれませぬ」
 大谷に聞いても無駄だろう、と元就は思ったが、黙っておいた。


 発端は意外なところにあった。
 珍しくも軍議の場で石田三成と幸村が対立したのである。
「何故武田軍を後方に置かれるのです!お館様よりお預かりし武田騎馬隊、伏兵にすら使わぬと申されるか!」
「いらんと言っている!騒がしい貴様らが先鋒を行くくらいなら私ひとりのほうがましだ!」
「聞き捨てならぬ!」
「総大将の命令が聞けないのか!」
「待て、待てふたりとも」
 これまでに見たことのないふたりの言い争いに、その場に集まった将たちはあっけにとられていた。それまで目を丸くして見つめていた大谷がようやく身を乗り出し三成の肩を掴む。
「そうまくしたてるな三成。真田よ、こたびの戦、わざわざ騎馬隊を出陣させるほどのものではないと判断したまで。武田の兵は戦力を温存しいざというときの蓄えとするが三成の案よ。そうであろ?」
「騎馬隊などいらん!」
 あー。
 せっかくの大谷のとりなしをあっさり無下にした三成にそこここからため息が漏れた。
 ああ、だの、うう、だの言いながら何とか割って入ろうとした元親が口を開いたその瞬間、苛立ちをあらわにした幸村が立ち上がった。
「これでは西軍にお味方した意味がござらぬ!ここで立ち往生するくらいなら、この不肖真田幸村、直接徳川殿と対決いたす!」
「なんだと貴様!家康を殺すのは私だァ!」
「ではそれに先んじて某が徳川殿を倒しましょうぞ!御免!」
「あ、おい」
 ぐわっ、と目を見開いて大きく拳を振り上げた後、幸村は唖然とする将たちを尻目にバタバタと騒がしく立ち去ってしまった。
「許さんぞ真田幸村ァアアアァアア!!」
「これ三成」
 大谷が止めるのも聞かず三成も傍らに置いた刀を掴み猛スピードで走り去っていく。
 しばらく沈黙が流れ、やがて遠くの方でドオォォォオン、と爆音が響いた。
 おそらく城を出たあたりで三成が幸村に追いつきふたりとも勢いのままに獲物を交わしたのだろう。頭に血が上りきった若者ふたり、ここはひとつ冷静に、とかまずは大人になって話し合おう、とか、通じるわけがない。かたやカッカ血気盛ん、かたや復讐心にドキドキ胸いっぱい、暴走すれば衝突しても不思議ではない。
 静まり返った広間では残された者たちが暗黙の合戦を繰り広げていた。
 大谷は元就を見た。
 元就はそれをついとかわし、元親を見る。
 元親は慌てて首を激しく横に振り、きょろきょろとあたりを見渡したがすぐにあきらめたように肩を落とす。
 黒田や島津らはいまだ到着しておらず、部屋の片隅でぶつぶつ呟いている第五天を促したところで無意味である。
「行け、長曾我部」
「行くがいい、長曾我部」
「ちくしょおおおおお!」
 ほれほれ、と大谷と元就が同時に手にもった扇子を振る。
 遠くでは爆音やらギャァアアアア、という兵らの悲鳴やらが響き、敵の襲撃と勘違いした者たちが騒ぎだす。
 まるで動こうとしないふたりをぎりぎりと睨んでから、元親は仕方なく門の方へ走って行くのだった。



「某、頭に血がのぼっていて・・・これでは言い訳のしようもござらん。元親殿にも多大なご迷惑をおかけしてしまった」
「ふん、それはよい」
「よいのでござるか」
「よい」
 あんな奴はもっと困らせればいいのだ、と元就はひっそり唇に笑みを浮かべる。
 結局、幸村と三成、ふたりを止めようとした元親の三人が血みどろの争いを繰り広げている間に、大谷と元就はさっさと軍を率いて敵軍というには大げさな不穏分子をあっさり蹴散らしてしまった。
 整然と列をなした軍が向かってくるのを見て、争っていた三人はもしや自分たちを討伐しに軍を向かわせたのかと勘違いし慌てて手を止めたのは大谷にとっては計算外、元就にとっては三割くらい策の内である。
 茫然と突っ立っている三人をぐるりと避けるように迂回して、ふたつの軍は粛々と行軍し粛々と敵を鎮圧してしまった。
 元就たちが夕暮れ時に戻ってきたとき城の前で三人がぽつんと立っていたのは思い返しても笑える光景だった。
「これではお館様に向ける顔がござらん」
 うなだれる幸村を無表情に見返し、茶をすする。
「なかなか滑稽な見せ場だったな」
「うっ」
「貴様槍の術よりも芸を磨くと良い。頭がなくても体が動けばそこそこ稼げるであろうよ」
「ぐぐっ」
「ついでにたまにそうして涙目で上目遣いでしおらしい言葉を吐いておればどこぞの金持ちが拾ってくれようぞ。武田信玄の薬代も手にできて一石二鳥だ。そうしろ」
「うーっ」
「ちょっとちょっと毛利の旦那。もうそのくらいにしてやってよ」
 ふいに気配がして僅かに見上げると、天井裏からすとん、と人影が落ちてきた。
「武田の忍か」
「正確には真田の忍でーす。ほら大将、ぷるぷるしてないでちゃんと謝って、他の人のところにもごめんなさいしに行くんでしょ」
「佐助・・・」
 べしょっ、と涙が滂沱と流れる様はまるで子供である。
 慣れたように幸村の顔を手ぬぐいで拭きつつ、佐助は懐から丁寧に包みを取り出して元就の近くにしずしずと置いた。
「これで勘弁してください」
「なんぞこれは」
「五平餅です」
「許す」
「ありがとうございます!ほら大将行くよ!ほらほらっ!」
 あっさりとうなずいて包みをたぐりよせた元就を確認すると、彼の気が変わらないうちにとでも言うようにめそめそしている幸村を無理やり立ち上がらせ引きずるようにして出て行こうとする。
「待て」
「なっ何です!?それだけじゃ足りない!?」
「あるだけ寄こせ。いやそうではない、真田。石田の部屋はあっちいってこっちいってそこ曲がって上へ上がってあっちだ」
「がんじゃいだずでござぶぅ」
「感謝致すでござるぅ、だそうです。それじゃ!」
 と、今度こそ佐助は幸村の首根っこをぷらんと掴んで文字通り風の早さで去って行ったのだった。
 やれやれ、と茶のおかわりを申しつけて餅をもちもちと食べていると、そっと隣りの部屋に続く襖が開かれる。
「おまえよォ・・・」
「ふん、いたのか長曾我部」
「いやいたし最初から。おまえお子様には優しいのな」
 あちこち火傷やら切り傷やらをこさえた長身の鬼が大義そうに部屋へ入ってくるとどっかりとあぐらをかいた。
 ちょうどお茶のおかわりを持ってきた女中が慌てて再び走って行く。
 かまうでない、と元就が言う間もなく、ただちに酒が運ばれてきた。
「気がきくねえ」
「おいそこの女。こ奴に酒など用意するでない。水たまりの水でじゅうぶんぞ」
「ひでえ!せめて井戸の水汲んでくれ!」
 お互い軽口を叩きつつ、元親は元就の肩をぐいと引きよせた。
 元就はあえて抵抗せずに身をまかせつつ餅を頬張る。好物を食べているときは存外おとなしいのだと、元親は声に出さず笑った。
「西軍も騒がしいな。がきんちょどもがよぉ」
「貴様がそれを言うか。騒がしくしておるひとりのくせに」
「俺はあれだ、気のいい兄さん役」
 貴様も餓鬼であろう、と含み笑いをこぼすと、口の端をぺろりと舐められた。
「なあ・・・」
 それ食ったらさ、と艶めいた声音で誘おうとしたそのとき。
 廊下からずるずると何かを引きずるような音がして、元親は動きを止めた。
「なんだ?」
 そっと障子をあけてのぞきこむ。後ろから元就も餅を手にもったまま身を乗り出した。
「あ、どうもおふたりさん」
「・・・何やってんだおまえ。石田のところ行ったんじゃなかったのか?」
 見れば先ほどと同じように、幸村の襟首を掴んで引きずっている佐助が疲れた笑みを浮かべている。
「いやあ行ったのはいいんですけどね。どうやら石田の大将は大谷さんの説教の真っ最中みたいで。なんかしくしく聞こえてきたからとってかえしてきました」
「・・・ああ、そう」
 振り返ると元就は全く興味なさそうに最後の餅を口に入れた後、追加をよこせと手を差し出している。
 大丈夫かこの軍。
 ふと思ったが、引きずられている幸村がすやすやと穏やかに眠っているのを見て、まあいいか、とあきらめた。