路傍の石




 分かっているんだ、全部俺が悪いんだってことくらい。
 でもさ、やっぱり許せねえよ。
 許せねえのに何故殺せなかったのだ。
 ああ、きっと家康はこんな俺を軽蔑するだろう。
 毛利にとどめをさせずにいる俺をじゃない、覚悟を見せられない俺に対して。
 ちくしょう。


「アニキ、本当にいいんですかい?」
 おそるおそる、といった顔で声をかけてきた部下に、元親は曖昧な返事を返しただけで振り返らなかった。
 野郎どものアニキであり、国主であり、西海の鬼を自称する自分の今の顔を誰にも見せられない。部下はそんな彼の気持ちを分かってかそれとも知らないでか、それ以上近寄っては来なかった。
 天下分け目の関ヶ原の戦いの後、元親は戦後処理に奔走していた。壊滅状態となった四国を完全に立て直すにはまだ時間がかかる。大きな戦が終わったからと言ってぴたりと乱世が終わるわけではなく、あちこちで中小規模の小競り合いも続いていた。
 厳島で毛利元就と対峙した後彼がまだ息をしていることを知った元親は彼の処遇を全て家康に託した。
 家康は何も言わなかった。
 毛利がどういう扱いを受けているかははっきりとは知らない。きっと三成はやつを処刑しろとうるさかっただろう、家康はそうはしないだろうとも踏んでいた。それは彼の優しさだけではない、天下をおさめるにあたって中国の混乱は新たな火種を生むことになりかねないからだ。
 遠くで、自分が思考の海に漂っているのだろうと思ったらしき部下と、彼の仲間たちの会話が聞こえてくる。
 なんだって毛利の野郎を殺さなかったんだろう。
 アニキのやることに間違いはねえ。
 アニキは優しい人だから。
 漏れてくる声を振り払い、立ち上がる。優しいからじゃない、弱いからだ。
 あの戦いからすでに三月たっていた。そろそろ家康のところへ顔を出した方がいいだろう。
 部下も連れずにひとりで行くと言い放った元親に野郎どもは散々反対したが、結局押し切った。いいんですかい、とさきほど尋ねてきたのはそのことだ。耳にタコができるほど聞かされ、その度に笑ってうなずく。家康の元へ行くのに体裁など必要ない。
 それに。
「きっとまた俺は、部下には見せられない顔をするんだろうよ」
 いやでもあの男と会うことになるだろう。
 そう確信していた。




 毛利元就は毛利家の存続と引き換えに家督を譲り、国には戻らずに隠居した。寛大すぎる処置と言ってもいいだろう。
 教えられた屋敷へと足を運ぶと、元親は自分の城とは違うその質素さに一度驚き、けれどもきっとあの男はそのようなことにはまるで気にしないのだろうなと思った。質素とは言っても大大名が住むための屋敷ではあるわけで、さらに郊外に建てられたものでもない。監視のためもあるだろうが家康にしてみれば中国を一代で統治した元国主に対し相応の待遇をしなければと考えたようである。
 もしかしたら彼の智略を今後のために生かそうと考えているのかもしれなかった。
 元親ははあれから一度も毛利と顔を合わせてはいなかった。最後に元親が見たのは己の獲物に吹き飛ばされ地面に崩れ落ちる細い体だけで、彼がどんな表情をしていたのかも知らない。まだ息があると気付いたのは家康で、とどめをさせとも言わず、また自らそれを行おうともせずに、ただ静かにまだ息があることを元親に告げたのだった。すでに元親は背を向け歩き出そうとしていた。
 もう終わったことだ。
 勝負はついた。一度本気で殺したと思ったのだから、もう殺したも同じことなのだとそのときは自分を無理やり納得させた。
 玄関に上がり声を上げると、おそらく国から呼び寄せたのだろう老人が慌てて平伏し、困惑した顔を上げた。
「これは・・・長曾我部殿」
「御隠居はいるかい」
「は・・・しかし、その」
 必死の形相で追いすがろうとするのを片手で制し、なるべく柔らかい声音で言った。
「別に何もしねえよ。話はできるのか」
「お怪我はほとんど治っておりますが、まだ床に伏せっておいでです」
「なんだよ具合でも悪いのか」
「はあ・・・あの、誰も通すなと命じられておりますれば」
「俺に命令する権限なんかねえはずだぜ」
 きっぱり言って早く寝所へ案内しろと促せば、老人は冷や汗を流しながら、うつむいて先を歩いた。こんな老人に対してでも、あの男はこれまでのように使えぬ捨て駒と切り捨てるのだろうか。
 ふと、きっとそうはしないだろうと元親は思った。根拠はないが、それを家康は許さないだろうことは知っている。
 案内された部屋の前で一度振り返り、心配そうな老人に小さくうなずいて去らせる。
 足音に気付いていたのか、中から声がした。
「何か」
 思い切って一気に開ける。
 部屋の真ん中に蒲団が敷かれ、その上に上半身だけ起き上がって毛利は書を読んでいた。こちらを振り返り唖然とした表情を浮かべた後すぐに何も見なかったかのように再び書物に目を落とす。その一連のしぐさが何だか懐かしくて、元親はため息をついた。
「よう」
「・・・・・・」
 返事はない。
 ぐるりと見渡せば、縁側に続く障子が申し訳程度に開かれて色づく庭の木が見えた。ときおり冷たい風が吹きこんできて眉をひそめる。
「寒くねえのか」
「・・・・・・」
「おい」
 苛立たしげに自分の髪を一度かきむしり、わざと足音荒く男のすぐそばで座りこめば、毛利が冷やかな視線をこちらによこした。
「何用だ」
「おいそりゃねえだろ。あんた俺に何も言うことねえのかよ」
「言うことだと?よもや我が貴様に謝罪するのを期待していたとでも言うのか。笑止の沙汰よ」
「なんだと」
 馬鹿にしたように鼻で笑われ、かっとして強く毛利の肩をつかみ引き寄せた。しばらく伏せっていると言われたとおり、もとより薄い肉はさらにそげ骨ばかりの印象を受ける。ぎりと音をたてそうなほど力を入れるとうめき声をかみ殺すような音が聞こえて、少しだけざまあみろと優越感が湧くのだった。
 殺意のこもった鋭い目で睨まれ少しだけ力を抜くと、のろのろと細い手があがって彼の倍はあるだろうがっしりとした元親の腕をつかみ引き剥がそうとする。それも無駄なことだ、まるで抵抗にもなっていない。その無力さに元親はがっかりした。
「なあ、あんたは温情で生かされてるんだ。何をやるにも何を発言するにも全て家康の許可がいるんだよ。自分の立場分かってるのか?あんたはあんたの意思など関係なしに生かされてるんだよ!」
「それがどうした。気に食わぬなら殺せばよかろう」
「そうじゃねえ!なんだってあんたはそうなんだ!まるで・・・」
 まるで、死ぬも生きるももはやどうでもいい、ような。
「家督は隆元に譲った。毛利家は存続し中国の地が荒らされることもない。我は人質でもない。であれば、我の生死はもはや何の意味もなさぬ」
「分からねえ・・・俺にはさっぱり理解できねえ!」
 戦に負けて悔しいとか、恥ずかしいとか、これからの人生に意味を見出そうとか、何もないのか!
 だが毛利はわずかに不思議そうな目の色をたたえるだけで、元親が何に怒っているのかまるで理解できないようだった。
「言ったはずだ。我も所詮は中国の安寧と毛利家の繁栄のためだけに存在する駒よ。用がなくなったのであれば捨てるのみ」
「毛利・・・」
 ああどこまでも平行線で決して交わらないのか。
 元親の胸にありありと失望感が溢れる。
 もう二度と刃を向け合うこともないのだろうか。
 互いの主張を譲らずいがみ合うこともしなくなるのだろうか。
 自分と、部下の命をかけて全力で挑むことも。
 それが寂しいと元親は思った。
「なあ、結局俺は、あんたにとって何だったんだ?」
 ぽつりと尋ねる元親に、だが毛利は淡々と答えるだけだった。
「貴様など路傍の石にすぎぬ」