毛利が周防・長門2ヶ国に厳封され跡目を次代に譲った後しばらくして、幾度も文のやりとりをしていた元就と連絡がぷっつりと断たれた。
不審に思った家康が家臣を通じて知らされたのは、何者かに元就がかどわかされ行方知れずになったという耳を疑うような報告だった。
「どうなっているんだ」
「俺に聞かれても」
困惑する家康に問いかけられた元親は肩をすくめる。
大阪城での合戦の後処理も一通り落ち着き、後のことは三成に任せて伏見へ入った矢先のことだった。まずとりかかったのは系図の改姓である。面倒なことだなあとぼやきながらも、慣例には従わねばならぬ。そのような作業に没頭しながらも、家康はこれからのことを考えていた。太平の世において毛利の知略は手助けになるとともにやはり近くでその動向を見張っておきたい、という心づもりもあった。幾度となく文を送り使者を送り、それなりの待遇を約束しては口説いたが色よい返事はいまだない。それでも一応律儀に返事をしたため現状を報告してくる元就からの手紙が、六度目に途切れもう三月になる。催促のようにこちらから出した手紙の返事には毛利の身内からの、そのような報告が簡潔に述べられ、捜索を行っているがいまだ行方知れずのままと書かれてあった。そこに捜索を手伝ってほしいなどは一切書かれておらず、毛利方の徳川への複雑な心中が封じられているようにも思われた。いつから、どのような経緯で行方知れずとなったかなどは綴られていない。それがまた不安を誘う。
「俺も国の連中に聞いてみたが四国では毛利の行方知れずは伝わっていない。ひた隠しにしているんだろうな」
「ああ。跡目を譲ったとは言え毛利の存在は大きい。姿が見えないばかりか何者かにかどわかされたなどと噂が流れでもしたらまた色々と騒がしくなるからな」
そもそも何者かにかどわかされた、というのが本当なのか怪しい。だが自ら黙ってどこぞへ姿を隠すとも思えぬ。
「ワシが放った草の調べでは、夜にいつものように寝室へ入り、朝まで誰も出入りしなかったらしい。それが、朝定刻になっても起きてこないので心配した家臣が声をかけたところ応えがなく、おそるおそる中をのぞくと誰もいなかったということだ」
待てど暮らせど帰らず、慌てて捜索したにも関わらず何の痕跡もない。文字通り煙のように消えてしまったというから、さぞ騒動になったことだろう。
「色々と探ってみようとは思うが、ワシもかかりきりというわけにもいかん」
「かと言って放っておくわけにもいかねえしな。分かった、こっちはこっちで色々と調べてみる。俺も気にかかることがあるしな」
「気にかかること?」
何だ、とぽかんとする家康に、元親の顔はひどく憂鬱に歪む。
「・・・あの野郎がまだ生きてるかもしれねえ」
「誰だ」
「死んだはずの男だよ。幾度でも黄泉から戻ってきやがる。魔王よりたちが悪いかもしれねえ」
四国で留守を預かる忠実な家臣からもたらされた懸念事項。
それが誤りであることを祈りたい。
それきり黙りこんでしまった元親に、家康はため息をついた。
このまま仕事が滞れば後処理を押しつけられた三成の怒りが爆発するだろう。なんだかんだと仕事を押し付けることで、ともすれば沈みがちの繊細な友人を気遣っているつもりの家康だったが、あまり得策とも言えないようだ。
「・・・はやり智将殿にはかなわないか」
ぽつりと呟く親友をちらりと見て、元親が微かに笑う。
「どこぞで悪巧みしてねえといいがな」
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寒さのせいかぶるりと震えて目を開いた。ぼんやり白く霞んでいるのは、監禁されている部屋のせいなのか、目がおかしくなっているせいなのか分からない。全身が鉛のようにずしりと重く指を動かす気力さえなかった。
喉の奥がひどく傷む。呼吸をするのもままならず、肺が苦しくて咳き込むと口の中に鉄の味が広がった。苦労して唾を吐きだすと血が混ざっている。叫び続けた喉が炎症を起こしたのだろう。吐き出す息が熱く、じんわりと嫌な汗がこめかみをつたって流れていくのが分かる。それをぬぐうこともできず、ただ湿った床に転がるだけだ。
ぺたりと頬を床につけ、全身を襲う鈍痛に耐えていると、かた、と音がして何者かが部屋に入ってくる気配がした。思わず緊張が走る。ぴくりと体が震えた元就に目敏く気付いたのか、足音を殺すことなくそのまま近寄ってきた。横倒しに倒れ伏している元就の投げ出された腕を乱暴に掴んで引き寄せ、ぐいと背に腕をまわして抱き起こす。
「ぐぅ・・・・っ」
びりっと激痛が走ってうめき声を上げた。
「起きていたのかね」
たいして意外そうでもなく男が言って、空いた方の手を伸ばすと下へとずらした。申し訳程度にかけられた単衣の裾を割って後ろへとまわし具合を確かめるかのように躊躇なく指をつきたてる。
「ぁあ、う、あ・・・・・っ、ん・・・・!」
つい先ほどまで散々嬲られたそこは、赤く腫れてしとどに濡れていた。体内に精を吐き出され、後始末もせず放置されたままだ。どれだけの時間、どれだけの人数に凌辱されたかすら分からない。体中を蟲のように這いまわる指や舌の感触が蘇って、嫌悪のあまり顔が引きつる。じわりと眦に滲む涙はとうに枯れたものと思っていたが、そうでもないらしい。
ごつごつと節くれだった太い指ははじめ探るように入り口辺りをかきまわしていたが、やがて奥へと突き立て臓腑をえぐるようにぐるりと回した。耳を覆いたくなるような音が響いてどろりと大量の液体が流れ出る。
「うぅ、ん・・・・ッ、ふ、あぁ、・・・・・・・・・ッ」
二本、三本と増えた指は容赦もなく、ただ事務的に中を探っては放たれたままの精をかきだし、頃合いを見て今度は確実に性感を煽るようにいやらしく動き出した。
ひっ、と引きつったような悲鳴が上がり、慌てて唇を噛んで声を殺すが力の抜けた体は確実に熱を生み出していく。
もう、これ以上は。
懇願するような気持ちで見上げたが、男は慈悲のかけらもない冷たい目で口元に笑みをのせるばかりだった。
男はふいに背を支えていた腕を抜くと、ぐったりとしている体をうつぶせにして床へ押し付けた。中をかきまわす指はそのまま戯れのように動かしながら荒く呼吸を繰り返す元就の腰を強引に引き上げる。
「あ、あぁ・・・・!」
やめてくれ。
強く願った思いもむなしく、何の言葉もかけぬまま男は自身を取り出すとひくついた後腔に突き立てた。涙に濡れた嬌声が上がり、嗚咽が漏れる。床を引っかく白い指は爪が割れて血が滲んだ。
「んっ、ぁあ、あ、あっ、ああ・・・・ッ、」
がくがくと揺さぶられ、ただ暴力的に貪られる。抵抗しようにもすでに力尽きた体は糸の切れた人形のようで、むなしくされるがままだ。細身の体に覆いかぶさるようにして犯す男は、片方の腕を前へとまわし、すでに尖って反応を見せている胸の先をぐりぐりと指の腹で押しつぶす。途端にあられもない声が甲高く響き、男は笑ったようだった。
「ここがいいのか」
「や、やめ・・・ッ!やめて、くれ、あぁああ、ん、う、あ、あ、あ、」
意味をなさない音の羅列だけが口をついて出てくる。真っ赤になっている乳首を力任せに摘み上げ、のけぞる背に合わせるようにしてぴたりと結合させた下半身を乱暴に揺さぶれば悲痛な叫び声が力なく掠れ、ぽたぽたと流れる白い体液が床に染みを作った。
苦しい。殺してほしい。死にたい。
ぐるぐるとそればかりが胸の中を支配して、あまりに無力な自分に絶望するばかりだった。すでに快楽とは言えない暴力に抵抗力を失い、拷問とも言える所業に心も体も疲弊していく。
「・・・・・・・・・・っ!」
ひと際強く揺さぶられ背後で男が一瞬息を詰めた。
ああ、まただ。また汚される。
幾度も同じ行為を強いられてきた体は、次に何が起こるかをはっきりと理解して、その汚らわしさにただ涙するしかない。
熱い飛沫が体内に吐き出されると同時に、それまで乳首を責めていた指がそのときだけ優しく前を扱いて射精を促した。
「ああああああ・・・ッ」
もうすでに吐き出すものもなく、じんわりと滲んでほんのわずかの精液がぽたぽたと流れるのみだ。
用は済んだ、とばかりに、放り出された体は一度床の上で跳ねて、動かなくなった。再び気を失ったのだろう、どろどろに汚れた単衣がまとわりついた白い体は鬱血や噛み跡など目も当てられぬほど悲惨な状態だった。だが取り立てて命を奪うような外傷はない。否、つけないよう指示してある。
「そろそろ飽いた」
男は鼻を鳴らしてつま先で動かない体を小さく蹴り上げると、そのままその場を立ち去った。
毛利元就の居場所が分かった。
それこそ、文字通り草の根を分けてでも探せ、と命じていた配下の者が報告をもたらしたのと、元親が雑賀衆や四国から船を出して捜索にあたらせた者たちからの報告を聞いたのはほぼ同時だった。
「場所は?」
「平山城のすぐ近くにある寺だ。俺が探している野郎もそこにいると聞いた。おそらく毛利は一緒にそこにいるんだろう」
それはここ一、二月に周辺の集落で広まった噂が発端だった。
すでに廃寺であるはずの山の麓の寺に、いつの間にか住み着いた商人がいると言う。身なりは非常に立派で、おそるおそる訪ねた村人に自分はこの寺の持ち主と縁が深く、しばらく滞在するがすでに寺としての機能は失っており、ここへ来ても弔いも何もできぬと言う。集落の外れにあり不便だろうに、何故か人が出入りしている。それも闇に紛れて廃寺を訪れ、日が昇ると同時にどこぞへ帰っていく。商人は動かない。何やらいわくつきの商売でもしているのではないか。
この噂に、毛利の名も元親が探している男の名も出てはこない。
だが平山城の近く、というのに元親は引っかかったらしい。それとなく集落の人間と親しくなり、こっそり廃寺へ様子を見に行ったところ見たことのある顔がいたというから間違いはないだろう。
「ありゃ三好三人衆のひとりだ。きっちり顔を見たことのある野郎どものうちの数人がそう証言している」
「じゃあ、おまえが探している男とは、まさか」
松永久秀、その人だ。
「俺は奴とは決着をつけなきゃならねえ。死んだと思っていたがあの野郎しぶてぇにも程があるだろ」
「なるほどな。ワシの配下からの知らせでは、おもしろ半分に廃寺へ忍び込んだ子供が見たらしい」
「子供?」
眉をひそめて問い返すと、家康は同じように苦い顔でうなずいた。
「真夜中親の目を盗んで数人で肝試しに行ったらしい。本堂で五、六人の男が集まって何か騒いでいたと。その隙間から白い人が倒れて泣いていたのを見た、と言うんだ。すわ、幽霊かと思い怖くなって逃げ帰ったらしいが、そのうちのひとりが不思議な言葉を聞いた」
「何だ?」
「男たちのひとりがこう言ったらしい。『天下の謀神も地に落ちたな』」
「・・・・・子供の言うことだろう。本当にそう言ったのか」
「確かに完璧に信じるには情報不足だ。だが」
耳にした『謀神』という耳慣れぬ言葉を、その子供はやけにはっきり覚えていた。次の日の朝、かつて関ヶ原の戦でかろうじて生き延びたという祖父に「ぼうしんとは何か」と突然尋ね、驚かせたという。まだ十にも満たぬ子供が知る言葉ではない。
「今配下の者たちが監視している。まだ気付かれていない」
「あまり大人数で突入しても勘付かれるな。俺ひとりでいい。野郎どもとおまえの配下は集落の入り口あたりで待機していてくれねえか」
「元親」
それはどうか、と苦言を口にしようとした家康は、元親の表情を見て黙り込んだ。
やがて首を振って、正面から問いただす。
「おまえは松永を討ちたいのか。それとも毛利を助けたいのか」
「毛利の野郎を助けてやる義理はねえ。だがあの松永の手に捕えられたというなら、黙って見過ごすわけにもいかねえ。それだけだ」
「質問を変えよう。おまえは毛利が心配じゃないのか?」
おまえたちはかつて、と続けようとして、はっと言葉を飲み込んだ。
全て終わったことだ。あの厳島での戦以来、まともに顔を合わせたのは一度だけ。大阪西の丸で、家康がそれぞれの武将を招いた時だけだ。言葉すら交わさず、視線を合わせることもなかったという。それだけの悔恨をふたりは残している。
「・・・俺はあいつに止めを刺せなかった。おまえもあいつの存在が必要だと言っている。だったらそれでいいだろ」
あまり深く考えたくねえ。
そう言ってそっぽむいた元親に、ようやく家康は笑みを浮かべて、子供のように拗ねた顔をする親友の肩を叩いた。
「ああ、それでいいさ」
そのような絆もまた、あるのだろう。
「決行は明日の深夜。一網打尽にする。ワシはここを動けないが忠勝を連れて行ってくれ」
「おいおい、あんなの一緒にいたら目立って仕方ねえよ」
「平気だ、あれでも身を隠すのは上手いんだ」
だから頼むよ。
そう頭を下げられて、断りきれる元親ではなかった。
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考えるのをやめた。思考を停止すれば、これまでのことも、これからのことも、何も憂いごとがなくなるからだ。そうすればほんの少しだけ、楽になれる気がした。
観察するのをやめた。逃げ道はないか、隙はないか、それらを窺ったところで望みがないことを知ってしまったからだ。そうすればほんの少しだけ、緊張が解れた気がした。
見ることと聞くことをやめた。汚らわしいものを目にして泣くのも体力を使う。下賤な罵りを浴びて屈辱に震えるのも疲労がたまるだけだ。無駄である。
抵抗することをやめた。嫌がるそぶりを見せれば殴られる。さらにひどい苦痛を与えられ、止むことがない。泣き叫んでも抵抗しても無駄なのであれば、ただ甘受すればよいのだ。声を殺すことができぬのならばそうしよう。涙が落ちるのならば流れるに任せよう。体が反応するならば抑えることをやめてしまえば良い。
そうすれば楽になれる。
人形のように、ぴたりと何もかもをやめてしまえば、心が痛むこともない。
「つまらんな」
びくびくと痙攣する体をくの字に折り曲げ、奥深くを穿っては揺さぶり己の欲を満たすことだけに快楽を見出していた男が呟いた。
「どうした兄者」
「つまらん。ほとんど声も出さなくなった。抵抗もない。見ろこの目を」
そう言ってぞんざいに顎をしゃくり、自分が犯している男を見ろと示した。
のぞきこむと、ぼんやりと開かれ涙に濡れた切れ長の目はうつろで、何も映していないようにも見える。薄く開いた口からは唾液が垂れて、細い息を紡いでいた。ぐったりと力の抜けたそれを煩わしげに見下ろすと、兄者と呼ばれた男は掴みあげていた二本の細い足を乱暴に打ち捨て、自身を引き抜く。ごぽりと音を立てて泡立った精液が流れ落ち床を汚していった。
「気が触れたか」
「こうなってしまっては楽しみようもない」
「初めのうちはおもしろかったがな」
これでは客もとれぬ、と男たちは舌打ちし、ぼんやりと宙を見上げている小柄な男に唾を吐きかけた。
「そろそろ始末しろとの命令がおりそうだ」
「売れば少しは金になる」
「具合だけはいいからな」
ひそやかに笑いあい、立ちあがったところで、地面が、否、崩れ落ちるほどに古い寺全体がぐらりと揺れた。
「なんだ!?」
とっさに床に置いていた得物を掴んで振り返る。大きな爆音とともに寺の門が破壊され、火花を散らせながら碇槍をすべらせて大柄な男が乗り込んでくるのが見えた。
「あれは・・・」
「鬼だ!」
ああ鬼だ。鬼がいるぞ。
「松永あああああああああ!!」
怒りに任せて周囲を焼き払いながら鬼が怒号を上げた。三兄弟は放り出したままの元就をちらりと振り返り、これを取り戻しに来たのではないのか、とうなずき合うと、そのまま放置して外へ出た。
「長曾我部元親か」
「相も変わらずしつこい男だ」
「騒々しいにもほどがある」
主人が出るまでもない、と各々得物を掲げ、叫び散らしながら向かってくる鬼へと立ち向かった。
ぼんやりと何もない空間を眺めていた元就の元へ松永は歩み寄った。外では激しい戦闘が繰り広げられ、寺は揺れて壁がはがれ落ち、とこどろころ屋根が燃えて、建物ごと崩壊するのも時間の問題と思える。それでも意に介さず元就を抱き起こして意味をなさぬ衣を申し訳程度に整え抱きあげた。鬱血や痣で覆われた白い腕がだらりと垂れる。く、と喉を鳴らし何事かを呟いたようだったが、声にならなかった。
「もはや卿が何を言おうが意味はない。生ける屍、もしくは人を象ったただのモノよ」
愛でるのも戯れに犯すのも飽きた、とそれこそ物を見るような目でしばらく眺め、火がまわりはじめた本堂を出て荒れた庭へと放り出した。どさ、と重たい音がして砂利が跳ねる。力を失った細い体は雑草で覆われた土の上に転がされたまま動かない。松永はそれを確認すると、二度と振り返らずにその場を去った。
「さて、面倒なことになる前に次の宝を愛でに行こうか」
向かうは北か、それとも遥か南か。
ぱちん、と手を鳴らしたのを合図に、本堂に鎮座していた仏像を【模したもの】が爆発して燃え上がる。炎は一気に柱をたどって天井を焼き始めた。
生き永らえたならば、気が向けばまた浚いに行こう。
わざわざ外へ逃してやったにも関わらずそこで息絶えたならば、もはやそれまで。
ほんの遊び心でしかない小さな賭けを捨て置いて、男はその場を後にしたのだった。
松永を逃した、と歯ぎしりしながら燃える本堂を見上げていた元親だったが、はっと我に返ると慌てて元就の姿を探した。もし本堂の中にいるのだとしたら、もはや助からないだろう。三兄弟は時間稼ぎだったのかと今更ながらに気付き鋭く舌打ちして裏へと回った。上空から大きな音が響いて空を見上げると、こちらへ向かって飛んでくる本田忠勝の姿があった。一度大きく手を振ると火の粉が舞う本堂の裏手に広がる荒れ放題の庭を慎重に歩く。ふと、腰まで伸びた雑草の中に倒れる白い何かを目の端にとらえ、駆け寄った。
「毛利!」
無事だったか、と思う暇もなく、しゃがみこんでうずくまる小柄な体に手を置く。
「おい、毛利!おい!」
てのひらを伝って感じる体温はぞっとするほど冷たく、呼吸はひどく弱々しい。炎に照らされたその姿は触れるのも躊躇われるほど悲惨だった。まとわりついているだけの白い単衣はいたるところがぐしゃぐしゃにほつれて汚れ、血が染みついている。生気を失ったような青白い肌は無事な個所がないというくらいに痣や赤い鬱血で覆われて、ところどころ皮膚が剥がれ血が滲んでいた。腹部や、足を伝い流れ落ちるどろりとしたものに何が行われていたかが容易に想像できる。震える手で頬にかかる茶色い髪をかきわけると、殴られたのだろう痣がなめらかな顔を傷つけ、唇の端に血が固まって腫れている。それでも彼の目元や鼻が無事なのは、どう見てもそれ以上顔を崩さないよう計算して嬲られた証拠だと言える。
美しい顔が苦痛に歪むのを楽しみながらここで地獄のような宴が夜な夜な執り行われていたのか。
激しい憤りと吐き気がこみ上げてきて、元親は一度強く目を閉じた。視界が滲むのは煙が充満して辺りが白く覆われているせいだ。
忠勝が低空飛行で近づいてきたかと思うと手を差し出した。ここへ乗せろ、ということなのだろう。重症の元就をかついで歩くのはそれだけで生死に関わる。元親はその厚意に甘えることにして、そっと忠勝の掌に乗せると、自分は彼の背に膝をついて乗った。さすがに家康のように仁王立ちはできないなと怖々しがみつく。忠勝はゆっくりと揺らさないよう上空へのぼっていき、風の抵抗から元就をかばうようにもう片方の手で壁を作った。振り返ると闇に彩られた中に煌々と燃える炎が空へと白い煙を立ち上らせていた。途中こちらに向かって大きく手をふる野郎どもや家康の配下たちに手を振り返す。彼らは心得たというように忠勝を追って馬を走らせ始めた。そのうち何人かは燃える寺の方へと走っていく。集落の中へ向かう者たちはおそらく村人たちへ騒ぎの謝罪と説明をしに行くのだろう。それらを全て任せて申し訳ないな、と少しだけ思ったが、今は元就を連れ帰り家康に報告することが先決だった。
身じろぎせず目を閉じたままの元就をのぞきこんで、彼がちゃんと息をしているのを何度も確認した。
一度、殺せない、と思ったからにはもう彼の死を見ることはないのだと、何故か思い込んでいる自分がいた。そしてこれまで幾多の死を見てきたはずなのに、そんな甘い妄想をしていた自分に吐き気がする。
今にも命が尽きそうな姿を眺めているうちにひどく喉の奥が痛むことに気付いた。叫びだしたくなるような熱いものが胸中を支配して、無意識のうちに首元を掴み唾を飲み込む。僅かに、忠勝がこちらを案じるように見た気がしたが知らないふりをして首を振った。
今だけは安らかに眠れ。
忠勝の手にしがみつきながら立ち上がり、手を伸ばして、うずくまるように眠る元就に触れた。