小山田殿、安芸へ行く






 佐助は考えていた。ああ、面倒くさいなあ。大体何で俺様こんなことで悩まなきゃいけないんだろう。でもさ、雇われてるから仕方ないよね。雇われ忍者だもん。サラリーマンは上司に口答えできないでしょ?口答えしてリストラはいやでしょ。忍者だって同じだよ、ここ居心地いいもん。食べるのも寝る場所も困らないし、三秒ごとに敵に襲われることもないし。ただ、ちょっとばかり、面倒なだけ。昔は子守かよっ、なんて心の中で突っ込んで泣きそうになったりしたけどさ。でもやっぱり上司にも同僚にも恵まれて、わりかしおもしろい人生送ってる忍者なんてそうはいないと思うんだよね。まあ、恋に落ちて里を抜けちゃったくの一もいるけどね。さて、じゃあ自分はどうだろう。恋のために、女のために命を犠牲にする覚悟はあるかな?ないね。ないない。ありえない。

「おおい佐助ェ!!何をしているのだ、さっさと降りて来い!!」
 わんわんと周囲に響き渡るほどの大声で、幸村が叫んだ。彼の視力はいくつだ、と呆れるほどまっすぐにこちらを見上げている。
 それほど高くはないがうまく枝と枝の葉に隠れるようにして考えごとにふけっていた佐助は、それでも苦笑して音もなく降り立った。
「はいはい、何ですか真田の旦那。俺様今忙しいのよ」
「何を言っておる、昼寝していただけではないか!それよりこちらは準備完了だ、ただちに出立するぞ!」
「ああ、やっぱり行くんだ」
「当然であろう!お館様から様子を見て来いとのご命令なのだ、無視するなどこの幸村の選択肢にあるわけがない!」
「いやそうじゃなくて。ちょっと遊びに行っておいでって言われただけでしょ。菓子折り持って。準備始めたの今朝だよね。飛脚だってまだあちらさんには到着してないはずだけどもう行くの?いくらなんでも」
「しゅっぱあああつ!!」
 聞いてない。
 熱血熱血ぅ、と拳を振り上げて部下たちを激励する幸村を尻目に、佐助はさてこの菓子折りはいったいどれだけの値打ものかな、などと考えていた。
 幸村率いる十五人ばかりの兵たちで向かうのは、甲斐から遠く離れた西の国、安芸である。
 ちょっとそこまで挨拶に、という距離ではない。だというのに、すっかり遊びに行きましょう感覚だ。病に伏せている武田信玄公が何故か奇跡的な復活を遂げたものの(まああのお館様だからそのくらい軽い軽い)、西軍に与することにしたはいいがいまいち存在感が薄い気がするので、ならば少しばかり挨拶がてら西へ行って仲間である他軍の大将とお近づきになろう大作戦発動である。最近某全く目立ってない気がするでござるうう、と泣きついた結果、信玄が手土産を持たせ、西国へと派遣することに決めたのであった。
「それはいいけど何で安芸?大阪じゃなくて?」
「お館様にもみじ饅頭チーズクリーム味が食べたいと言われたのだ」
 それは買って戻ってくるまでに賞味期限が切れるんじゃないの、と思ったが、おそらく、どうにかなるのだろう。そういう世界だから仕方ない。
 佐助は幸村の忍で幸村は武田信玄の愛弟子であるから、行け、と言われれば行くしついてこい、と言われればついて行くのだ。そういうものである。
「仕方ないなあ。とりあえず、安芸まで行きましょうかね」


 真田幸村は日の本一の兵と言われており天覇絶槍である。そして佐助は忍だ。つまり、がんばってどうにかすれば甲斐の国から安芸までひょいひょいっと移動することは可能である。だが彼らに従う者らは刺されれば死ぬし殴られれば痛いし徒歩や馬での移動もそれなりである。
 武田信玄に命じられ幸村に従う小山田信繁などは、安芸に到着した時点ですでに瀕死状態だった。彼はさぞかし突っ込みたかったことだろう。
 一般の兵は道端に置いてある怪しいつづらからとりだしたおにぎりで体力回復などはできないし、移動速度が速くなる装備をつけても馬より早く走れはしないのである。
 それでも何とかついてこられたのは、ひょいと彼を通り越していった赤い何かが三倍のスピードで走って行ったからだろう。負けてたまるかちくしょう、と穏やかならぬ叫び声を上げながら馬を走らせる小山田を、幸村と佐助は微妙な顔で見ていた。
 そしてたどり着いた安芸で待っていたのは不機嫌そうな国主と、顔をひきつらせておびえた家臣たちと、満面の笑みでカツオを肩にかついだ四国の国主であった。
「よう真田。よく来たな!歓迎するぜ!」
「ちょ、ちょそかヴぇ殿・・・。なぜ安芸においでなのです?」
「ちょっとちょっと旦那、じゃなくて大将。その前に毛利殿に挨拶しなきゃ」
「む、そうであった」
 腕を組んで仁王立ちしつつこちらを睨んでいる毛利元就に、幸村は元気ハツラツな笑みを浮かべながら菓子折りを差し出した。
「土産の五平餅でござる!」
「違うでしょ!こんにちはでしょうが!!!」
 思わずつんのめりながら突っ込む佐助だったが、毛利の反応は彼の予想を遥かに超えていた。
「許す」
「いいんだ!?」
「こ、こんにちはでござる!」
「おそっ!!」
「上がるが良い」
「いいのか!?」
「どうしたのだ佐助先ほどからうるさいぞ。毛利殿に無礼であろう」
 まさかのダメ出しに佐助は涙ぐんだ。俺様の防弾ガラスのようなハートがびりびり震えてダメージ食らいまくりすげえ痛い。
「忍殿」
 ぽん、とうなだれる佐助の肩を小山田が叩く。振り返ると、何か悟ったような、お釈迦様のような温和な顔が微笑んでいた。
 さすが小山田殿立ち直りが早い。何がさすがなのかはよく分からないが、もう何でも許せそうな超ベテランな雰囲気を彼は持っている。不思議だ。
「五平餅、おいしいですよね」
 そこかよ。
(違うっ俺様が欲しいのはそんな慰めじゃない!!)
 だが慰めでもなんでもねえよ、という突っ込みを入れてくれる人材は、ここにはいないのである。


  目の前に置かれたものを見て、忍のくせに忍ぶことをしない忍と期待の大型新人小山田信繁は違う意味で唾を飲みこんだ。
 並べられた六つの大皿の上、山のように盛られるもみじ饅頭と五平餅。そして隅っこに鰹のたたきがちょんと乗っている。明らかにおかしい。見る間に顔色が青くなる。
 だが幸村は顔を輝かせ、子犬のように舌を出して喜んだ。
「こここここれは食べても良いのでござるか!」
「うむ。好きなだけ食すが良い。だが!」
 ぺしっと膝を叩き、毛利は身を乗り出して扇子を突き付けた。
「貴様が持参した五平餅はすべて我のものぞ。一口たりとも食べるでない。よいな。もしこれを奪えば・・・」
 ちらっ、と隣りに座って呑気な顔で酒をかっくらっている長曾我部を見る。
「う、奪えば?」
「十日間おやつ抜きの刑に処す」
「なっなんと・・・!!さすがは冷酷非情と名高い智将殿。おそろしい・・・」
「そりゃひでえよ毛利、マジ外道」
「やかましい」
 ねえこれ何?この会話何なの?俺様突っ込むべきだよね。正統派突っ込みキャラとしては「なんでやねん!」てやるべきだよね。
 うずうずしながら腰を上げかけた佐助だったが、彼より素早く行動を起こしたのは小山田だった。忍以上に素早い者がこれほど近くに存在していたことに驚きである。
「お待ちくだされ毛利殿!」
「む。何ぞ貴様、どこぞのベテランのような声音をしおって」
 どんな声音だ、と突っ込みたかったが、佐助はもう疲れていた。
 さっさとお館様ご所望のもみじ饅頭クリームチーズ味を頂いて甲斐に帰りたい。
 可能なら幸村と小山田を置いて帰ってもいい。大丈夫きっと何とかなるだろう。
「せめて七日にすべきではござらぬか」
 そこじゃねえ。


 たらふく饅頭を食べご機嫌の幸村と、たらふく五平餅を食べご機嫌になった毛利はその後家臣らが気持ち悪そうに持ってきた三色団子をそれぞれ五十本ずつ食し、寝室へと戻って行った。
 小山田は三色団子のピンクのやつだけを串から抜いて食べそれを毛利にひどく叱られていたが、これは小山田家代々伝わる作法であると言ってきかずあわや乱闘になりかけ、幸村の「残りの緑と白は全部毛利殿が食べれば良いです」とフォローしたため事なきを得た。
 何とも厄介な御仁が甲斐にいたものだ、と佐助は頭が痛くなったがもはや突っ込む気力さえなかった。
 そんな彼は「忍のくせに忍ばぬとは」ともっともな突っ込みをされつつ、ひたすらしょっぱいみそ汁を啜っていたのだった。
 さて、深夜である。
 忍といえども人間だから、眠くなる。
 敵陣にいるわけではないのでそれほど警戒する必要もないだろう、と警備は幸村にひっついてきた部下やそれとなく遠くからこちらを観察してうぇっとした顔をしていた同僚の忍たちに任せ、彼はさっさと寝ることにした。
 寝所は幸村にあてがわれた部屋の屋根裏である。ご丁寧に布団が敷いてあるがこれが毛利家による親切心なのかからかっているだけなのかいまいち不明だ。なにしろ梁と梁の間に布団が敷かれているのだ。これ上に乗ったらそのまま板突き破って下に落下するんじゃねえの?と思ったが、そこは忍らしく上手くバランスをとって休むことにした。くさっても忍なのである。たまに忘れるけど。
「・・・帰ってこないな真田の旦那」
 厠に行ったのだろう幸村がなかなか戻ってこない。あの幸村が食べすぎで腹を壊すなど天地が引っくりかえってもありえないので、これは少々おかしい。考えられる可能性としては、この屋敷で迷子になったかどこぞで猫でも見つけて戯れているか、またはお腹がすいて台所へつまみ食いに行ったかだろう。
「仕方ないなあ」
 よっ、と天井裏から飛び降りて、佐助は部屋を出た。
 しんと静まり返った屋敷内にあって使用人たちの気配すらしない。聞けば毛利元就は騒がしいのを好まぬと言うからおそらく家臣らもそれに従っているのだろう。武田の屋敷とは雲泥の差である。ちょっとは見習ってほしい。
 しばらく廊下を堂々と歩き、誰にもすれ違わないけど不用心だなあなどと思っているとふいに人の気配がした。
「旦那、いるの?」
 そっと声をかけてみたがいらえはない。どうやら先の部屋の中にいる人の気配を勘違いしたようである。
 とはいえただならぬ雰囲気を感じた佐助は、文字通り忍び足で部屋の前へと歩み寄って行った。
 ちょうど角部屋になっておりそのすぐ隣は曲がり角になっている。しかし知った気配も近くでする。
 どんなに気配を殺したところで佐助が気がつかないわけがない人物だ。
「旦那」
 もう一度声をひそめて呼びかけると、角の向こうから幸村が顔をのぞかせて口の前に人差し指をたてた。静かに、という合図だ。
「ちょっと、何やってんの」
「しっ。先ほど通りかかったらこの部屋からただならぬ気配を感じたでござる」
「あ、旦那も感じたのか」
「ああ。殺気とは違う、だが何やら争っているような感じだ。それにしては静かで暴れている様子もない。おかしいと思って気にしていたところにおまえが来たのだ」
「で、小山田殿は何してるの」
「なんと!?」
 驚いて振り向いた幸村見たのは、いつの間にか彼の後ろでぺったりと障子に耳をくっつけている小山田だった。
 超真剣な表情である。
「しっ。お静かに。壁に耳あり障子に目ありと申しますぞ」
「いや、うん・・・」
 そうじゃなくて、と佐助が言い返そうとしたとき、部屋の中からやけに切羽詰まったような、引きつるような声がした。
 何かに耐えるようなうめき声がそれに被さり、布ずれの音が響く。
「なっ、何が行われておるのだ・・・」
 驚いてさらに身を乗り出す幸村だったが、佐助はさすがにぴんときた。
 これはまずい。早々にこの場を立ち去らないと大変なことになるだろう。
「ちょ、ふたりとも。いいから行くよっ」
「何を慌てているのだ佐助。この部屋の中であらぬことが行われているのであれば、阻止せねばならん!」
「いやあらぬことは行われてると思うけど阻止しちゃ駄目だと思うよ」
「忍殿は何をおっしゃっているのです」
 クソ真面目な表情で、あたかも子供を諭すような目で小山田が言った。

「あ・・・っ!も、もうやめよっ」

「ん?」
 続けて荒い息とともに聞こえてくるのは毛利家の当主、元就の声であった。
「いかん!毛利殿が何者かに襲われておる!!お救いせねば!!」
「いや待って!いいから待って!!確かに襲われているかもしれないけど助けちゃ駄目だから!!」
「忍殿」
「あんたは黙ってて!!」
 半泣きである。

「痛ッ・・・つぅ・・・」

 掠れたような、限りなく泣き声に近いものが響き、佐助は顔を赤らめた。
 やばいやばいこれはマジでやばすぎる。
 だが幸村はすでにどこからか降って湧いてきた二本の槍を構えて準備万端である。小山田も刀を何時でも抜けるような体勢に入っている。踏み込む気か。
「ちょ、ふたりとも本当に駄目だって!あれは違うの!大人の営みなのっ」

「あ、あ・・・ッ!!い、いやだっ」

「嫌がっているではないか!!踏み込むぞ小山田殿ォ!!」
「合点承知!!」
「らめえええええええええ!!!!」
 ぶふぉっ。
 佐助は声にならない叫び声を上げながら、煙幕弾を放った。
 途端に周囲が真っ白な煙で覆われ、呼吸が苦しくなる。
「げっほげっほげっほごほごほっ」
 ふたりがせき込み始めた。もはや逃げ隠れできるレベルではないが、部屋の中の様子を大事な主が目にして卒倒するより遥かにマシである。たぶん。
「なんだ!?敵襲か!?」
 がらっと勢いよく飛び出してくる全裸の男がこの惨状にきょろきょろしながら腕で口を覆う。
「おいおい何の騒ぎだこりゃあ」
「はっ!ちょうそかヴぇ殿!!なにゆえ毛利殿の寝室におられるか!しかも全裸で」
「えっ」
 もうもうとたちこめる煙が少しずつ薄くなっていく。
 隠し持っていた忍具のひとつで、あまり効果は期待できない不良品である。かすがに売りつけられて仕方なく少ない給料から支払ったものだ。
 全裸の男は何も隠すことをせず、堂々とした足取りでぽかんとしている三人をじろじろと眺めた。
「おおおさすがは西海の鬼。ご立派なものをお持ちで」
 うらやましそうに小山田が呟く。
 もうあんたは黙ってて。俺様の胃が破裂しそう。
 褒められて気分を良くしたのか、長曾我部は見せつけるように腰に両手を当て不敵に微笑んだ。
 せっかくの男前だが全裸なので台無しである。何かぶらぶらしてるし。
「おう、それよりこんな真夜中にどうしたんだい?忍者ごっこか?」
「い、いや・・・。通りかかったところ中からただならぬ気配を感じてよもや毛利殿が敵に襲われているのではと思った次第でござる」
 なーんだちょうそかヴぇ殿だったのか、あっはっはっ。
 細かいことは気にしないさすがは天然大将である。幸村は闊達に笑い、つられるようにして小山田と長曾我部も笑った。
「で、何をしていたので?」
 笑い声がぴたりと止む。
 聞いたのは幸村ではなく小山田だった。
 心底不思議そうに長曾我部を見る。佐助はさぁっと血の気の引いた顔で慌てて大きく手を振った。
「ちょっ、いいじゃんもうそんなこと!ていうかなんで聞くのそれ!?」
 もしかして嫌がらせ?小山田殿まさかのドSキャラ?
 じぃっと純粋な四つの目で見つめられ、長曾我部は困ったようにがりがりと銀色の髪をかいた。
 ちらっと視線を投げかけられたが佐助はどうすることもできず目をそらすだけだ。ごめんなさい、俺様もう無理。
 すると長曾我部はにやりと笑い、しゃがみこんだ。
 つられて思わず三人もその場に座り込む。
 どうでもいいが暗い部屋の中から殺気がするが早く逃げた方がいいのではないだろうか。
「いいかお子ちゃまたち。惚れたモン同士が夜更けにやることって言ったらひとつしかねえだろ覚えとけ」
「?」
 首を傾げる幸村に、しばらく考え込んでいた小山田がああ、とてのひらを叩いて、満面の笑みを浮かべた。
「つまり毛利殿と長曾我部殿はまぐわっ」
「うあああああああああああああああああああ!!チーズクリーム!!」
「どうしたのだ佐助!!」
 最後まで言わせないよっ、と佐助は腹の底から叫んだ。
 どうせ幸村は何も理解できていないだろうが、それはどういうものだ、と聞かれれば困るのは自分である。
「ごめんね旦那、俺様真夜中にチーズクリーム味のもみじ饅頭を食べなきゃ死んじゃう病にかかっちゃったかもしれない!!」
「なんと!?」
「それは一大事ですな」
 全くそうは思っていないような顔で小山田が立ち上がる。えいよっこいしょーっとでも言わんばかりである。
「大変でござる、ちょうそかヴぇ殿、チーズクリーム味のもみじ饅頭を至急頂きたく!」
 幸村が泣き出しそうな顔で告げた瞬間、殺気に満ち満ちている部屋からぽーんともみじ饅頭が飛んできた。チーズクリーム味だ。
「おお、毛利殿かたじけない!!さあ佐助早く食すのだ!」
「おいしそうですな」
「あ、うん・・・ありがとう」
 本当は俺様、普通の餡子がいいんだよね、とは口が裂けても言えない佐助であった。