お邪魔虫






 大阪城、深夜。
 どこか物悲しげに鳴く虫の音もぴたりと止む刻限に、ふたりは互いの呼吸だけを聞きながら抱きしめあっていた。
 天下分け目の戦は近い。それでも、東西ともに巨大すぎる軍に成長した今となってはそれらを統率し、布陣を考え、策をめぐらすのにうんざりするほどの時が必要となる。
 ここ西軍の本拠地も同じで、それぞれ将を務めるものが出たり入ったりしつつ表面的にはまだそこほど緊迫した空気もない。
「なんかよォ、嘘みてえだな」
「なんの話だ」
 それより暑苦しい、どけ、と冷ややかに言う毛利の唇を軽く指でふさいでから、もがく細い体をぎゅっと抱きしめた。
 身をよじってたくましい腕から逃れようとするが、抵抗というほどのものでもなく単にされるがままになるのが不本意なだけなのだろう。
 素直に身を任せるところも死ぬまでに一度は見てみたいものだ、と思いつつも長曾我部は無駄と分かる抵抗をいつまでたってもやめようとしない腕の中の体が好きでたまらなかった。
「石田も大谷も真田も、他にもいろいろさ、こうして同じ城の中にいるっていうのにさっぱり緊張感がねえ。今朝もよォ、真田のやつが石田にくっついてまわってたぜ。手合わせしてくれーって」
「ふん。まるで童子よ」
 考えることがなにもなくて結構なことだ、と皮肉まじりに漏らせばくっくっと長曾我部は笑った。
「あの石田がちょっとばかり困ったような顔してたんだぜ。ありゃあ見ものだった。あんたも苦手だろ、真田幸村みたいな純粋無垢なやつ」
 独眼竜風に言えばピュアってやつだ。
「つまらぬ。興が削がれるではないか」
 言外に集中せよと叱られて長曾我部はにやにや笑いながら腕の中からこちらを睨みあげる美しい瞳に唇を落とした。
「嫉妬してくれんのかい?」
「阿呆め」
 こつんと額と額とを軽くぶつけて、そっと夜着の合わせから手をしのばせるとすべすべとした肌が気持ちいい。少しばかり冷えていたのだろう、無骨なてのひらで撫でまわされてぞわりと毛利の肌に鳥肌がたった。
「寒い」
「すぐ熱くなる」
 あやすように背中を撫でてわずかに上半身を起こし、ふいと目をそらした男の頬に唇を寄せたところでばたばたとあわただしい足音が聞こえてきた。
「なんだ?」
 何かあったのか、と長曾我部をおしのけるようにして毛利が起き上る。
 足音は次第に大きくなり、やがて襖の向こうでぴたりと止まった。
「おまえさんに客か?」
「このような刻限にか」
「毛利殿!」
「・・・あ?」
 知った声がおそるおそる、といった様子で呼んでくる。
「もうおやすみになられたでござるか」
「・・・真田?」
 日が暮れると同時に鬼島津に乗せられて酒宴で騒ぎまくっていた真田幸村だ。宴には無理やり参加させられた三成もいたはずだ。長曾我部はたらふく飲んだ後するりと姿をくらましこうして毛利の部屋でいちゃいちゃしているのであった。
「夜更けにご無礼申し訳ございませぬ」
「一体何用だ」
「実は少しばかり相談事が」
「我にか」
「毛利殿でなくては務まりませぬ」
「意味が分からぬ」
「大谷殿が申しておりました」
「大谷が?」
「そうでござる」
 長曾我部と毛利は顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
 相談事の内容にもよるが、おそらくこの西軍を束ねる武将たちの中で毛利は最も相談相手には向かないのではないか、と思う。毛利自身もそう思うのだから、長曾我部などは眉間に深く皺を寄せ、唖然としている。しかも真田に、毛利に相談するよう勧めたのが大谷というのはどういうことか。
「大谷も酒宴にいたと思うが」
「酒宴の後大谷殿に相談に参ったでござる。そしたら、毛利殿の方が詳しかろうと」
「・・・ふむ」
 あの大谷が言うのであれば、何か戦の策などに関する重要なことなのだろう。
「いやそれなら大谷でいいんじゃねえの?」
「・・・よく分からぬが。それで何の話だ」
「それが・・・」
 さすがにこの状況で中に入れ、と促すわけにはいかない。なぜ寝具の上でおふたりが絡まっておられるのかと尋ねられればごまかしようがない。何を説明したところで真田がどう反応するかは何となく想像がつくが、面倒なことになるのは必至である。真田も、開けてくれとは言わなかった。ぺたりと廊下に正座しているらしく、部屋にともされた細い灯りが揺れる度に真田の影もゆらゆらと揺れている。
「それが、ついさきほど文が届いて」
「どこから」
「それが」
 言い淀んで、真田はもじもじと手のひらを無意味に動かしたり、肩を揺らしたりせわしない。
「早く申せ」
 苛々しながら毛利がせっつくと、真田が意を決したように声を上げた。
「ままままま政宗殿から文が届いたでござる」
「政宗って独眼竜の伊達政宗か」
 小さく長曾我部が呟くと、黙っていろと睨まれた。
「東軍の伊達からなぜ貴様に文が届くのだ。もしや西軍を離反しろとの誘いではあるまいな」
 あり得ない話ではない、とふたりは思った。そもそも伊達にしろ真田にしろ、それぞれが互いに勝負がしたい、というのが前提にある。真田は武田信玄の意をくんで徳川と敵対する西軍に身を置いてはいるが、大一番の戦では出撃の予定はないのだ。ふたりが戦いたいだけなら別に西軍でも東軍でもあまり意味はないのではなかろうか。
(伊達も天下を狙っておる。あわよくば徳川を討ち取ろうと隙を窺っているのは周知の事実)
 だが真田は驚いたように背筋をのばして、それを否定するのだった。
「いえ、そうではありませぬ」
「では何だ」
「それが、内容がよく理解できませぬ」
「南蛮語だからか」
 長曾我部の突っ込みは、静かな周囲に響いたらしく、真田は何の疑いもなくそれも否定した。なぜここに長曾我部がいるのか、と聞くことすらしない。
(まさか全部ばればれとか?いやまさかな)
「確かに横文字は理解できませぬが、それは心の目で何となく分かるでござるよ!」
「あっそう」
 それは良かったね。
 だんだんと面倒になってきたふたりはあくびを噛み殺しながら再び布団に横になった。せっかくの甘い雰囲気もぶち壊しだし、明日も早い。互いの体温を分け与えながら静かに眠るのもいいだろう。
「そうではなくて!なにやら、愛がどうだのと書いてあり申した」
「愛・・・だと」
「待て元就、おまえちょっと耳塞いどけ」
 ぎょっとして毛利の両耳をふさいでもがく体を押し返しつつ、長曾我部は相変わらずゆらゆら揺れている真田の影に向かって言った。
「えっと、何だそりゃつまり恋文でももらったってことか?」
「こっ恋!?破廉恥でござる!」
「いやそうなんじゃねえの?ちょっと読んでみろよ」
「しょっ承知!」
 がさがさ言わせながら、真田は懐で大事に温めていたらしい文を取り出し、大きな声で読み上げ始めた。
「『でぃあー、まいはにー。遠く離れた地で空を見上げいつでもてめえのことを思い憂鬱なえぶりでい、この胸の内にとどまるを知らない愛、それはらぶ、そしてばーにんぐふぁいあー』」
「あ、もういいわ」
 くらりと眩暈がして、長曾我部は毛利の耳をふさいだまま片手だけ外して布団をかぶった。
 見ればすでに毛利の意識は半分飛んでいる。
「これは一体どういうことでござろうか。大谷殿は、きっと毛利殿なら訳せるであろうと」
「あのな、真田。簡単に訳せばあれだ、決戦の地で待ってるからお互いいい勝負しようなヒャッハア!てことだ。良かったな」
「なんと、そうであったか!気になって夜も眠れぬところであった。礼を申す長曾我部殿!」
「はいはいおやすみ」
 がばっとお辞儀をして、そのまま何故かたたん、たたん、と不思議な足取りで真田が去っていく。
 長曾我部はぬくぬくと眠っている毛利を起こさないようにそっと身を起こし、襖を開けた。廊下に漂うきつい酒の匂いにうえっと舌を出してやりすごす。
「あー・・・酔っ払いか」
「愛とは・・・なんであろうな・・・」
 ぞっとする寝言を吐いている毛利の頬を一度抓ってから、長曾我部は今度こそ布団の中に沈んだ。
「大谷のやろう・・・」
 きっと嫌がらせに決まっている。それか彼もまた酔っ払っていたかのどちらかだろう。
「勘弁してくれよ・・・」
 せっかくの逢瀬を邪魔した伊達政宗に恨み事を呟きながら、次に会ったら一発ぶん殴ろうと決めたのだった。