何だかいい匂いがする。
寝ぼけ眼のまま、元親はふと寝がえりをうってうっすら目を開いた。
見れば細く空いたドアの向こうからやけに食欲をそそる香りが漂ってくる。
いくら寝起きだからとは言えそこは成長期真っ只中の男子高校生だ、目が覚めると同時に腹も減る。
ぐぅ、と欲望に負けない腹の虫が鳴いて、元親はのっそりと上半身を起こすと目をこすった。
ベッドサイドに置いた眼帯をはめるときょろきょろとあたりを見渡す。隣りに寝ていたはずの同居人兼恋人の姿がない。いつも早起きなので気にはしないが、それでも何だか寒いなあ、と誰もいない空いたベッドの隣りをさすった。
脱ぎ散らかしたズボンをだらっと履いてリビングキッチンへ顔を出す。
「おはよー元就・・・おまえ何してるんだ?」
見慣れない不思議な光景にぎょっとしてキッチンへ歩み寄る。
元就はすでにきっちり制服を着た姿で、エプロンをしていた。やけに大きな紫色のそれは元親のものだ。サイズが合わないせいで肩ひもがずり落ちている。
「おはよう。見れば分かるだろう」
「いや見ればっておまえ・・・」
そっけなくこちらを見るとすぐにせわしなく手を動かす。
テーブルの上には大きな弁当箱と一回り小さな弁当箱が並んでおり、半分は白いご飯が敷き詰められている。作業台にはキッチンペーパーの上に転がったいくつかの唐揚げがおいしそうにこちらを見つめていた。
「なあこれ・・・」
「弁当だ」
「そうだな弁当・・・ってえっ!?弁当?いやいやいやおまえ、何言って、えええええ!?」
「朝っぱらから騒々しいやつだな」
軽く睨んで、さっさと顔を洗えとぞんざいに手を振った。
唖然として元親は立ち尽くす。それを馬鹿にしたように元就は笑って、言った。
「生活費節約のためだ。毎日コンビニやら購買やら食堂を利用していてはもったいないだろう」
だから仕方なく作ってやっているのだ、感謝しろ。
尊大な言い方だが、表情が伴っていない。
(やべえ・・・俺今すげえ変な顔してる)
自覚はある。だから、元親は曖昧にうなずくと、慌てて顔を抑えて洗面所へ走った。
背後で元就がこちらを注視しているのが気配で分かったが、とてもじゃないが今の顔で振り向くことはできない。
元親は一度眼帯を外すと蛇口を一気にひねって冷たい水で顔を洗い、両手でばしばしと頬を叩いた。じんじん痛むそれをつねったり引っ張ったりしながら顔を上げる。
目の前の鏡の中では自分と似た顔の男がやけにしまりのない表情をしている。鼻の下はでれでれ伸びているし口元はにやけているし、誰が見てもキモチワルイ。
「やべえ・・・弁当って、元就が弁当って!作ってくれるなんて、あの元就が!!」
朝食のトーストを焼くことすら面倒がる元就が。普段いやいや手伝うことはあっても自ら進んで料理などしない元就が。もっぱら味見専門で包丁の扱いすらぎこちないあの元就が。朝から、弁当作り!
「まじかよ・・・」
ああ本当にやばい。今日一日ずっとこんな顔をしていては、絶対やつらに笑われる。けれど、嬉しい。嬉しくてたまらない。幸せってこういうことを言うんだなあ。
「おい元親何をやっている!さっさと食パンを焼け!我は忙しいのだぞ!」
「はいはい今すぐ!!」
それこそ顔の前にニンジンをぶら下げられた馬のように走って、元親はいそいそと朝食の支度にとりかかった。
見れば弁当の中身はほとんど出来上がっていて、隙間にしゅうまいをぐいぐい入れている元就の細い腕がやけになまめかしい。昨夜あの腕を掴んで、引き寄せて、それからあんなこととかこんなこととかしたんだよなあ。
「・・・元親」
「なっ何だ?あ、スープ今日どれにする?コンソメまだあったかな・・・」
「・・・・コーンポタージュ。おまえその顔何とかしろ」
「へっ」
「顔だ!デレデレしおって!別に弁当を作ったのはおまえのためなどではないからな!節約だと言っただろう!だいたいおまえがいつも無駄な支出ばかりしてるから・・・」
だから仕方ないのだ、と段々語尾が消えて行く。うつむいた表情は長めの髪に隠れてしまって見えないが、隙間からのぞく耳が赤い。
「あ、ああ・・・うん。ありがとな」
「ふん」
馬鹿め、と呟く声には全く力が入っていなかった。
「おお!今日はおふたりとも弁当でござるか!」
「へえ珍しいね」
覗き込む幸村につられて慶次も身を乗り出した。
天気の良い日はこうやって屋上でみんなで食べることにしているが、今日ばかりは選択を誤った、と元就は内心歯噛みした。
ノリと勢いで日々を暮らすこのやかましい連中がからかってこないはずがないのだ。こんなことなら元親を無理やり連れ出してどこか静かな場所へ行くか、別々に食べれば良かった。
むっとして無意識に箸を噛む元就に、元親は苦笑する。
「生活費節約しねえとな」
「元親、弁当まで作るのか。器用だなあ」
八つものパンを豪快に食べながら家康が感心する。
「あーいや、これ元就作」
「・・・えっ?」
えええええええええええええ!?
青空の下、五つの叫び声が響く。屋上にいる他の生徒たちが何事かと振り返るが誰も気づかなかった。あまりの衝撃的な展開に、三成さえもが言葉をなくしている。
「お、おかしければ笑えば良いだろう!」
かっと顔を赤らめてそっぽ向く元就に、それぞれ異なる反応を返す。にやにやしたりおろおろしたり目を見開いて見つめたり。
真っ先に立ち直ったらしい政宗が、元親の大きな弁当を自分の箸でつついた。
「しっかし意外と普通なlunchだな。料理できたのか」
勉強はできても天才的に不器用なタイプだと思っていた、とものすごく失礼なことをさらっと言う政宗に、当事者ふたり以外の全員がうんうんとこれまた失礼にうなずいた。
「別にこのくらいは・・・ほとんど冷凍食品だぞ」
むっとしたように顔をしかめて、元就はもごもごと反論した。
不機嫌な顔をしているが怒ってはいないな、と元親は判断する。
無表情なことが多い元就だが、彼が本当に怒った時はそれこそ能面のような表情になり一切感情を表に現さなくなる。
こうやってあからさまに嫌そうな顔をしたときは実はそれほど怒っていないのだ。
面倒な性格だなあとつくづく思うが、前世はともかく現世で幼馴染みとして十年以上一緒にいれば嫌でも慣れるというものだ。だからこそ、たまに元親だけに見せてくれる色めいた微笑みだったり、一緒に眠るときの幼い表情がとても貴重で可愛く見えるのだ。
希少価値が高いものほどそれを見たときの満足感は言葉にできない。
「ご飯に梅干し、唐揚げ、卵焼き、しゅうまいにツナサラダ。あ、もしかして唐揚げとしゅうまいはレンジでチン、でござるか?」
「そうだ。ツナサラダは昨日の夜作っておいた」
つまり朝起きてやったことはご飯を詰めてレンジでチンと卵焼きを作るだけである。
「あ、だから朝ボウルに大量のツナサラダがあったのか。何かと思ったぜ」
トーストにのせて食べたあれは弁当の中身だったのだ。作りすぎたのか、作りだめのつもりかは分からないが、家の冷蔵庫にはまだ残っているサラダがタッパーに入れて保存してある。
「いいなあ弁当。ワシの分も誰か作ってくれんかなあ」
家康がちらちらと隣りに座る三成を見ているが、三成は完全に無視してラップに巻かれた手作りサンドイッチ(竹中作)をもしゃもしゃと食べていた。
ちなみに幸村は佐助の、政宗は小十郎作の手作り弁当を持ってきたり持ってこなかったりしている。慶次は購買で人気のパンを購入するのを楽しみにしているし、三成は竹中の気まぐれらしい。
「いいねえ。青春だねえ」
「Ha!青春って言うならそれらしいことして見ろっつうの。女のひとりもモノにできねえ万年春男さんよ?」
「ひっでえ〜」
政宗の突っ込みに慶次がけらけらと笑って頭突きをかました。
「な、元就」
「ん」
午前の授業で孫市センセが、だの保健室の前で不穏なオーラが、だの尽きることなく話題を変えて行く中ひとり黙って弁当をつついている元就に、元親はそっと話しかける。
「毎朝じゃなくていいからさ、交代で作ろうぜ、弁当」
その言葉に元就は不思議そうな顔をした。
「大変だろ、毎日作るの。俺おまえに負担かけたくねえし。適当でいいんだよ適当で」
だから今夜は一緒に飯作ろうぜ。
普段ならそっけなく嫌がる元就だが、何やら機嫌がいいらしい。
無表情のままこっくりうなずいて、真剣に卵焼きを口の中に放り込んだ。
ああ、元就専用のエプロンを帰りに一緒に買いに行こう。
包丁で指を切らないようにピーラーも買おう。
そんなことを考えながら、真っ白な雲が流れる青い空を見上げた。