毛利家事変 弐






 ちょっとやりすぎじゃないの、と怖々主張する毛利家次代当主に、あっさりと「そんなことないよ」と言ってのけたのは武の将と誉れ高い吉川元春である。
 大張りきりでハチマキを額に巻き、あれやこれやと戦装束に身を包み、軍の編成やら何やらは姉婿の宍戸隆家に全部任せて、彼は愛用の槍を眺めている。
 姫切、と名付けられたそれは実は二本ある。普段の戦では一本しか使わず、もう一本は大事に飾られたままだが、何故か今回はどちらも使用するらしい。つまりやる気満々である。
 おまえ天下分け目の戦でもそんなやる気見せなかったよな、と誰もが思っているが口に出すことは当然しない。
 何せこの吉川元春、毛利の身内の中で数少ない、元就に反抗するだけの度胸の持ち主である。
 元服前から元就の反対を押し切って戦へ出陣し、敵武将の首を打ち取って血に濡れた顔できゃっきゃ騒ぐほどの精神力はあなどれない。
 ついでに血気盛んで一度頭に血が上ると暴れ出して手に負えない、まさに毛利一族最大の厄介な生き物なのである。
 機嫌良さそうに戦支度をしている彼に口答えなどすればその場で斬られかねない。割と短気なところは元就の血を濃く受け継いでいる。
「で、でもこんな大軍勢・・・。徳川殿に知られたら、ていうか絶対知られると思うけど、毛利の立場を危うくしかねない」
 お家大事。
 隆元は弟を何とか宥めようとするが、空回りするばかりだ。
 そもそも、徳川の世となった今、私闘は禁じられている。
 ただ国境での小競り合いなどは日常的に発生しており、いちいち報告するほどでもないものについては領地の主が兵を率いて収めるにとどまっていた。
 だが今回は小競り合いと言うには規模が大きすぎる。
 何しろ船団の規模は500、兵士の数約4千。そのうちおよそ一割を本陣の厳島に置き、隆元がそれを守る。
 隆景が水軍を率い、元春は遊撃部隊を率いて四国へ上陸、一気に岡豊城を攻めるという無謀な作戦である。
「平気平気。隆景が海賊軍団を海の上に引きつけておいて俺らがこっそり上陸して元就様を救出するだけだし」
「いやいや全然平気じゃないだろ!敵地の本拠地に単身乗り込むなんて。それよりちゃんと和議を、」
「・・・・・・兄上」
「はい」
 反射的にびくっとして背筋を伸ばす。やばい、怒らせたか。
 どきどきしながら様子をうかがう兄に、元春はふう、とやけに大人びた顔で嘆息した。
「長曾我部は!敵だ!」
「え、あ、うん・・・・・まあ。でも一応戦乱の世は終わったようなものだし」
「違う!!」
 そうじゃない、と地団太を踏んで、元春はするりと姫切を掲げる。
 その顔には昏い憎悪の表情が浮かんでいた。
「長曾我部は・・・・・・元就様を!!あれやこれや唆してなんだかんだしている!!」
「ひゃぁ」
 あけすけかつ意味不明ででもよく理解している元春の言葉に、隆元は高い声を上げると両手で顔を覆ってしまった。
 耳が真っ赤になっている。今ので通じたらしい。
「ぜってぇ許さねえ・・・・・・ぶっ殺してやる!!」
「ええっ無理だよー西海の鬼だよ!?怖いよー」
 怖いよー恥ずかしいよーを繰り返しながらおろおろする隆元を無視して、元春は遊撃隊のいる方へと足早に去って行った。
 非常にまずい展開だ。
 長曾我部殿逃げて。元就様置いて今すぐ逃げて。
 隆元は心の底で叫んだ。


 

「何で俺、長曾我部の跡継ぎなんだろう・・・・・・」
 うなだれて悲壮な顔をする信親を、元就と元親はひどく微妙な表情で眺めていた。
 今度は何を言い出すのか。
「何だよ嫌なのかよ」
「そうじゃない、俺は長曾我部の血を継ぐことには誇りを持っている!」
「じゃあ何だよ」
 どうしたんだ、とアニキ風を吹かせつつ肩膝をついて顔をのぞきこむ。
 なるほどこうやって人心を掌握しているのだな、と元就はしぶしぶ納得した。
「だってこのままじゃ俺、毛利家に婿入りできない!」
「よしちょっと頭冷やそうか。な?」
 ちょっと食い気味に肩を叩きながらどうにかこの場から連れ去ろうとする元親だったが、同じくらいの体系の成人男性を引きずるのはなかなか難しい。
 冷や汗をかきながらちらっと振り返ると案の定元就が殺気を纏いながら畳に爪をたてている。
 すでに畳の一部がぼろぼろだ。そんなところで爪とぎするのはやめてほしい。
「貴様・・・・・・何戯けたことほざいておる!貴様のような野蛮で磯臭くて無駄に図体のでかい海賊なんぞ毛利にはいらぬ!」
「じゃあ隆景殿が長曾我部家にくればいい!」
「死ね!焼け焦げよ!」
 たまらず憤怒の表情で立ち上がると、傍に何故か転がっている杓子を手に持って天井へと掲げた。
「からすきの星よ我が紋よ!!」
「わあああああ!!ちょっと待て!やめろ馬鹿おまえ、城ぶっ壊す気か!!」
「杓子で!?」
 あわや大惨事、というところでタイミングがいいのか悪いのか、家臣が慌てた様子で入ってきた。
「大変です殿!!」
「こっちの方が大変だ!何だ!?」
「毛利軍です!」
 ぴた、と元就の動きが止まった。
 信親を羽交い絞めにしていた元親も硬直する。
「・・・・・・なんだって?」
「毛利軍の船約500隻が、瀬戸海に集結してこちらへ向かってきます!」
 ほら来た、と言わんばかりの元就の冷たい視線に、元親と信親は互いに目を見合わせた。
「どうするんだよ信親、おまえが撒いた種だからな!」
「分かってる」
 そう呟いた信親はきっと宙を睨んだ。
「アニキ、迎え撃つ部隊の指揮は俺にやらせてくれ」
「・・・・・・どうするつもりだ」
 おそらく毛利軍は元就救出を大義名分として仕掛けてくるはず。おとなしく渡せば引き下がるだろう。
 あまり派手な戦にすると徳川に知られるところとなる。一度は退けたものの、きっとあの男はあきらめてはいない。
 ちら、と元親が元就を見た。
「遅いな」
「何が?」
「貴様、我を返せば毛利の軍が容易に引き下がるなどと甘いことを考えておるのではないか?」
 図星だ。
 え、という顔をする元親に、元就はあからさまに馬鹿にしたような表情を浮かべて首を振る。
「我がおらぬ際、誰が毛利の軍を実質率いると思うのだ?あれは・・・・・・おそらく長曾我部、貴様の首を獲りにくるぞ」
 やれやれ、とあきらめたように壁にべったり背中を預け、さらばだ長曾我部、などと不吉なことを言うのだった。



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 厳島に本陣を構えた毛利軍は、領海を主張している小島それぞれの砦に船を待機させ、大将船の安宅船に隆景が乗り込むことになった。
 名目上は総大将、要はお留守番役の隆元は厳島で弟ふたりを見送る。
 怪我するんじゃありませんよ、とお弁当を持たせてやったが、元春はその場で食べてしまった。早弁にもほどがある。
「いいか隆景、俺は隙をついて遊撃隊を連れてこっそり上陸する。おまえはなるべく大暴れしろよ」
「分かってるけど・・・・・・」
 しかしこっそりと言っても、四国側もびっしりと船をはべらせ厳重に警戒しているだろう。ましてや岡豊城まで誰にも気づかれずのぼれるとはとうてい思えない。忍でもない限り。
「気をつけてね兄上」
「おう」
 心配そうな隆景の声を背中で受けて、元春は船へと乗りこんだ。遊撃隊には宍戸隆家や福原元正らもいる。
「隆景様」
 陣の展開が終了しました、と桂景信が報告した。
 隆景はうなずいて、手にした采配を伸ばす。いまだ炎を出す力が及ばない、元就から譲られた大事な神器だ。
 足りないものばかりだ、と、傍らにいる桂に気取られないよう小さく息を吐いて、命令する。
「長曾我部軍をかく乱しつつ全ての敵水軍を海上へ誘いだせ!敵総大将は?」
「は、それが」
 答えは予想通りだった。
「長曾我部信親です」



「長曾我部、貴様はどうするのだ」
 慌ただしく信親や家臣たちが去った後、しんと静まりかえった岡豊城内でふたりは城下を見下ろしながら佇んでいた。
 攻めてきた軍の国主と、攻められている国主。
 浚われた方と浚った方。
 そのふたりが肩を並べているというのもおかしな状況である。
 長曾我部は少しだけ憂いの表情を浮かべて、静かに元就の腰に手をまわした。
 拒否されるかと思って身構えたが、元就は元親の腕を外そうともせず、何事もないかのようにただ空を眺めている。
 砲撃の鈍い音がどこからか響いた。
「俺はよ、いずれ信親に跡目を譲る。そう遠くない未来に。なあ、そしたらさ」
 互いの目を見ることもなく、触れあう肩は熱を持っていた。
「そしたら何のしがらみからも解放される。もう長曾我部と毛利の国主としてじゃねえ、ただの隠居じじぃだ」
「何が言いたいのだ貴様は」
「ああ、だからよぉ・・・」
 一緒に暮さないか、と、元親は呟いた。
 しばらく気まずい沈黙が流れる。
 空を飛ぶ名前の分からない鳥が甲高く鳴いて、ふたりの頭上を横切って行った。
 何となしにそれを目で追っている元就が、呆れたように嘆息して腰にまわったままの元親の腕を無理やり解く。
「阿呆か貴様」
「ああ、阿呆で結構だ。だがおまえがここを動こうとしないのは見極めるためじゃえねえのか?次代の毛利を。おまえなしでどこまで戦えるのか、それを試したいんだろう?」
 顔をのぞきこまれて、元就は眉間に皺をよせながら鬱陶しい男の顔を払いのけた。
「くだらぬ。我は毛利であり、それは生涯変わらぬ。何故海賊と共に暮さねばならぬのだ」
「海賊海賊っておまえなあ」
「海賊であろう。それと」
 ふ、と顔を上げ、何かを確認するように目線をどこかへとそらせた後、元就は振り返って元親を見た。
「我がここを動かぬのは動く必要がないからよ」
「・・・・・・どういう意味だ」
 西海の鬼が首を傾げるのと、大きな爆音が響いたのは同時だった。
 ぐら、と揺れて、壁がぼろぼろと崩れ落ちて行く。
「なっ、何だ!?」
 武器庫が爆発でもしたのか、と慌てて下をのぞきこむ。
 人を呼ぼうとしているうちに、なにやら辺りが騒がしくなって、城に残っていた家臣たちの怒号が聞こえた。
「おい、何があった!」
「殿!」
 息を切らせながら重臣のひとりが槍を手に駆けて寄る。
「侵入者です!いつの間にここまで・・・・・・」
「城に?入られたのか!見張りは何してやがった!」
「全員倒されております!騒ぎひとつ起こすことなく侵入した模様、どこぞの草の者かもしれませぬ」
 だが侵入した後に今度は大暴れを始めたのだと言う。
「侵入者の数は?」
「数は、おそらく十ほどかと」
「おいおい、情けねえなあ」
 いくら自軍のほとんどが海上へ出ているからと言ってもたったそれだけの人数で、この様か。
 舌打ちしながら碇槍を手に踏み出そうとした元親だったが、それよりも相手がやってくる方が早かった。
 どかっ、と派手に長曾我部の者らを蹴り倒し殴り倒しつつ、ひとりの若者が風のように現れる。
 細面の秀麗な顔立ちはまなざしがきつくきりりと釣り上がり、美しさよりも猛者であることをはっきりと印象づけている。
 明るめの髪は見慣れたそれよりも少し短めで、風にひるがえる長い鉢巻には毛利の家紋。
 両手に片鎌槍を持ち、息も切らさずいつの間にかそこに立っていた。
「・・・・・・ふうん。なかなかやるじゃねえか」
 ほっそりとした体型を鎧で包んだ姿は艶やかで、一見とても強そうには見えない。
 あっさりと腕を捻り上げられそうな気がする。
 だがそれは誤りであることを元親は直感した。
 こいつは危険だ、と本能が告げる。
 不敵に笑みを浮かべ碇槍を構えた。
 後ろにいる元就は動かない。
「一応、名前を聞いておこうか」
 俺のことは知ってるんだろう、と得意げに笑う元親に、若者はにこりともせず槍を突き出し、冷たい風のように告げる。
「わが名は吉川元春。お相手願おうか、西海の鬼!」
 押し隠した怒りが名を宣言する声音からにじみ出ていて、ああまだ若いな、と元親はせせら笑った。
「鬼退治かい、小僧。上等だ、きやがれ!」
 とん、と元就が後方へ飛んだのが気配で分かった。
 巻き込まれまい、という意味なのか、それとも勝手にやれということなのか。
 だが背後を振り返る余裕もなく、突進してきた元春の槍を振り払う。
 片槍の先と、元親が振るう碇槍の先端ががきっと絡み合い、火花が散った。
 力任せのように引っ張り合う。見かけとは裏腹に、元春の力が強い。腕がきしんで睨み合いが続いた。
「お供はいらねえのかい?」
 見れば元春に従ってきたはずの部下たちは、城内の長曾我部兵たちとやりあうのに忙しく主に加勢しようとする者はいない。
 だが元春は不快そうに眉を吊り上げ、冷ややかに言い放った。
「加勢だと?そんなものいるはずないだろう」
 阿呆か、と吐き捨てる声は元就によく似ていて、いらっとした。
 可愛くない。こいつ本当に隆景の兄か?顔立ちはよく似ているのに、こうも真逆の性格をしているのか。
 いっそ元春が元就の影武者をやっていれば、こんなにややこしいことにならなかったかもしれないのに。
「うらぁ!!」
 勢い任せに二本の槍を打ち払い元親を後方へ吹き飛ばす。
 危なげなく体勢を整えながら元親はにやりと笑った。
「なかなかやるじゃねえか」
「黙れ変態海賊野郎!」
 なかなかひどいことを叫びつつ、元春はふたつの槍の柄を互い合わせにすると押し込むような仕草をした。
 ガチッと何かをはめ込むような金属音がしたかと思うと、三間ほどの槍が倍の長さになりひとつに合体している。
「なんじゃそりゃ!」
「カラクリ好きの貴様の言葉とも思えんな」
 後ろで元就が鼻で笑った。
 ぶんっ、と風を切る重い音がしてとっさに横へ跳ぶ。ここでは狭い。互いの得物が邪魔で仕方ない。
「おい、表に出やがれクソガキ」
「いいだろう、貴様が先にここから飛び降りろ」
「おい!!」
 ああ、口調が元就そっくりだ。
 舌打ちしつつそっと後ろを振り返ると、何やら満足そうに微笑む元就の顔が意外と近いところにあって、思わずぽかんとした。
 元春の殺気がさらに強まった気がする。
 逆に優しいとさえ思える元就の雰囲気がとても怖い。