絡め手






 ああ、イライラする。
 容赦なく照りつける日差しと砂嵐から身を守るように背中を丸めながら、尼子晴久は嘆息した。
 砂除けの布を放り投げ、それを上手くキャッチした山中鹿介が何か言いかけるのを無視して屋敷へと入って行く。
 早く全身を水で洗い流したい、と思いながらどすどすと廊下を歩いていると、何やら奥から慌てて出てくる家人の姿がある。
 ピンと来て眉をひそめると案の定、忠実な家臣はかしこまりながら、困惑したような変な顔をした。
「あの、晴久様。例の客人が・・・」
「ああ・・・・・・・うん」
 またか。
 ひらりと手を振って下がらせる。
 今日は、何だか優しく相手をしてあげられる心の余裕がない。
 否、いつだって優しくしてやっているつもりなどないのだけれど。
 それでも待っているというのだから顔を出さないわけにもいかず、晴久は私室の戸を開け放った。
 途端に吹いてくる涼やかな風。ひんやりとした空気が熱を持った体を冷ますようで心地よい。
 つい目を細めて中をのぞきこんだ晴久に、客人が振り返って満面の笑みを浮かべた。
「やっほー」
「・・・・・・やっほーじゃねえよ、ったく」
 急速に、苛立ちが治まっていくのを感じた。
 この気の抜けたような挨拶を笑顔を見て苛立ちを継続させる方が難しいだろう。
「わざわざこんなとこまで何しにきたんだよ広綱」
「お土産ーほーら可愛い赤ちゃんでちゅよー」
 にゃーん、と言いながら抱き上げて見せたのは白いもこもこふわふわの、何か。
「猫・・・じゃないなそれ!虎だろ!!」
 確かに赤ん坊の虎は可愛いけれども!
 成長した、獰猛な姿を知っているので触るのも何だか怖々である。
 そろりと手を伸ばして毛の表面に触れただけで、晴久は後ずさった。
「生まれたのか」
「そうそう。いっぱい産んじゃってさあ。晴久、もらってくれない?」
「遠慮する」
 砂漠で育てられる気がしない。
 ちぇ、と舌を出しつつ、広綱はそれほど本気ではなかったようで、単に見せびらかしたいだけだったらしい。
「どこ行ってたんだよ。けっこう待ってたんだぜ」
「あー・・・・・・うん、毛利がな」
「毛利?ああ、晴久負けちゃったんだっけ」
「うるせえ!停戦してやっただけだ!別に負けてなんか」
 ねえんだからな!と怒鳴るも、赤ん坊の虎がじっとこちらを見ているのに気付いて気まずそうに咳払いをした。


 負けたのである。それはもうぼろぼろだった。
 これ以上自軍の兵士を死なせるわけにはいかない。
 徹底抗戦を主張した鹿介たちを宥めつつ、晴久は毛利元就との和議に応じた。
 その、幾度目かの交渉のため安芸まで赴いていたのだったが。
 寄越されるのは冷ややかで高圧的なまなざしと、尼子方に不利な条件ばかりで。
 あれを寄こせ、これは捨て置け、と勝手な注文ばかりを押し付けてくる頭でっかちの大嫌いな昔馴染みに散々抗議しては受け流され、疲れた体を引きずるようにして帰ってきたのだった。
 どうもいまいち先手先手をとられている気がするのは元就がこちらの手の内を全て読んで嫌がらせをしているに違いない。
 心底憎みきれない、晴久の中にある曖昧な感情を見抜かれていることも大きい。
 言うなれば、昔晴久は元就に惚れていたのだ。ただしあんな性悪だと知っていればいくら顔が綺麗でも惚れるわけがない。
 つまりはただの一目ぼれである。
 かつて尼子と大内、両勢力の狭間で揺れ動いていた毛利家は、どちらにも敵対せず味方せず、人質を送ったり姻戚関係を結んだりして何とか家を存続させていた。家督を継いだばかりの元就はちょくちょく尼子の家へと招かれていたのである。
 当時の当主は晴久の祖父だった。ただならぬ関係にあった、などと噂する者もいたが、晴久にとってはどうでもよかった。
 どうせいずれ尼子家の家臣になるだろう弱小国人の当主など、祖父の稚児扱いだろうとどうだっていい。
 だが、一度だけすれ違ったときの、あの色香に完全に当てられたのは予想外だった。元就風に言えば「計算してないぞ」である。
 華奢だが決して弱々しくは見えない姿勢の良さや、切れ長の瞳、白くまろやかな頬、柔らかな髪。どのパーツをとらえても美しい人形のようで。
 祖父があれやこれやと仕立てては元就に贈り、礼儀として元就はそれを身につけ訪ねてくる。
 さすがと言うべきか祖父の見立ては完璧に元就の美貌を引き立てるものばかりで、こっそりのぞき見てはじーちゃんありがとう、とひっそり感激していた晴久だった。
 その元就が、である。
 瞬く間に尼子と大内を飲み込んで国力を増幅させ、いつの間にか中国九カ国を支配するまでになったのである。
 銀山もとられた。貴様の手には余るものゆえ我が管理してやろう、ときたもんだ。
(あああああくっそー!!!)
「はーるーひーさー」
 がしがしと頭をかいて歯噛みしていると、ひょっこりそばに寄ってきていた広綱がもこもこの虎の赤ん坊を腕に抱えたまま顔をのぞきこんできた。
「どうしたのさ。仕方ないじゃん、毛利っていやぁあの国力だろ。詭計智将でしょ。あんなのに真っ向から対等に渡り合えるのって軍神とか甲斐の虎とか、徳川とか、その辺くらいのもんじゃないの?それに和議結んだってことは毛利も晴久たちを滅ぼす気はないってことだろ?だったらさあ」
 お家を存続させることだけ考えれば、いいんじゃないか?
 あっさりとそんなことを言い放つ広綱に、びっくりして晴久は目の前の友人を見つめ返す。
 広綱はそんな晴久の様子など気にも留めずに、ひたすら虎の赤ん坊を撫でながらここは暑いでちゅねー、などと呟いていた。


 うしろめたいのだ。
 積極的に構いもしない晴久に文句を言うでもなく、ごろごろ遊んでいる広綱をぼんやり眺めて考える。
 まがりなりにも尼子家を継いだ当主の自分が。
 あっさりと元就の奸計にのせられてしまったことに。そこには明らかにやましい自分の下心があって、それを利用されていることに気付きながらも、これも尼子家存続のためだと自分に言い聞かせていることに。
 うしろめたさを感じてどうしようもなく切ない。
「なあ広綱」
「んー?」
 いつの間に差し入れられたのか、瑞々しい果物をしゃりしゃり食べながらぼうっとしている広綱に声をかけてみる。
 いつものように、なに、と笑顔で答えてくる友人に近寄ると、晴久はひしっと抱き締めた。
「うわぁ!?え、なに、どうしたの!?」
 驚きながらもよーしよーし、と頭を撫でる広綱に甘えるように顔を擦りつけ深いため息をついた。
「俺たちさ、ずっと友達でいような」
「え?うん。当たり前だろ」
 どうしたんだよー、と聞いてくるのには答えずに、もふもふと気持ちのいい何かが顔に寄せられるのに気付き目を開く。
 眼前に飛び込んできたのは白い毛玉だ。
「やっぱりこいつ、晴久が育ててくれよ」
 そしたら寂しくないかもよ。
 屈託なく笑う広綱に、俺はそんな柄じゃねーよ、と強がって、毛玉を受け取った。


***


 ん、と甘い声をあげるのを聞き流しながら、ほっそりした足首を掴んでさらに広げた。
 すでにしとどに濡れた中心を丹念に舐めながらぐにぐにと握りこんで刺激すればびくびくと白い足が痙攣する。
 抱いてる気がしないな、というのがいつもの感想だった。
 確かに、あの高慢ちきな智将があられもない姿をさらけだし、ましてや体を委ねること自体誰も想像だにしないだろう。
 涼やかな目元を赤く染め、常日頃から固く冷たい声音しか発さない唇が切なくとろけるような艶声を上げるのだから。
 それでも、と口の中に含んだそれがそう時間もかからず弾けるのを受けとめながらひっそり嘆息する。
 単に、いいように扱われているだけじゃないだろうか。いわば奉仕である。従順な飼い猫のようだ。
 あの、もこもこの白い毛玉ほど可愛がられることもなく、飼い主の機嫌の良し悪しで与えられる餌が変わるような。
 は、と満足げな息をつくのを頭上で聞きながら晴久は体を起して、飼い主の顔を見下ろした。
 涙と汗に汚れた美しい顔。白い端正なつくりをしたそれが赤くそまってなんとも言えない艶を放っている。
 これでは誰も放ってはおかないだろうに、誰よりも構ってほしいのだろう相手は今は瀬戸内には不在らしい。
(だからって当てつけのように呼び出されてもな)
 軽く俯いた頬に手をかけると嫌そうに睨まれた。自分が吐き出したものだろうに、汚れた手で触られるのに苛立った顔をする。
 だが振り払われなかったので(それすら億劫なのだろう)気づかないふりをして晴久はしっとりとした頬に唇を寄せてみた。
 薄い肩を掴んで引き寄せ背中に手をまわし、浮き出た肩甲骨をなぞる。
「鬱陶しい。離れぬか」
 冷ややかな声はまだ艶を含んでいて、少し掠れている。それが何とも色っぽくて、誘われているのだと錯覚しそうになるのだ。
 だが元就は晴久を押しのけ、ゆっくりと体を起こして汗で頬や額にへばりついた髪を払いのけ舌打ちした。
「心ここにあらずか。貴様よくも我を相手に斯様な無礼が働けるものだな。閨ですら役立たずならば貴様の存在価値など皆無ぞ」
「ひっでえ言い草だなおい」
 俺の存在価値は下半身だけかい、と口の中でぶつぶつ文句を言ってから、それでも甲斐甲斐しく水桶を準備して布をあてがった。
 汚れた互いのものを丁寧に拭き清め、新しい夜着を整え、 瞬く間に熱を失っていく華奢な体を抱き込んで寝そべる。
「貴様、最近下野の宇都宮と懇意にしているそうだな」
 晴久の胸に手をついて、顔を覗き込んでくる切れ長の目がす、と細められる。
 晴久は慌てて、取り繕うかのように顔を赤らめた。
「あ、あいつはダメだぞ!あの馬鹿は利用してもおまえに何の得もねえぞ!」
「・・・・・・ほぅ?」
 下野の国は東山道に属しており中国からは遥か遠い国だ。
 元就にしても特に興味はなかったが、その遠い国の大名がわざわざ頻繁にやってくるのだからおかしな話だろう。
 懇意か、と聞いたのは東の大名と何を通じているのか、と聞きたかったのを遠回しに尋ねただけだが晴久には通じなかったようだ。
 より、個人的なことを探られたと感じたらしい。
 その反応だけで十分である。
「情人か」
「ちっがう!!」
 さらりと聞いた元就に異様なまでの大げさな反応をして、晴久ががばっと身を起こした。
 年甲斐もなく恥ずかしがっているのか、とも思ったが、彼の顔に浮かぶ表情は少し複雑だ。
 情人との仲を探られた、と言うにしてはあまり色気を感じない。
「あいつは、友達だ」
「・・・・・・友達」
「そうだよ。おまえはいないだろうから分かんねえだろうけど!友達だから、別に変な間柄じゃねえ」
 おまえはいないだろうから、と強調してごまかすように言ってみたが、元就は表情を変えなかった。
 安っぽい挑発には乗らない、ということだろう。
「なぁおまえさ、本当は俺とこんなことしてても楽しくないだろ?」
「知ったふうな口を聞く。貴様己の立場を分かっておるのか」
 言葉はきついが、すでに半分頭が夢の中へ旅立っているらしく、口調がふわふわしている。
 今にも閉じられそうな、赤いまぶたが少しだけ可愛いな、と思った。
 無意識に頭を撫でながら晴久は嘆息する。
「分かってるよ。かつての義兄弟で、敵で、今はおまえの配下だろ」
「・・・・・・ならば良い」
 励め、と意味不明な、投げやりな声援を最後に元就はすやすやと眠ってしまった。
「なにが励め、だよ」
 本当にこうしていたい相手が違うだろうに。
 それを分かっていて、こんな関係をだらだらと続けることにいつの間にか安らぎを見出している自分が情けない。


***


 待てど暮らせどやつがこない。
 別に待ってなどいないのだが。
 口を開けば竜が、家康が、とやかましいから、もう二度と来なくていいわボケ。
 贈りつけられる土産はどれも元就の好みに合わせた書物であったり菓子であったりするのだが、嬉しいなどと感じたことはない。
 品物だけ送りつけられても礼儀に反するだろう、きちんと己の手で抱えて来い。
 などと、もちろん言わないのだが。
「下野国、か」
 最近、駒のひとつであり一応身内にも近い尼子晴久が、遠く離れた国の大名としょっちゅう一緒にいるらしい。
 何がきっかけかは知らないが、あの、背伸びしたがりのくせにやたらヘタレな晴久が「友達」と言い切るあたり興味が惹かれる。
 どうせこうして郡山城にこもっていたところで、音沙汰なしの鬼はやってこないのだ。
「馬を出せ」
「元就様。いずこへ向かわれるのです?」
 珍しく主が予定外の行動に出ると言うので、老中は怪訝な顔をした。
 人形のような元就の顔に僅かの苛立ちとそれを取り繕う色が見え隠れしている。
「出雲へ行く」
「えっ!?あ、尼子が何か」
 反乱でも起こしたのかと顔色を変える家臣に、元就は首を振る。
「私用だ。晴久に会いに行く」
「は、ははっ」
 会いに行くも何も、先週呼びつけたばかりなのに。
 そういえば、と家臣はおそるおそる口を開いた。
「外からの客を呼ぶ時は必ずこちらへ報告するように申し伝えておりますが、先方は先週から、」
「下野国から客がきているのだろう?知っておる」
 だから会いに行くのだ、とうっすら口元に笑みを浮かべた。
「大事な駒である晴久の友人らしいからな。主君として挨拶のひとつもしておかねばなるまい」
「でしたら、あちらを呼び寄せるのが筋では」
「筋などどうでもよいわ。それではおもしろくないではないか」
「は?」
 連れてまいれ、などと言えば逃げられるに違いない。
 宇都宮という男のことは全く知らないが、あの晴久が大人しく連れてくるとは思えない。
 だったらこちらから押しかけて、どんな男で、何の目的でやってくるのかを見極めた方が早いだろう。
 暇だし。
「では使者を先に向かわせまする」
「それもいらぬ」
 にやりと笑って、元就はさっさと支度するように急かした。
 慌てて部屋を退室しようとした家臣がはっとしたように振り返り、もう一度座り直す。
「昨日からお待ちいただいております、徳川方への使者への返書はいかがいたしましょうか」
「・・・・・・ああ」
 徳川、と聞いて一瞬嫌そうに顔をしかめた。
 二月前から西海の鬼が入り浸っている三河の男だ。
 自分の国をほったらかしてなんやかんやとからくりを見せびらかしに行ったまま、ちっとも帰ってこない。
 その相手からの文など忌々しいばかりで、記されている文章も苛立たしいもので。
「祐筆に任せる。誰が行くか阿呆死ね、と伝えろ」
「・・・・・・はっ」
 家康からの書には、元親に資金を援助してものすごいからくりを作ったから見に来いよ、といったどーでもいいものだった。
 元親がからくりを抱えて瀬戸内に戻ってくるならまだしも、わざわざ三河までおまえが来いというのだから馬鹿馬鹿しい。
「そんなに三河がいいなら三河で婿入りでも何でもするが良いわ。四国は我が治めてやろうぞ」
 まったくもって、腹立たしい事この上ない。
 そして八つ当たりは全部晴久へ向かうのである。