瀬戸内共闘<海戦> 参


  
 
 
 
 
 長年瀬戸海の覇権を争い睨みあっているふたりが並んで振り返った。相対するのは関ヶ原で死闘を繰り広げた徳川家康、そして石田三成。
「まさかこんな形で戦うことになるなんてな」
 困ったような、それでいてどこか楽しげな表情に家康が自慢の拳を打ち合わせる。
 海上では砲撃が繰り返され大きなざわめきと怒号と、降り注ぐ雨の音で満たされていたが彼らの耳には何も届かない。
 気に食わぬ相手が隣りにいて、一緒に戦う。元親と元就にとってこれまでになかったことだ。兵を率いて同じ敵に立ち向かったことはあれど、ふたり並んで一緒に、という経験はない。
 隙を見せたら背後から襲いかかられるのではないか、と元親は思った。
 実力は信頼している。が、人として信用できる相手ではないのだ。
 そうだ、毛利元就はそういう人間だ。
 けれど。
「おい」
 短く声を上げると、雨の音で聞こえなかったのか元就は何の反応も見せなかった。
 すぐ真後ろの船の縁から軽やかに降り立った元就は、元親から若干の距離をあけて輪刀の具合を確かめる様にくるくるとまわしている。
「なあ、おい毛利」
「・・・なんだ。怖気づいたか。それともやはり友と敵対するのは嫌だと徳川に従属するか。それでも良いがその前に我が貴様を葬ってやろうぞ」
「違ぇよ!あのな、言っておくけど俺てめぇのこと信用してねえからな。背後から襲ってくるのはなしだぞ」
 分かったな、と怒鳴りつけると、元就は明らかに馬鹿にしたように鼻を鳴らして笑った。
「では隙を見せるな。貴様を殺した方が早いと思えばそうする」
「てっめえ・・・」
「仲間割れか?」
 爽やかな声が元親をさえぎる。
 ふいに鋭い風が向かってきたと感じた瞬間、元親と元就は同時に飛びのいた。
 残像がふわりと雨に消える。
「ちっ」
 のけぞる下にいるのは抜刀しこちらを睨みあげる三成だった。そのまま振り上げられる瞬間をかろうじて避け距離をとろうとするが、おそらく元親の倍はあるだろう脚力で彼は縁に背を打つ鬼に襲いかかる。
「おいおいおまえの相手は毛利じゃねえのかよ!」
 碇槍ではじく刀は想像以上に重い。軽やかなだけではない。力だけなら押し切ることも可能だろうが、一刀、一刀に全力をそそぎそのスピードで襲いかかる三成の剣技に瞠目する。家康は動かず様子を窺っていた。長曾我部・毛利連合軍の兵たち、特に毛利方の兵がいつ狙って矢を放ってくるか分からないからだ。元就が自軍の兵たちに合図をするのを警戒するように、じっと元就の動向を観察している。
 大きく船が揺れた。すでに後方は焼け落ちて、傾いていくのが分かる。このままでは半刻ともたないだろう。
「おい!」
「邪魔ぞ」
「うおっ?」
 とんっ、と綺麗な足が跳躍したかと思うと、猫背ぎみに立っていた元親の背中を堂々と踏みつけて元就が舞うように輪刀を翻し、三成と激突した。
「いってぇ!!」
 いくら何でもあんまりだ。なにしろ先のとがった沓の踵で容赦なく踏みつけられたのだ、穴があいたかと思うほど痛い。
「てめぇ・・・ッ」
 ふざけんな、とよろりと立ち上がりながら怒鳴ろうとした元親だったが、次の瞬間大きな爆発とともに炎が燃え上がり、ずずず、と嫌な音をたてながら大きな安宅船が沈もうとしているのに気づいた。はっとして見上げれば元就と三成は互いに刃を交わらせながら自分たちが乗り込んできた荷船に移っている。
「何しにきやがったんだよてめーらは!」
 舌打ちしながら飛び乗る。
「わざわざ足場を用意してやったのだ、ありがたく思うがよい!」
 偉そうに堂々と言い放ち、斬りこんでくる三成を輪刀ではじく。すでに設置してある『壁』へと誘い込み、動けなくなった三成から距離をとって『縛』をしかけたが、横から突っ込んできた家康もろとも吹き飛ばされるようにして回避した。
「家康貴様ァ!」
「すまんすまん]
笑いながら、片手で抱えあげられるほどの細い体に手を差し伸べたが三成はそれをぴしゃりと跳ねのけた。素早く立ち上がり後ずさる。
「三成。毛利の懐に飛び込むのは至難の業だ。ましてや元親の援護をされればさらにワシらの強敵となるだろう」
「あいつらがそうすんなりと息を合わせられるとは思えんが」
 元親を踏みつけたぞ、と疑わしそうにふたりを睨む。
 元親と元就のふたりは喧々囂々と言い争いをしながらも油断なくこちらの様子をうかがっている。荷船の端と端に降り立ち睨みあう。距離はそれほどないにしろ、隙のないぴりりとした緊張感に包まれていた。周囲をぐるりと毛利の船が取り囲む。徳川方の船団は崩壊寸前のところでかろうじて全滅を免れていた。伝令役が短い報告をよこしてくる。海に落ち助けを求めた徳川の兵についてはおおかたのところ長曾我部の者たちが引き揚げてくれたらしい。村上水軍の砦で治療を受けているとのことで、村上・小早川両水軍については積極的に助けはしないが放置もしない、というところだろうか。
 それでじゅうぶんだ、と思う。これは戦なのだ。ましてや毛利の息のかかった兵たちが自分たちの砦で敵兵の面倒を見ること自体異様なことなのである。
 家康が新たな足場になったばかりの船板をたたき割ろうとするのを躊躇したところを元就の輪刀が襲いかかり、元親のそばを離れた瞬間三成は動いた。
「命まではとろうとは思わん。だが死んでも恨むなよ」
「ハッ、上等じゃねーか」
 元親の愛用する碇槍は大きく重量がある代わりに一度振り上げると隙ができる。だから蹴り上げる。片手を抜かないのは余裕があるからではない、いつでもどんな対応でもできるように力を抜いてあるだけだ。けれど余裕があるように見せかけるには十分で、必ずと言っていいほど相手は激高する。
 鋭い切っ先を受け止めて、じゃら、と鎖が音をたてながら空を切る。噴き出す炎から飛び散る火の粉を振り払いながら三成は腰を低く構えた。
 次の瞬間、視界から三成の姿が消えた。
「ッ、!」
 音もなく彼が真下にいる。
 首を狙われている、と直感で気づいて慌てて距離をとろうとするが彼の動きの方が早い。
「長曾我部!」
 いつになく焦ったような声がして、元親は口元に笑みを浮かべた。
 何だ、そんな声も出るんじゃないか。
「来い!」
 鋭い声が暗い海を裂くように響き渡り、雨音すら拒むことはない。
 ヒュッと空を切る音がしたかと思うと三成の動きが止まったように見えた。
 元就の命じる声とほぼ同時に、きっと主君がそれを望むだろうと予測しての行動だろう、一本の弓矢が三成の腕を裂き床板へと突き刺さる。
「チッ」
 三成が鋭く舌打ちして飛び退いた。二度、三度と彼の足元を狙うように弓矢が降る。
「おのれ邪魔するかッ!」
 高く組まれた楼を見上げ三成が激昂する。
「三成!」
 危ない、と叫ぶ家康にはっとして三成が振り返ると、そこに元親の碇槍から噴き出す炎が舞っていた。矢に切り裂かれた腕の傷は深くはないが、ほんの一瞬だけ対応が遅れる。ガキィッ、と二本の得物が交わり火花が散った。拮抗するふたりの力に別の力が邪魔をするように床が揺れる。雨で滑る床板に波打つ船は最もやりにくい場所だ。
 つまり、船上での戦に慣れたものが先に動くのは必然とも言える。
「踏ん張りが足りねぇぜ、凶王さんよ!」
 ぐぐっ、とつま先へ力を入れて踏み込むと押されることなどまるで考えていないというように全身で押し返し、僅かに碇槍を引くとそのまま勢いで振り払った。連続して激しい攻撃を浴びせたのち、三覇鬼で横殴りに振り回しながら追い込んでいく。力技で押していく技は最も元親らしいと言える。じゃらら、と槍から離れた鎖がひるがえり三成を襲った。
「くっ!」
 堪らず後ずさるすぐそばには緑色に輝く人影。
 視界の端にとらえたそれを敵だと判断し吸いこまれるように斬撃を放つ。
 どこかで家康の怒鳴るような声がした。
「焼け焦げよ!」
 雨を裂く鋭い声が三成の細い体を打った。


「くそっ・・・」
 悪態をつきながら肩で息をする三成の背を、家康がぽんと叩いた。
「弓兵に囲まれているワシらの方が分が悪い。少し休め、三成」
 言われて視界を巡らせば、四人が乗る荷船はぐるりと毛利方の水軍に囲まれていた。弓を構え、主君の命令を待っている。
「卑怯だぞ毛利元就!」
「卑怯だと?」
 ふん、と馬鹿にするような冷徹な声がしてふたりは顔を上げる。
「何を勘違いしておる?これは戦ぞ。兵なくして戦は成り立たぬ。よもや貴様、ひとりで瀬戸海を制覇しようなどと思うておったのか?馬鹿か貴様は」
「お、毛利のくせにいいこと言ってやがる」
「黙れ海賊めが」
 にやにや笑いながら、元就の肩を叩こうとした元親の手を素早く振り払って睨みつけた。
「まだやるか?囲まれておるぞ」
「・・・ワシらの兵はどうした?」
 低い声で家康が問いかけると、元親が叩かれたてのひらをぷらぷらさせながら背後へ顎をしゃくった。
「あらかたうちの野郎共が引き揚げて村上水軍の砦に運んだぜ。安心しろよ、死にたくねえやつを殺したりはしない」
「・・・ありがとう」
 苦い顔で笑みを浮かべる家康を元就は忌々しそうに見て眉をひそめた。
「勝手に斯様な真似するでないわ。我は許可しておらぬ」
「いいじゃねえか。それよりどうする家康。これで仕舞いか?」
 がしゃん、と重い碇槍を肩にかけて不敵に笑った。
「大将戦でケリつけるかい?俺はそれでもいいぜ?何ならふたりまとめてかかってきな。そこの智将様はお疲れだとさ」
「なんだと?」
 じろりと睨まれて元親はくっくっと笑った。さきほど踏まれた背中がまだひりひり痛む。このくらいの意趣返しは許されていいはずだ。
「ああ、ではすべての力をかけておまえたちを倒そう」
 ただし海に落としてくれるなよ、と拳を打ち合わせて笑う家康に、元就と元親はそれぞれの得物をかまえ、三成はゆっくりと立ち上がった。


 家康の拳が光り次々と放たれる攻撃を元就は軽やかに避けた。一撃目は避けて二撃目は輪刀で受け流し、そうして七度かわしたところでぞくりと強烈な光に包まれる。虎牙玄天で追撃しようとしたところを再びくるりと鮮やかにステップを踏んで避ける。風に揺れる一枚の葉のようにひらひらと舞い、重い攻撃をすべて受け流して『壁』で弾いた。不安定な船上にあって全く危なげない足元に、やはり彼もまた海上での戦に慣れているのだと思い知らされる。風と波と雨、床を踏む人の重さ、すべてを計算しつくした動きだった。
「おのれちょこまかと!どけ家康!!」
 腕を捻り天道突きで正面から放たれたそれをガードした元就のすぐ懐へ三成が走った。
 瞬速の居合い斬りが智将を裂こうと刃を向けたが、一瞬ぶれたその人影に三成はとっさに飛びのいた。
「散!」
 目を閉じても眩しい光に覆われ爆発する。
「もう同じ手は食わん!」
 それが幻か否か。警戒していても誘われるのなら、せめて爆発する前に脱出すればいい。完全に誘われたと見せかけて身を翻し、距離をとって様子をうかがう謀神の元へと走る。
「揺るがぬ絆を!」
 背後から家康が追いかけてくるのが分かった。解放された、有り余るほどの光の力を感じる。
「やる気満々じゃねえか。おもしれえ。野郎共!手出しすんじゃねえぞ!毛利のとこもだ!いいな!!」
「分かってるぜアニキー!」
 周囲をとりかこむ毛利方の水軍の隙間を縫うようにして、長曾我部軍の野郎共はうずうずしながら元親の号令を待っているようだった。対する毛利軍は一糸乱れぬ動きで弓を構えたまま動かない。彫刻のようだな、と誰かが呟いた。
「元就様・・・」
 憂いの表情で離れた船から見守るのは小早川隆景である。もはや大将戦に突入した今となっては、見守るしかない。兵士同士の戦にはほぼ決着がついている。少し前までの元就であったなら、こんな無用の戦いには背を向けて勝ち鬨をあげよと命令していたことだろう。何が彼を突き動かすのか、隆景には理解できなかった。
「いつでも船を出せる準備をしておけ。それと砦の方にも徳川の兵の監視を緩めるなと伝えよ」
「はっ」
 油断してはならない。
 今や毛利の水軍を預かる身として、いつでも最悪の状況を想定して動く。それが彼の仕事であり、誇りだった。
「うおりゃああああ!」
 元親が燃え盛る碇槍を振り上げ、力の限り振り回す。
「アニキ!アニキ!」
 野郎共が一斉に腕を振り上げて叫びだした。
 噴き出す炎を確認し、元親がにやりと笑う。
 元就がきちんと自分の前に『壁』を作りだしているのを確認してから、元親は力いっぱい碇槍を投げつけた。
「アニキー!!」
 わっと喝采が轟く。中には村上水軍の者も混じっているようで、目を凝らせば村上武吉が長曾我部の兵と肩を組んで腕を振り回しているのが見えた。
「・・・馬鹿どもが」
 元就は不愉快そうに口の中で呟き村上を睨む。
 武吉はおどけたように肩をすくめて、へらっと愛想笑いを浮かべた。
「そろそろ決着つけようぜ。夜が明ちまう」
 東の空がうっすらと白んできた。雨も霧のようにサァァ、と彼らを優しく包んでいる。荒れ模様だった瀬戸海はすっかり凪いで、くすぶる煙の臭いとそこらじゅうに浮かぶ木材とがまるで嵐の後のようだ。けれどどことなく漂う血の匂いも確かで。
 汗と煙の煤で顔を汚した元親が余裕の表情で床板を踏みしめれば、彼の背にほんの少しの信頼と有り余る嫌悪とがわずかな熱とともに伝わってきた。
 ただ触れているだけだ。重みのかけらもなく、そこにあるだけの。
 だが互いの背中を預けるような形のふたりを見て、おそらく誰もが驚いたに違いない。
「まさか海賊と共闘することになるとはな」
 ぼそりと呟いた隆景に、そばにいた桂景信が耳ざとく振り向いた。
「どうかなさいましたか?」
「・・・いや。元就様も、ずいぶん変わられたな、と思って。ああ、内緒だぞ」
 こんなことを言ったと知られたら怒られてしまう、と、人差し指を唇に当てる隆景に、桂は笑った。
「しかしずいぶんと楽しそうではありませんか」
「楽しそう、ね」
 楼から見下ろす荷船で、当のふたりはまるで頭突きでもし合うかのように怒鳴り合っているようだが。
「あの方が誰かに背後を守らせるようなことはありえなかった」
 その変化を家臣として、喜ぶべきか否かは難しいところだ。何しろ相手が相手だ。これが自分であったなら、どれほどの名誉だろう。
 そんな気難しい顔をする隆景に向って、桂は視線を戦場から目を離さないまま答える。
「長曾我部が信頼に値するとは思えません。我らの大事な殿を海賊風情に掻っ攫われて良いはずがない。しかし、元就様の身を案じる者がすぐ近くにいることを、知ってほしいと私は思います。信じてほしいと思います。きっかけがあの海賊でも、何でも」
「・・・うん。そう思うよ」
 いつでも、どこの戦場であれ、背を預けることのできる者がすぐそばにあることを、元就には知っていてほしい。毛利の人間の共通する思いであり、それは願いだった。


「淡く微笑め、東の照!」
 乱撃がふたりを襲い、一瞬ガードの崩れた元就へと叩き込まれる。大きく跳び退って直撃を免れたが、重い攻撃すべてを輪刀で吸収できずじんと腕がしびれ、ついで全身に衝撃が伝わって元就は膝から崩れ落ちた。
「毛利!」
「元就様!」
 元親と、毛利の兵たちの声が重なる。
「おのれ・・・ッ」
 よろ、と立ち上がろうとするのを三成の瞬速が襲った。
「刃に咎を、鞘に贖いを! 」
 目にもとまらぬ速さで刀を振り上げ、ぴたりと計算されたように急所を狙ってくるのを、元親が立ちふさがって弾く。
「そう上手くいくと思うなよ。こいつを倒すのは俺なんでね!他のやつに持っていかれちゃぁ困るんだよッ!」
「邪魔をするなァッ!!」
 苛立ったように再び斬撃を加えてくる三成だったが、元親の背後で大きな光が頭上を覆い、収束していくのに足を止める。
「どけ!」
「うおぁっ!」
 がんっ、と尻のあたりを蹴られてよろめく。
「てっめぇ、また!!何しやがるっ!」
 せっかくかばってやったのに、という罵りはきっぱりと無視され、元就は輪刀を大きく掲げた。
「日を抱き、腹を暴す徒よ! 」
「危ねッ!!」
 ふたつに割れた輪刀が周囲をすべてをまきこんで薙ぎ払い、すぐそばにいた元親をも攻撃しようとして、元親は慌てて碇槍でガードした。
「こいつ・・・」
 頭上からの日輪の威光に目を眩ませながら、元親を含む三人は顔をかばい射程距離から逃れた。見下ろせば体のあちこちが焼けてひどい有様になっている。
「毛利・・・貴様仲間を巻き込んで何とも思わないのか!」
 やがて顔をあげた三成が食ってかかる。
 元就は冷やかにその手を払いのけながら、つんとそっぽ向いた。
「仲間などと思ったことは一度もない」
「なに・・・?」
「おい、毛利」
 三成と家康が同時に声を上げようとしたところで、元就がふいに顔をあげて目を細め、飛び退った。
「ん?」
 はっとしてふたりが構える。
「遅ぇ!起きろ、脈打て、深海の疵!」
 大きな炎がふたりを襲い、うねりとともに豪快に振り下ろされるそれがごう、と大きな音を立てて船の縁ごと砕いた。
「撃てやー!!」
「アニキー!」
「あ、ま、待て!」
 珍しく焦ったような声をあげる元就だったが、間に合わない。
 勢いで砲撃命令を出した元親に、長曾我部の兵士たちはそれこそ大いに乗り気で大筒に点火した。
 ドオオオオオ、と轟音が鳴り響き、次いでぐらりと荷船が揺れて波が荒立つ。飛沫で全身を濡らしながら元就は壊れかけの縁にしがみついてぎりぎりと元親を睨みつけた。
「この痴れ者が!貴様と一緒に心中するなぞ末代までの恥よ!死ね!ひとりで死ね!」
 ギギギギ、と嫌な音がして、次いでみしみしと板が割れては海へと落ちていく。
「あ、やべ」
 元親が我にかえる頃にはもう遅い。
 ぼろぼろと荷船は破壊されただの木片と化しては沈んでいき、周囲に浮かんでいた船も爆風の巻き添えを食らっててんやわんやの大騒ぎだ。
「飛び込むぞ!」
 家康の声がして、どぼん、とふたつの大きな音がする。
「毛利」
 とっさに振り向いた元親は傾いた船にしがみついている元就の腕を掴むと、駆け出した。
「何をするっ!放せ!」
「うるせぇ!!」
 怒鳴り返して、抵抗する体を抱き上げると何とか持ちこたえている井楼船から投げ渡された綱を掴んだ。
「元就さま!」
 叫んでいるのは元就そっくりの容姿をした男だ。隣で彼の家臣らしい武将が必死に手を伸ばしている。
「おう、悪いな」
 手を伸ばして元就の体を抱えあげたままひょいと渡し、自分も乗り移ろうとしたところで伸ばされた手があっさり外される。
「ああ!?」
 するり、と命綱がすり抜けた。
「あああああああ!?」
 驚愕の悲鳴を上げながら、元親は家康や三成が落下した静かな海へと落ちて行ったのだった。


*     *     *


「呆れて物も言えぬわ」
「言ってるじゃねえか」
「うるさい黙れ」
「まあまあ」
 全身びしょ濡れになったのを何とか着替えて体裁を取り繕いながらも、元就の機嫌は下降する一方だった。
 家康と三成は長曾我部の兵士らが引き上げ、ついでに元親も救出して、彼らは小早川水軍の安宅船で村上水軍の砦へと移動していた。
 むっつりと黙りこみ、思い出したように元親を罵倒する主君を宥めるのは隆景の役目となった。甲斐甲斐しく乾いた手拭を差し出し、羽織を肩に掛け、濡れた髪を拭き、熱い茶を菓子と共に出してあれこれを世話を焼く様子はとても水軍の将とは思えない姿である。が、元就様のお世話をするお役目は誰にも譲らぬと本人が言い張るのだから仕方ないことだった。ついでに元親を冷たい目で睨み据えることも忘れない。
 家康や三成以上に元親は居心地の悪い思いを強いられた。
「しかし参ったよ。まさか本当にあんな大砲で撃たれるとは思わなかった」
「・・・まったくだ」
 あはは、と困ったように笑う家康に、三成も不機嫌そうに茶をすする。
「いや、すまん」
 つい、勢いで。
 何度も繰り返した言い訳にならない言い訳に、ますます元就の周囲の気温が下がっていく。
「だがよく分かった。ワシにおまえたちを御することはまだ難しい」
「まだ、ね」
「ああ、まだ」
 意味深な家康の言葉に、元親の声がわずかに下がった。
 まだ瀬戸内を、そしてこの海の覇権をあきらめない、ということだ。
「しかしおまえたちと海上で戦をするのはもうこりごりだ。今後は話し合いを続けたいと思う。より互いが納得のいく方向で、太平の世を作るために」
「ふうん」
 あまり気が乗らない、という風に片膝を立ててあぐらをかく元親に、冷たい視線が突き刺さる。
「いいぜ、気に食わねえなら何度でも来ればいい。俺らを同時に相手できるだけの水軍をこさえることができたならいつでも相手してやるがな」
 鬼の片目が険呑に光る。
 ふ、と小さな笑い声に似たため息が漏れた。
「元就さま?」
 案じるように顔をのぞきこむ隆景に手拭を押しつけて、元就は背を正す。
「日輪の加護は常に我にあり。瀬戸海の支配権は毛利のもの。海賊も中央も恐るるに足らず」
 毛利に弓引かば次はない。
 厳かなその宣言に、家康も三成も、元親も黙りこんだ。
 この戦のどこからどこまでが茶番だったのか。毛利の水軍がすべて本気であったなら、どういう結果になっていたか。それを一番良く知るのは元親だ。
「・・・ずいぶん余裕かましてんじゃねえか。まだやり合おうってんなら容赦はしねえ。俺とあんたは敵同士だからな」
「おいふたりとも」
「放っておけ家康。こいつらのことに口を挟むと後々面倒なことになるぞ」
 何故かそう割って入る三成に、家康が口を噤む。
「・・・と、刑部が言っていた」
 ぼそりと付け加えられたセリフに、元就すら次の言葉をなくす。
 ではまた、と、送られて出ていく家康と三成を元親は送りだしたが、元就は顔をあげることすらせず、すぐ隣でこちらの様子をうかがっている隆景に囁いた。
「近いうちにまた長曾我部とやり合うことになるかもしれぬな」
 漠然とした予想にすぎなかった。
 だがそれは、全く予想外の形で半分だけ当たることになるのである。






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