戦の始まりというのはいつだって私的な理由に起因するものだ。
理想を掲げ、国のため、民のため、平和のためと拳を振り上げたとて、それもまた私的な決意に他ならない。誰もが口をそろえ戦をしろと戦地に並ばぬ限り、誰かがが勝手に始めては関係のない者が傷つき死んでいく。それが乱世である。
天下分け目の合戦、関ヶ原の戦もまた、それぞれ相対する武将たちの個人的な主張で始まったにすぎない。太平の世を作ると絆を掲げ立ち上がった徳川家康も。敬愛する豊臣秀吉を失い復讐に駆られ憎悪のあまり立ち上がった石田三成も。
そして死闘の果てに一応の決着を見せたとはいえ、決着したのはふたりの間での戦であり、全てが丸く収まったわけではないのであった。
天下は徳川家康がとった、とされている。彼は結局石田三成にとどめをさすことができず、だが命をかけて戦ったふたりはわだかまりを残しながらもこれ以上の争いを放棄した。三成がそれを諾としたのは家康を許したわけではなく、友人の大谷吉継のためであった。病が進行し、関ヶ原での戦でとうとう動けなくなった大谷を、これ以上ひっぱりまわすことはできない。一騎打ちに敗れた三成は首を差し出そうとしたが、家康は死の淵にありながらなおも三成の身を案じる大谷と一緒に連れ帰ることにしたのだった。
総大将のとる行動ではない。だが、西軍は敗れ東軍が勝利した。その事実だけでもうじゅうぶんなのだと家康は譲らなかった。
「交渉決裂だな」
内容とは裏腹に、きっぱりと爽やかささえ感じる声が響く。
南蛮のものらしい奇妙で鮮やかな衣装を身にまとう長曾我部元親は傍らの帽子を手でもてあそびながらわざとらしく肩をすくめた。
少し距離を置いた隣には狩衣姿の毛利元就が、表情一つ動かさず黙して座っている。
対面には石田三成が、これもまた無言のまま威圧感を放っているが、元就はその存在にすら気付かないようなそぶりであった。
三成の隣、つまり元親の正面に座る家康が困ったように頭をかく。忙しなく口をぱくぱくと開け、仕舞いには天井を仰ぐようにして大きくため息をついた。
「どうしてもだめか」
「ああ、だめだな。いくら家康の頼みでもそればっかりは聞けねえ」
首を振って帽子を床に置き、肩膝をたててもたれる。
「おまえの天下取りは邪魔しねえよ。好きにやんな。だが瀬戸海は俺のもんだ。四国もな。おまえに従属はしない」
瀬戸海は俺のもの、という発言に一瞬元就の眉がぴくりと動いたが、やはり動かなかった。声を発することなく、ただ苛立ちの空気だけを身にまとっている。ここで瀬戸海の覇権がどちらのものか、という言い争いをしたところで話が脱線するだけだ。一応の決着をつけた家康と三成とは違い、彼らの間には何の落とし所も打開策もまだない。
元親のアジトで真実を告げ、自害するように突進してきた元親を輪刀で討ち果たしたように見えたが、結局倒れた元親の息の根を止めることすら面倒でそのまま長曾我部の人間に引き渡したのみだ。
その後家康と元親の間で何らかの話し合いがもたれのだろう、うやむやのまま現在に至っている。ある程度傷を癒した後は国のたてなおしに明け暮れ、元就との決着もつかぬままだ。どう家康が取り成したかは知らないが、それぞれの武将たちはおのれの領地に戻り、引き続き治めている。三成の知らないところで豊臣の残党狩りをしているかもしれない。知ろうとは思わないし、興味もなかった。
「元親。それに毛利も。従属しろとは言わない。これまで通りそれぞれの領地を治めてもらいたい。ただ今後はワシの指示に従ってほしいとお願いしているだけだ。これからの世はばらばらに動くのではなく、ひとつの意思で統一してこそ平和になると信じている。争いのない、平和な世の中に」
「それを従属と言うのではないのか?」
ふいにそれまで黙りこくっていた元就が口を開いた。正面の三成がわずかに身じろぎする。視線は合わせない。互いに思うところもあるだろうが、それを外に出す場面ではないからだ。元就も三成も、互いについてはそれほど興味はなかった。ただ従属、という言葉に一番反応したのは元就でも元親でもなく三成だ。彼は自身が家康に従属していると思われることをどう感じているのだろうか。あれほど憎んでいた相手の、いまは片腕となっていることに。
「要は貴様の発する布令に今後は従え。それを領民に布告し監視することが我らの仕事である、と言いたいのであろう。それは従属とどう違うのだ。しかもゆくゆくは中央に屋敷をたてそこへ移り住めだと?くだらぬ」
「・・・それは。元親にも、毛利にも、今後は政の手助けをしてほしいと思ったからだ。人心をまとめあげる力や、広大な地をおさめる手腕は大きな助けになる。ひとまず四国と中国が落ち着いたら一緒に、」
「家康」
必死に言い募る家康を制して、元親が片手をあげる。
「悪いな。俺は中央になんざ興味はねえ。四国をたてなおしたら風の吹くまま気のまま海に出る。それによぉ、こいつが中国から出ると思うか?よく考えろよ、おまえの掲げる理想は立派だし賛同もする。けどそれとこれとは別だ。俺らを勘定に入れるな」
言って、にやりと笑った。
「それとも力づくで従わせてみるかい?」
「・・・ワシは戦をしに来たわけじゃない」
「じゃあこのまま帰んな」
話は終わりだ、と腰を上げる元親に続いて、元就も布ずれの音すら立てず立ち上がり出て行こうとする。ちらりと振り返り床を見つめたままの三成を見たが、結局何も言わなかった。
「・・・力づくで、か」
呟く友人に、元親が笑う。
「おうよ。武士ならまず力技でかかってきな。おまえが俺に勝ったら考えてやるよ」
単純だな、とは笑えなかった。これまでずっと、戦に勝利することで物事を決めてきたからだ。無用な血を流さずに決着がつくならそれでもいい。
「毛利はそれでいいのか?」
智将が応と言うはずがない、という一抹の望みをかけ追いすがるように顔を上げるも、返ってきたのは珍しいほどに穏やかな謀神の笑みだった。ただしその目は見る者を凍りつかせるほどに冷ややかだったが。
「しょせん力に頼る馬鹿ということだ。身の程を知るがよい」
西国を支配したければ瀬戸海を舞台に戦をすること。それが元親、そして元就から提示された条件だった。元より陸での戦によって無関係の民を巻き込む気はない家康はこれに応じるしかなかった。
場所は厳島で、という元親の提案は即、却下された。神聖なる神の島を汚すことは許さぬ、と断固として元就が反対したのである。だが長曾我部・毛利連合軍が優位に立つには海戦へ持ち込むことが有効だろう。それは元就も分かっているはずだ。
「本陣は厳島に置いても構わぬが戦は海の上にしろ。決して上陸するでないぞ」
「けどよォ、家康だって本気出すって言ってたぜ。大軍の船に囲まれちゃ最終的に陸上戦になるのは必至だろ。あ、俺のからくり置いてやるからよ」
「そのようながらくたいらぬわ」
鼻で笑ってつんと顎をそらすと案の定元親が食ってかかる。
「なんでぇその言い草は!俺だってなぁ、あんたと共闘なんざ本当はごめんなんだよ!」
「では今からでも遅くはないぞ、徳川に従属するがよい」
「それはしねえ!」
友人、という立場は微妙だ。そこにあるのはあくまで対等であり、上も下もないはずだ。それを覆そうとする家康を、元親は受け入れることはできない。同じように対等であると宣言した独眼竜伊達政宗は、現在最も家康が警戒する相手となっている。東軍につきはしたものの、政宗は天下をあきらめていない。だからこそ家康は西国を平定し味方につけたうえで、あらためて北の動向に気を配っていたいのだろう。
「家康はダチだ。俺の主じゃねえ」
「ふん、くだらぬ」
どうでもよさそうにそっぽ向いて、元就はするすると海域を記した地図を解き床に広げた。
「おそらく徳川は主力部隊は動かさぬだろう。いまだ関ヶ原での傷は癒えておらず、そもそも水軍においては我らの力の方が上。消耗戦にさえ持っていかなければ何とでもなろう」
陸と違い、板一枚の上から落ちればそこにあるのは死だ。そのような過酷な海での争いにおいては村上水軍を有する毛利軍や海賊衆と呼ばれる長曾我部軍に太刀打ちできるものはない。物量で押し切れるのは陸での話だ。水上で最も重要なのは天の利と人の和である。
「先手必勝か。俺が大将船に乗るぜ。鶴翼の備えで行く」
その名の通り、鶴の翼を広げたような形で攻撃型の陣形である。背後をとられるのを避けられるため、厳島に本陣を置いて上陸させたくないのであれば有効だろう。背後には毛利軍が控えることとなった。
「守りは任せたぜ」
やっぱりからくり置いていくよ、という元親のごり押しに、元就は文句を言いながらも承諾したのだった。
そのはずだったのだが。
夜更けにあかあかと燃える火の光に隻眼を細めながら、元親は呆れたように唸った。
「こりゃ何の騒ぎだ」
「貴様こそ何を呑気な顔をしておる。これより奇襲をかける」
「はぁ!?」
そりゃ卑怯ってもんじゃねえのか、と言おうとして、しかし厳島の戦いと言い村上水軍の得意とする戦法といい、奇襲のことがすっかり頭から抜け落ちていた自分も相当うっかりだと思った。
「あらゆる島に砦が築かれているのは知っておろう。貴様の軍も勝手になわばりをはっておるではないか」
「勝手にじゃねえ、あそこは俺の領海だ」
「ぬかせ。我が瀬戸海を荒らす海賊めが」
ぴりっと緊張が走り睨みあう。
だがじっと互いの目を見つめ合ううちに、どちらも本気ではないことに気付いてふ、と空気が緩んだ。
「とりあえずそのことは棚上げだ。それで、どうするんだ。家康が出した船は日が昇ると同時に撃ってくるはずだぜ。闇に紛れて奇襲をかけるにしても俺らは何の段取りも組んじゃいねえぞ」
真っ向勝負をけしかける気でいたのだ。
だが元就は全て分かっている、と言うようにうなずいて、勝ち誇ったように笑った。
「貴様はそれで良い。多少時間を早めるだけぞ。安宅船で派手に動き回って混乱させよ。その隙に我が関船で後ろをつく。その他の船は全て陽動に使う」
すでに徳川軍の背後をつくようにして隠れ砦に小早や井楼船を待機させているという。
「正面からの切り合いは貴様の得意とするところであろう」
「それで卑怯な手を使うのはあんたの得意技ってか?相変わらずだな毛利。性根の腐ったようなやつだぜ」
「それで我を挑発しているつもりか?もう少しましな語彙を覚えてから言うのだな。貴様のそれは子供の悪口にしかすぎぬ」
「あーはいはいはいはい。本当に口の減らねえ野郎だぜ・・・」
それだけ言うと、何も言わず背を向けて出陣の準備にとりかかる元就の背中を見て、普段なら絶対に口にしないようなことがぽろりと漏れた。
「・・・気をつけろよ。外は雨だぜ」
「・・・・・・・」
一度立ち止まって元就が振り返る。
驚いた様子はない。ただ静かな目だけが元親をとらえ、一度瞬いた。
「もとより承知。嵐の中の奇襲には慣れておるゆえ」
そう言って、僅かに唇の端を上げた笑みは灯篭の明かりに映えて美しかった。
たたきつけるような雨が降り注ぐ中、元親は野郎共を従え安宅船に乗り込んだ。船首から船尾まで楯板で装甲され、砲台がとりつけられている。普通の安宅船ではない。なにしろ長曾我部軍が改良に改良を重ねた大将船である。船の橋渡しにしても、単に楯板が外に倒れるだけでなく上がってくる敵を防ぐためのからくりまでとりつけてあるのだから、趣味がこうじてというやつだろうか。またこれは元就にすら伝えていない機密事項だが、実はこの安宅船の中にはもう一回り小さな船が隠されている。そちらは小回りが利くため、敵軍の大将船を絶妙な距離までとらえた後その小船で背後からの砲撃に援護させながら接近していきあとは白兵戦へと持ち込む。陸を走ることすらできる。水陸両用、とは元親がかねてから言い続けた策だ。
「アニキ。敵の船を確認しやしたぜ。ちょうどうまい位置にいる。あれも毛利のやつの計算通りってやつですかね」
小舟で斥候を任せていた部下が戻ってきてそう報告した。うまい位置、とはつまり村上水軍が駐留している砦のことだろう。
「周防か。そういや鶴の字は動かねえだろうな。邪魔されると厄介だぜ」
「へぇ、一応注意して見張ってますが今のところ動きはないようですね。あ、」
ふいに見張りをしていた部下が大きく手を振って下の方を指差した。のぞきこむと一艘の小舟がぷかぷかと浮かんでおり、大柄な男が両手をあげていた。
「よぉ西海の鬼。ちょいとばかり俺を乗せてくれねえかい?」
「ああ?あんた毛利んとこのやつだな?」
「毛利の人間じゃあねえがそんなとこだ」
微妙な言い回しをしながらするすると器用に綱をつたってのぼってきた。手を貸してやろうと元親が腕を伸ばすと、疑いもせずひょいと掴んで礼を言う。海に生きる者特有の気安さと豪胆さに、自分と近しいものを感じる。
「村上武吉だ」
「なんだと?そりゃあ村上水軍の頭領じゃねえか。なんだってこんなとこうろついてんだ」
驚いて声を上げると、武吉は豪快に笑ってぽんと元親の肩を叩く。
「これも殿様の策ってやつだ。背後の準備は万端だ。なにせ毛利水軍の大将が指揮をとってるからな。俺はあんたと前線で思い切り暴れろとのお達しだ」
「なんだよ毛利を怒らせでもしたのか?」
「はあ?どうしてそうなる」
そりゃあ怒らせたことは何度もあるが、と言いつつ武吉は首を傾げた。
「厳島の本陣には誰が詰めてるんだ?」
「吉川殿が。それよりこっちも派手に行かねえと失敗でもしたら二重に怒鳴られて踏まれて殺されちまうぜ。おおこわ」
ぶるり、と大げさに体を震わせる武吉に、今度は元親が変な顔をした。
「どういう意味でぇ」
「だから。俺らが拠点にしているあの砦には殿様と水軍の大将のふたりともがそろってるってことだよ。やばいぞぅ、こりゃ天下の徳川家康も逃げたほうがいいぜ」
「ああん?」
殿様と水軍の大将ってのは一緒だろ、と言おうとして、遠くで狼煙が上がるのが見えた。合図だ。
「行くぜ長曾我部の殿様。あんたがまごつくようなら俺がこの船指揮ろうか?」
「ふざけんな!」
軽口をたたき合いながらふたりは船の上を走った。突然乗り込んできた武吉に長曾我部の兵たちは面食らったが、彼が村上水軍からの助っ人だと簡単に紹介されると納得したようにおのおのの仕事に戻る。何度も煮え湯を飲まされた敵方水軍の頭領だが、それだけに海戦での助っ人となると心強い。
「一気に敵の大将船目指すぜ!ぎりぎりまで引きつけて砲撃開始だ!行くぜ野郎ども!!」
「アニキー!!」
景気づけに一発、と何もない暗い海に向かって大砲をぶっ放すと、元親の傍らで武吉がげらげらと笑った。
「反転させる暇を与えるな!沈めろ!」
毛利水軍の将、小早川隆景が采配を振り上げ指示を下すと、小早川、村上両水軍はすべるように波に乗り砦側に背を向けている徳川軍の船を次々と襲った。
「厳島の本陣は大丈夫でしょうか」
「ぬかりはない。海には海の専門がいるように陸には陸の精鋭がそろっておる」
隆景の問いに、元就は無表情のまま答えた。
「精鋭、ですか?」
「おるだろう。金さえ積めば動く傭兵が」
「・・・まさか雑賀衆を雇われたのですか?」
「守りに徹するだけならそう高くもなかったぞ」
そういう問題では、と言いかけて、そういえば雑賀孫市と長曾我部元親は懇意にしていたのだった、と思い当たる。
「長曾我部殿にはそのことは?」
「何故伝える必要がある。あれはただ海の上でそれこそ鬼のように暴れればよい」
そう言って、目立たないよう関船に乗って戦場の後方にいた元就は前へ進むように命じた。
「元就様」
「良いか。敵方の安宅船が見えたら我は飛び移るゆえ即後退せよ。あとは白兵戦ぞ。貴様は弓兵をまとめて邪魔者を蹴散らせ」
「・・・はい」
危険です、などと言えるわけがない。またそれを口にする権利も資格もなかった。いつでも毛利の身内や家臣たちは、元就の采配に首を縦にふり、自分たちに与えられた駒としての役割を務めるだけである。それでも隆景は言わずにはいられなかった。
「ご武運を」
その小さな呟きは降り続く雨に紛れて黙殺されたが、元就はわずかに目を細めたようだった。