うわあ。
一歩その部屋に足を踏み入れた三成以下三名は同時に同じリアクションをした。
「ほれ、何をしておる。入れ、入れ」
ヒヒッ、と引き攣った声で笑いながら大谷が手招く。にやにやと底意地の悪そうな顔をしているようだ。
ようだ、というのは包帯でぐるぐるに巻かれた顔が本当はどんな表情を浮かべている分からないからで、だがそこから唯一のぞく黒々とした目が輝いているので、何となく楽しそうだな、というのが伝わる。
三成にしてみればご機嫌どころか体温の上下誤差一度まで分かるという。
大谷吉継(元竹中半兵衛)専用生きた体温計の名は伊達じゃねえ。(石田軍兵士談)
それはともかく、招かれて入った部屋にはもうひとりいた。
脇息にもたれいつになく気だるそうに足を投げ出した姿は珍しく、さらに彼のすぐ前には高価な煙管盆が置かれている。
どっしりとしたそれは木の目模様が美しく、よく使いこまれている。
何度も彼の居室で目にしたことのある元親だったが、黙っていた。
常ならばきっちりと合された着物の襟元もやや崩れ、はだけているとまではいかないが彼の性格を考えると非常に珍しい姿だと言える。
三成と幸村はぽかんとしたまま彼をまじまじと見つめ、やがてやや狼狽したように目をそらした。
(ああ分かる分かる。そうだよなあ。何かいやらしいよなあ)
ふたりのお子ちゃまを責めるつもりは毛頭ない。だるくてかなわないとばかりに煙管を吹かしながらどこか淫靡な気配を纏う男が悪いのだ。
(いや悪いのは俺か。うん。怒ってるなこれは)
ちらりと見る白い顔はいつもの無表情で、しかし目元が少し赤い。視線が交わるときっと鋭い目で睨まれた。
「あ、あのう毛利殿。お疲れのご様子ですが」
どうしたのです、と恐る恐る尋ねる幸村に対し、元就と元親は同時に正反対の反応をした。
「そ、それより軍議やろうぜ軍議」
「ほう、西海の鬼が斯様に軍議好きとは知らなんだ」
「何言ってんだよ大谷さんよォ。四国に名だたる軍議好きと言やァ俺のことよ」
「おいどうした長曾我部。滝のように汗が出ているぞ気持ち悪い奴だな」
「どうしたのだ長曾我部。何をそんなに慌てておる?」
頭のてっぺんから足の先までべちゃべちゃと汗を流し水たまりを作る元親に、三成はぎょっとして数歩距離を置いた。足袋が濡れるのが嫌だったのだろう。
元就はにやにやとこれもまた大谷に負けず意地の悪そうな笑みを浮かべ、とん、と灰を落とした。
「早う座らぬか。ほれ」
「・・・お、おうよ」
元親が歩くたびに湿った足元が畳を濡らし、気がつくと他の者は全員ちょっぴり距離置いて座った。
何だかぽつんとしていて寂しい。
だがそれどころではない。
顔を上げれば元就と大谷の参謀悪だくみネチネチコンビがこちらを見てにやにやしているではないか。
これは危険だ。きっと、おそらく、絶対に嫌な展開が待っている。
昨夜散々楽しんだツケが夜が明けてまわってきたようだ。
しかもそこに大谷が加わればさらに嫌がらせはパワーアップするに違いない。ここは腰を低くし愛想笑いを返しつつ逃げきるしかない。純粋無垢(でいてほしい)真田幸村と石田三成が防波堤として立派に役目を果たしてくれるだろう。
「軍議は今日は中止だ」
「はあ?」
貴様何を言っている、と当然のように三成が憤った。
それには答えず、元就はふわふわとあくびをして煙管を置き盆ごと追いやる。
「朝から腰が痛くてかなわぬ」
「こ、腰」
「ほう、さすがの詭計智将も寄る年波には勝てぬか。難儀よなァ」
「何を言っておる大谷。我はまだまだ現役ぞ」
何のだよ、という三成の突っ込みは放置された。
大抵の場合、彼が発するまともな突っ込みは無視されるのがお決まりとなっている。逆切れしたところで大谷と元就には通じないし、そもそもボソッと呟く声が誰にも届いていないことが多いからだ。
そういえば昔半兵衛様が秀吉様に対し盛大な突っ込みをしていたことがあったな、あれを参考にしたいなぁ、と三成はぼんやり考えた。とりあえず佳人薄命の面の代わりにひょっとこでも被っておけばいいだろう。存在感が増すに違いない。
「しかしお年のせいでないとすれば、もしや戦の傷がうずくのでござろうか。退役した古参の兵がいつまでも古傷に悩まされるという話はよく聞くでござる」
割と失礼なことをしれっと言う幸村に、だが元就はあえて叱りはしなかった。
機嫌がいいのか悪いのか、いや悪いのだろうが、悪だくみしているときは自分の感情よりも企みの成功を優先させる男である。
「分からぬがどうも筋肉が張っておる。真田よ、そなた武田信玄の腰を揉んだことくらいはあるだろう。その技見せてみよ」
「えっ」
これにはさすがに幸村も驚いて、あたふたと意味不明な動作を繰り返した。当然である。
そもそもそれほど親しいわけでもない、何だかいやらしい智将の腰を揉めというのだから動揺するのも当たり前だ。
だがすでに元就はごろんとうつぶせになって畳んだ座布団に顎を乗せて待ち構えているし、大谷は何も言わずそっぽむいている。三成は何故かひょっとこの仮面を被っているが見ないふりをしたほうがいいだろう。
元親はと言えば、ぽかんと口を開けて元就を見詰めていた。
「早うせぬか。愚図愚図するな」
「は、はぁ」
ああ何故この場に佐助がいないのだ、と少し涙目になりながら、仕方なく幸村は元就の尻の上にまがたるように乗った。
体重をかけるとぽきっと折れてしまいそうで怖いので、腰は浮かせたままだ。
ちなみに佐助がいないのはどうでもいい用事を大谷が押しつけて追い払っているからで、すべては参謀ふたりの策の内である。
「こ、この辺でしょうか」
「あッ」
ぐい、と腰のあたりを押すと幸村の下でびくりと体が震えて奇妙な声が上がる。
「も、申し訳ござらん、痛かったでしょうか」
「いや、平気だ。続けろ」
「そ、それなら・・・」
ぐいっ。
「あァッ・・・」
何だか甘ったるい声が再び上がって、幸村はそれこそ泣きそうになった。もう嫌だこの人。
助けを求めようと視線を送った先の大谷はにやにや笑っているばかりで、元親はというと。
「ば、馬鹿おまえそんな声出してんじゃねえよ・・・!」
何故か前かがみになって両手を畳についていた。土下座のポーズ。
何をしているのだろう、と考える暇もなく、続けろ、と命令が下る。
(お館さまへるぷみぃ!!)
伊達政宗から教わった異国の言葉を頭の中で叫びながら、幸村は、これはいったい何の罰なのだろうと煩悶することとなる。