西軍の秘密






 うるさくやれ寝ろやれ食えと大谷に言われる三成だったが、この日も彼は結局夜通し体育座りでもそもそしているうちに朝を迎えてしまった。
 何をしていたかと言えばただ部屋の片隅で壁に寄り掛かってイエヤスゥゥゥゥゥと呟いていただけなのだが、脳内で三万回ほど恥ずかしい目(全裸で日ノ本一周とか全裸で忠勝に搭乗とか全裸で関ヶ原の合戦とか)に合わせたあたりで満足して顔を上げるとちょうど日が昇ろうとする時刻だった。
 外はまだ暗く、すでに活動を開始しているのはおそらく毛利の家臣くらいのものだろうが、今日は大谷が朝早くから正月の準備をすると張り切っていたので三成も早めに部屋を出たのである。
「門松を作るために竹を切ってこいと言っていたが松はいらないのだろうか・・・」
 ちなみに門松の、竹の先端部分の斜め切りを最初に始めたのは件の徳川家康である。
 理由は『なんか強そうだから』らしいが真偽のほどは不明だ。
 さて、そんな三成は館と館を結ぶ渡り廊下にさしかかったところでふいに足を止めて無意識のうちに壁に体を寄せた。
「あれは・・・」
 渡り廊下を渡った先、庭を挟んだ向こう側。ぽつんと廊下にたたずんでいる細い人影があった。このような朝早くに誰だろうと目を細めると、どうやら知っているいけすかない人物のようである。
「毛利元就か」
 見れば毛利は夜着に羽織を肩からかけただけの姿で、目を閉じて手を合わせ祈っているようだ。
「ああ、日輪を拝んでいるのか」
 空を仰ぐと薄暗い中にぼんやりと雲がかかったむこうで日の光が一生懸命存在を主張し始めるところだった。
 今日は天気が悪いようだ。このまま無視して先を歩いてもあちらは気付かないだろう、と一歩足を踏み出したところで、三成は再び足を止めてしまった。
 何故か毛利の寝所の障子が中から開き、人の手がぬっとあらわれたからだ。
 ぎょっとして目を見張るとやがて人の手だったものが大柄な人影に変わり、のっそりと毛利のすぐ後ろへ歩み寄ると、頭を垂れたままの毛利の体を覆うように両腕の中に抱き込んでしまった。
「あ」
 白っぽく輝く銀色の髪は自分とよく似たもので、思わず三成は声を上げる。
 長曾我部元親、と口の中でその名を呟いて、なぜふたりがこんな朝早くから一緒にいるのか、どうして毛利はああも簡単に背後をとられたのか、というより抱き込まれても微動だにしない様子にひどい違和感を覚える。目を閉じたままの毛利はともかく、先を行けば長曾我部に気づかれるかもしれない。
 別にのぞき見をしているつもりはないし、三成は何も悪くはないのだがなにやら気まずい、と悩みあぐねていると後ろからとんとん、と独特な音が響いてきた。
 それがすぐに杖をつく友人のものだと判別する。
「三成。もう起きていたのか」
「刑部」
 振り返ると予想通り、大谷がゆっくりとした足取りへこちらへ向かってくるところだった。
「どうした、こんなところでぼんやりして」
「いや・・・あれを」
「ん?」
 三成が指をさした方向を大谷が首を伸ばすように見て、ははあ、とおかしそうに笑った。
「朝から仲の良いことよ。ああもおおっぴらにいちゃつかれたのではたまらぬわなァ」
 まことに面倒なことよ、と言いつつ声は笑っている。
「あのふたり仲が悪いのではなかったのか」
 顔を合わせればピリピリギスギス、悪口雑言は朝飯前、どうかするとどこからか武器を取り出しまるで挨拶のように命がけの喧嘩をはじめてしまうふたりだ。
 もしや良く似た別人かともう一度目をこらして眺めるが、やはり毛利元就と長曾我部元親に違いない。
 やがて顔を上げた毛利は自分の腹の前あたりにある両の腕をやんわりとはずし向き直ると、どけ、というように手を長曾我部の胸元において力をこめた。
 長曾我部がその細い手首を掴んで一瞬少しだけ屈み、こちらからは見えない毛利の顔の当たりに彼の顔が重なる。
「んなっ」
「おやおや、日が昇ってもお盛んなことよ。ヒッヒッ」
「わっ私は何も見ていない!何も見ていないぞォォォ!!」
「そうよな三成、主にはまだちと早い。刺激が強うて失神してしまうわなァ」
 そう言って、大谷が三成の両眼を覆うように掌で塞いでしまった。
「ちと待て」
「ううう」
 おとなしく待っていると、しばらくしてゆっくりと手が離された。
「ほれ、部屋に戻るようだ。行くか」
 今見たことは誰にもしゃべらぬように、という大谷の言葉にうなずく。
「私はそのようなことには興味はない!」
「そうよなァ三成。主は徳川を討つことだけを考えておればよい」
「イエヤスゥゥゥゥゥゥ」
 そうだ、男同士がどうだろうと敵対しているふたりがどんな関係であろうと関係はない。関係はないのだが。



 まだ眠そうな顔で箸をかじる幸村をちらりと睨んでから、三成は正面に座る毛利をさりげなく観察した。
 ぴしっと姿勢よく正座する様は見た目よりもずっと威圧感を与える。
 戦装束や兜を脱いだ姿は小柄でまるで女のように華奢に見えるが、いざ戦場に立つとそうは見えないのが不思議だ、と思った。
 そういえば以前大谷に主は姿勢が悪い、と注意されたことがあったか。自分もあのように姿勢をただせば家康も恐れをなして平伏してくれるだろうか、と、三成は心持ち背筋を伸ばしてみた。ぴしっと骨が鳴ってすぐに戻したが。
 慣れぬことはするものではない。
「なんだ貴様、さっきからじろじろと」
 訝しげに声をかけられてはっとする。
 いつの間にかまじまじと見てしまっていたようで、膳を奇麗に片付けた毛利が湯呑を両手持ったままこちらを睨みつけていた。
「なんぞ言いたいことでもあるのか」
「いや・・・」
 もごもごとしてから、何も考えないまま口をついて出たのは自分でも意外な言葉だった。
「なぜ貴様の寝所に長曾我部がいたのだ」
 ぶーっ。
 盛大に噴き出す音がして首を曲げると、幸村の隣りで味噌汁を啜っていた長曾我部が激しくせき込んでいた。目の前の膳や畳が味噌汁で汚れてしまっている。
 幸村はそんな長曾我部に驚いて慌てて立ち上がろうとし、膳にがつんとあたってなぎ倒したあげく足がしびれたでござるうううう、と叫びながらその場に転がった。朝から大惨事である。
 ちなみに毛利と大谷はすばやく退避し難をのがれたが、逃げ損ねた三成は幸村がこぼしたお茶を頭から被ってしまった。
「熱ッ!!おのれイエヤスウウウウウウウウ」
「あああ申し訳ござらん三成殿!!ああっ前髪が垂れさがっておもしろいことになってるでござるよ!」
「やかましい!くそっ、おい刑部、無事か」
「主に比べれば全くの無事よ。ほれこのとおり」
「汚いやつらめ。二度と我とともに食事するでないわ下衆が」
「ひでえ!いやそれより石田おめえ今何て言った!?」
 せき込みすぎてじんわり涙を流しながら、長曾我部が雑巾で畳を擦っている。
「熱ッ!!おのれイエヤスウウウウウウウウ、と言った」
「ちげえよその前だよ!何その無駄な再現!?」
「ああ・・・」
 と、そこで大谷に「黙ってるんだよ」と言われたことを思い出し口ごもる。
「刑部に黙っていろと言われたのでしゃべらん」
「いやおまえはっきり言っただろ!さっき思い切りしゃべっちゃっただろ!何だよ見てたのかよ」
「知らん」
「何の話でござるか石田殿」
 べしょべしょの雑巾で必死に三成の前髪を拭いながら幸村が純粋な瞳で尋ねる。
 されるがままに頭を揺らしながら、三成は首を振った。
「今朝毛利の寝所から長曾我部が出てきてあまつさえ抱き込んだり接吻したりするのを見たが誰にもしゃべってはならんのだ」
「破廉恥でござるううううううううううう」
「いいか、黙っておけよ。裏切りは許さない!」
「承知したでござる!毛利殿の寝所から長曾我部殿が出てきてあまつさえ抱き込んだり接吻したりするのを見ても黙っているのですな!お任せ下され!」
 顔を赤らめながらも、幸村はきりりとした顔で胸を張った。
「・・・すまなんだ」
 三成は純粋ゆえ悪意はない、と、大谷が告げるそばでは、がっくりとうずくまる毛利と遠い目をしている長曾我部が転がっている。
 これは誰にもしゃべってはいけない、内緒内緒の西軍の秘密である。