おそらくこの男は矛盾を抱えている。
そう毛利は分析していた。
大谷ほど頭のいい人間がそのことに気付いていないというのもまた笑い草だ。あえてそこをわざわざ教えてやる必要もない。
それに気づくとすれば、おそらく石田が死ぬ時か、石田を残して自分が死ぬ時かのどちらかだろう。
その場に毛利自身がいてもいなくてもどちらでも良い。他人の死に顔も舞台も感情もどうでもいいからである。
だが、それでも大谷が自分の矛盾に気づく瞬間を見てみたいという欲が少なからずあった。
これは非常に珍しいことだ。
(我が他人に興味を持つとは)
ざわ、と戦場が動いた。遠くで鬨の声が上がる。
「黒石ひとつで白石が散り散り。壮観よな」
毛利の前方で様子を見ていた大谷が呟いた。
顔を上げると、敵軍が崩れ逃げていく様が遠くに見てとれる。
石田が陣をとったらしい。毛利の軍は後方に控えただけで戦に手を貸そうとはしなかった。
大事な駒どもを死なせるほどの価値のない戦と踏んだからである。ただ石田がうるさいのでとりあえず連れてきた。
「追撃するか」
「そうよな、三成はおそらく将を討ち取りに駆けておるゆえ、手を貸せ、同胞よ」
「ふん」
自軍をまとめようとも指示を下そうともせず、ひたすら敵将の首を目指してひた走るか。
やはりあの男は将失格だな、と鼻を鳴らして嘲笑った。
ぞんざいに手を振ると、控えていた毛利軍が敵軍を追撃するため走りだした。一糸乱れぬ動きに満足しながら、それにしても石田軍はよくもまああのような男についていくな、と呆れる。
「貴様は行かぬのか」
その場にとどまっている大谷に声をかけると、彼は振り向いてひひっと独特の声を上げて笑った。
「なァに、われが行ってもやることなどあるまい。それより陣に戻って茶でも飲むか、毛利よ」
「我は貴様と茶を飲むために来たのではないのだがな」
「まあそう言うな。どうせ日が暮れる頃には皆戻るであろ」
呑気な戦だ。本当にくだらない。
わざわざ物見櫓まで建てておいて夜襲を警戒しておいたのに全く無意味だった、と嘆息する毛利に、大谷はやはり喉を引きつらせて笑っただけだった。
「なに、これもひとつの策よ。ぬしらのような小物も西軍は全力で叩き潰すぞ、という牽制よ、牽制」
「それだけではなかろう。どうせこの戦場、今後必要になるのであろう?そうでもなければここまで念入りに壕を掘ったりはせぬ」
「念には念をと言うであろ」
白々しい、と毛利は手にした湯呑を音をたてて置いた。
浮いた茶柱を憎らしげに見つめて脇へ追いやる。すぐさま控えていた従者が新しいものを運んできた。
興味深げに大谷はその一連のしぐさを見ていたが何も言わず手持無沙汰に近くにあった扇子を弄ぶ。
「ぬしは三成が嫌いか」
「当たり前だ。頭の悪い人間ほど嫌悪するものはない」
「あれでも太閤が生きておった頃は賢い左腕と評判だったのだがなァ」
「貴様の冗談はたまにおもしろいな」
少しは上達しているようだ、と皮肉を返せば表情の分からない目が少し笑ったように細くなった。
「否、本当よ。あれは頭が悪いのではない、素直で良い子なのよ」
「今なら腹を抱えて笑ってもよいぞ」
「珍しい」
ならば見せてみよ、という憎まれ口に冷ややかな目で返してから新しく差し出された少し温めの茶を啜った。
ふわりと花の匂いの香るそれは毛利が好んでいつも飲むものだ。
その茶の葉の出所は少々気に食わぬが、外の国のものはそう簡単に手に入らないので仕方なく入手している。貰ってやっている、と言ってもいい。
実際この茶の葉を入荷するにおいて一銭も払っていない。払えとも言われない。
押しつけられたものを気に入ったので使ってやっている、が正解だ。
「三成のことだが」
みつなり、みつなりとうるさい男だ。
じろりと睨み上げると、大谷はニ、三度咳払いして居住まいを正した。
「いや言いたいことは分かるぞ毛利。どうせ『三成、三成とうるさい男だ』と思っているのであろ?あいすまぬな」
「分かっているのなら正せ。我は石田のことなどどうでも良い。何故やつの話を我にするのだ。戯言や雑談の相手なら他にいるであろう」
真田とか長曾我部とか、嫌な顔せずに話を聞いてくれるだろう男たちの顔を思い浮かべ眉間にしわを寄せて言うが、それではだめだと大谷は首を振る。
「確かに謀神と名高いぬしからすれば猪突猛進な馬鹿な男としか見えぬかもしれん。だがあの男はわれには必要不可欠なのだ。だのに、やれ切り捨てろだの、邪魔な駒は放置しろだの、ぬしはそればかりよ。少しはわれの愚痴を親身に聞いてくれてもよかろうに」
「愚痴だったのか」
初めて知った、と白い指先で顎をかいた。実はかなり、驚いている。
ふたりの関係など興味はないが、大谷の口から出る石田の話は『世話の焼ける可愛い子供』としか思えない自慢話ばかりで、この世に不幸を、などと妄言を吐く大谷の『この世』の中に石田が入っていないのは明白だ。
「それを言うならぬしもそうであろ。大暴れの魚がやれ鬱陶しいだの言うことを聞かないだの、われと似たような愚痴ばかり」
同じであろ、と身を乗り出す大谷は確実に笑っていて、おそらく包帯の下はしてやったりという表情を浮かべているのだろう。
「愚痴よ、愚痴」
「ふん。世間ではそうは言わぬだろうが」
「言わぬなァ」
「だが大谷。決定的に貴様と我とでは違うところがある」
「なにか」
「貴様は切り捨てることができぬ。我はできる。大きな違いよ」
そうだろう、と薄く笑う悪しき同胞に、大谷は、しかしにんまりと笑った。
「ぬしは己の矛盾に気づいておらなんだ。笑い草よ」