西軍だってばれんたいん






 
「三成殿ォォォォ!!」
 スパアアアアン!と勢いで開くと同時に破られて中へ倒れ込んだ障子をはっしと受け止め、三成は顔を上げた。
 冷静な表情を取り繕ってはいるが内心大いに焦っている。
 びっくりしすぎて若干涙目になっているが、突然の闖入者はそんなことには気づかず、ぼろぼろになった障子を押しのけつつぬっと顔を出した。
「入ってもよろしいか」
 蹴破る前に聞けよ、とその場にいた大谷と毛利は同時に思ったが、面倒なので放っておいた。
 基本自分たちに被害が及ばなければどうでもいい。
「やかましいやつだ。一体何の用だ」
「はっ、これは大谷殿に毛利殿!もしや軍議の最中でございましたか!これは無礼を」
「否、ただのお八つの時間だ。主も入るがよい」
「おおこれはありがたい!某まだまんじゅうを八つしか口にしておりませなんだ」
「八つも食えば十分ではないか」
「ええっ?三成殿は小食ですな!!」
 小食とかそういう問題ではないのだが、いそいそと入ってきた幸村は目の前に山のように盛られたまんじゅうを目を輝かせながら見つめている。
 実はこの三倍もの山があったはずなのだが、三成がちょっと目を離した隙に減っていた。
 ホラーである。
「毛利殿、先ほど長曾我部殿が台所で騒いでおりましたが、何か御存じか」
「何故我がチク・・・長曾我部の行動をいちいち見張っておらねばならぬ。知らぬわ」
 そっけなく言い捨てつつ、てのひら大のまんじゅうを二口で平らげた。
 あっけにとられてその様子を見ていた三成だったが、このままでは全て奪われてしまう、と慌てて大谷の分を確保する。
「真田よ、長曾我部は何をしておったのだ」
「よく分かりませぬ。ただ何やら甘い匂いがしておりましたので、少し見てこようかと思っていた次第」
「それで何で私を呼びに来た」
 わざわざ障子を蹴破って、と口には出さず睨みつける。
「えっ」
「おいなんだその何も考えてなかったみたいな顔は。何故私を呼びに来たのかと聞いている」
 言いながら、はっと手に持っていたはずのまんじゅうが消えているのに気づいて顔を引きつらせた。
 横目で隣りを見やると毛利が素知らぬ顔でもぐもぐと口を動かしている。
 まさに神業、凶王に気づかれずに彼が手にしていたものを奪うとは、さすがは日ノ本一の智将、謀神と言われる男だ。一体どのような策を使ったと言うのか。これも全て家康のせい。
「いえ、三成殿ならば何かご存知かと。長曾我部殿とは懇意にしておられるご様子でしたので・・・そうしたら毛利殿もご一緒だったのでお尋ねしただけでござる」
「ほう。三成よ、主は長曾我部と仲良しこよしになったか。良いことだ」
「違う!何故私があんなチク・・・海賊と仲良しこよしにならなければならんのだ!真田貴様は何か勘違いしているようだな。確かにあの男とは風呂で背中の流しあいっこをしたり一緒に折り紙で遊んだり茶菓子をこっそり譲ってもらったりしているが決して仲良しこよしなどではなああああい!!」
 世間ではそれを仲良しこよしと評するのだが、と心の中で突っ込みながら大谷はちらりと毛利を見た。
 案の定毛利はその無表情にわずかな苛立ちを浮かべ三成を睨んでいる。
 勝手に推測するに、「そんなの我だってしたことないのに!ズルイ!」と言ったところだろうか。普段いがみあっているとはいえ腐れ縁の仲である長曾我部が、自分以外の人間と仲良くしているのを知ってちょっぴり疎外感を覚えたのかもしれない。
 素直に仲間に入れてよーなどと言える人間ではないのは重々承知だ。
(難儀な性格よ)
「ごちそうさまでした」
 はっと三成が冷静さを取り戻し皿の中を見ると、ほんの数分前にはあったはずのまんじゅうの山が奇麗さっぱりなくなっていた。
 自分は半分かじっただけで目の前の小さな取り皿に置いていたはずだがそれも何故か姿を消している。
 横目で隣りを見ると唇の端に餡子をつけた毛利がぺろりと舌でそれを舐めとる瞬間を目撃してしまった。
「三成よ」
 わなわなと震えて今にも怒鳴りだそうとする三成に先手をうって大谷が声をかける。
「真田と様子を見て来い。何やらおもしろいものが見れるかも知れぬぞ」
 ほれ、行け、行け。そう言ってヒヒヒと笑った。



 この時間は人手がそれほどないはずなのに、何やら甘ったるい匂いが漂っている。
「これは・・・腹が減る匂いでござるな!」
「さっき食ったばかりだろう!貴様の腹はどうなっているのだ!」
「真っ黒でござる」
「えっ」
「冗談でござるよ」
 にこっと純粋な目で笑みを浮かべる真田に冷や汗をかきながら、三成は目を逸らした。この手の冗談は苦手だ。
 冗談だよな?
「たのもー!!」
 上からぶらさがっている布を取り払いながら足を踏み入れると、胸やけがするような甘い匂いとむわっとした熱とが絡みついてきて、三成は一瞬眩暈を感じた。
「おう、おめーらか」
「何をしているのでござるか長曾我部殿」
「ああこれな」
 大柄な体の男が汗を拭いながら振り返り、にかっと爽やかな笑みを浮かべた。
 どこからか謎の風が吹いて彼の髪や服を揺らす。
「ちょっとした祭りの準備よ」
「祭りとは?」
 近くに歩み寄れば、長曾我部は大きな鍋を火にかけてお玉でぐるぐると混ぜていた。
 どうやら甘い匂いはそこから漂っているようだ。
「なっ何だこの変な液体は・・・」
 うぇ、と言った顔で三成が鍋をのぞきこむ。中には大量のどろどろした茶色の液体がぼこぼこ沸騰している。
 非常に気味の悪い光景だ、と思った。
「ああこれな、ちょこれいとって言うんだ」
「ちよこれいと?何だそれは。食べものか」
「南蛮の菓子だってよ。ものすごく甘いぞ」
 にやりと笑って液体を少しだけ掬うとお玉を持ち上げてみせた。
「ほれ、舐めてみろ」
「えっ、ですが・・・」
 謎の茶色の液体をぐるぐるかきまわす長曾我部の姿はどう見ても怪しい呪いの儀式を執り行っている半裸の海賊にしか見えない、と失礼極まりないことを幸村は呟いた。
「確かに怪しいな。何せ半裸の海賊が鍋をかきまわしているのだ」
 貴様まさか裏切る気か、とか何とか三成がぶつぶつ言いだす。
 剣呑な目の光に、長曾我部は苦笑いを浮かべた。
「いや半裸は関係ねえだろ半裸は。いいから舐めてみろって。真田、おまえさん甘いもん好きだろ?毛利の隠してるもみじ饅頭の皮だけこっそりかじって元に戻しちゃうくらいに」
「何故知ってるでござるかあ!?」
 よもや長曾我部殿は半裸の海賊というのは仮の姿で実は忍か、と後ずさる。
「半裸から離れろよ」
「本当に食べられるのだな?」
「ああ。ほら」
 なおも疑わしそうな顔の三成に向かって、長曾我部が自分でお玉に指を突っ込みぺろりと舐める。
 茶色のどろっとした液体が唇を汚した。
「ん、甘ぇ」
 ほら、と再びお玉を差し出され、幸村と三成はおそるおそる指を突っ込んだ。
 感触が気持ち悪い。まるで泥饅頭を溶かしたみたいだ。本当に食べられるのだろうか。
 長曾我部は腹など壊しそうにない(何しろいつも腹丸出しだ)し幸村も同様だが、三成は実はお腹が弱い子なのだ。神経質でとっても繊細なのだ。もっと労ってほしい。ちょっとでも刺激物を食べ過ぎると五時間は厠から出られないのだ。戦場では文字通り命がけである。
「う、裏切るなよ?絶対裏切るなよ?」
 ちょっぴり引け腰になりながら、思い切って指を口に含む。甘ったるい味が口の中いっぱいに広がって、やがて溶けてしまった。
「うお・・・おおおおお!これは美味でござるな!!」
「あ、ああ。見た目よりましだ」
 しかしものすごく甘い。先ほどの饅頭の五倍は軽く超えてる甘さだ。
 これがあの特大の鍋いっぱいに詰まっているのだから、想像するだけで胸やけしそうである。
「これは一体・・・」
「ああ、行商人に聞いたんだが、南蛮ではばれんたいんって行事があるらしいんだ」
「ばれんたいん?とは何でしょう」
「良く分からんが、このちょこれいとって菓子を贈るんだと。けどよぉ、大量の固形物のちょこれいとをもらったはいいがどうもそれを全部溶かしてまた固めるみたいなんだよな。いまいち分かんねえ」
 何でそんな意味不明なことをしなきゃならんのだ、と文句を言いつつ、言われたとおり素直に全部溶かしてしまったらしい。
「ではどうやってこれを固めるのだ」
「そこなんだよ」
「えっもしかして何も考えておらぬのですか!?」
「うーん・・・入れ物に入れて外に置いておけば何とかなるんじゃね?」
 適当である。
 だがそうは言ってもどろどろの液体を固める方法など幸村も三成も知るはずなく、ただ甘いねえ美味だねえと指で掬ってはぺろぺろ舐めて、難しいことは放棄した。




「ほう、それで」
「その結果がこれだよ」
 投げやりな表情で長曾我部が指し示すのは、お椀いっぱいに注がれたどろどろのちょこれいとと箸である。
 ご丁寧に盆に載せて毛利の前に置かれているがどう見てもただの嫌がらせだ。
「それで、あれは何だ」
 大谷が指し示すのは縁側だ。庭の隅っこで幸村と三成がしゃがみこんで熱心に地面を眺めている。
 彼らが見つめているのはひとつの壺だった。
「いやあ・・・あの中にちょこれいとを入れて試しに置いておいたんだよ。固まるかなって。そしたら」
「固まったのか」
「蟻にたかられてた」
「阿呆か貴様ァ!」
 スパアン、と気持ちの良い音が響いて、長曾我部の額に扇子がヒットした。
「それで蟻の観察か!ちょこれいととやらはどうしたのだ!!」
「いやそれが貴重な残りだよ。まあ食ってくれようまいから」
 そういう問題ではない。
 そもそもどろどろのちょこれいとを箸で食えと大真面目に言ってのける辺り、本気なのか冗談なのか判断がつかないところである。何しろ長曾我部は投げやりな表情の中にもどこか満足したような色をたたえているからだ。
「はて長曾我部よ、三成の話では大きな鍋いっぱいに入っていたと言っていたが」
 それはどうしたのだ、と尋ねる大谷に、長曾我部は満面の笑みで答えた。
「全部舐めつくした。ハハッ」
 大層美味でございました、ごちそうさまでした。
 こうして西軍のばれんたいんという謎の行事は、後日三成が胸やけを起こして瀕死に陥るという不幸がさんざめく降り注ぎ、幕を下ろしたのであった。