ばさら荘の人々 2






 なんかやべぇ。
 大きな門の前で、元親は呆然と立ち尽くしていた。
 都会のど真ん中で、都会の喧噪から隔たれたオアシスのような場所。
 太陽の光を浴びて輝く白い壁は時代を思わせる風体で、明治だか大正だかのノスタルジックな印象を受ける。
 その、ちょうど元親の胸のあたりに位置する門に手をかけたときぬっと現れたのは見るからにやばい人だった。
 白いタオルでオールバックの頭を包み、人を殺しそうな険しい目。白いタンクトップに迷彩柄のカーゴパンツは足首まであるごついブーツを半ば隠している。手には鎌。一瞬刃先が赤く濡れていたらどうしようとちょっとだけ涙目になりながら、元親は慌てて門から手を放してあとずさった。
(やべぇ殺される)
「えっと・・・・・・」
「てめぇ、何者だ」
 地響きのような低くおそろしい声音で男が尋ねる。
 元親はあまりの恐怖に涙目になりつつ、へらりと引き攣った愛想笑いを浮かべた。
「あの、組長さんですか?」
「ああん?」
(しまった!)
 さすがにこの年で組長はないだろう。見たところ二十代後半から三十代半ばくらいだ。
 若頭だろうか。若!とか呼べばご機嫌とれるでしょうか。
「確かに組長だが」
「な、なんだってー!?」
 思わず門に手をかけて揺すってしまった。
 がしゃん、と大仰な音を立てて堅牢な鉄の門が僅かに動く。
(やべぇまじで組長だったー!!)
 では自分がこれから入居する新居はそんな人たちが住んでいるのか。何の嫌がらせだ。
 もしかしてこの間慶次のおかした小さなミスを手を叩いて爆笑した挙句バイト代減らすぞ!などと言ったからこんな嫌がらせをしてきたのか。
 謝る、全力で謝るからなかったことにしてくれ慶次。
 冷や汗をかきながら目を宙に泳がせていると、組長さんは怪訝な顔をして鎌を放り投げた。
「ひぃっ」
 咽喉から変な音が鳴る。
 鎌は少し離れた地面にぐさりと刺さって、ちょうど雲の切れ間から差し込んだ日の光が反射しきらりと鈍く輝いた。
 真っ赤な血で濡れているような錯覚に襲われる。
 組長さんは顔色の失った元親を心配そうに見やりながらがりがりとタオルに包まれた頭をかいた。
「おめぇ、近所のもんだろ?何か揉め事か?」
「へ?いや、近所というか、そう近所でもないような」
「じゃあ隣りの区画の組長か何かか」
「いやいやいやいや滅相もない!俺そんなんじゃないっすよ!平和主義者の一般人っすよ!!」
「はぁ?何言ってんだてめぇ。んじゃ何の用だその様子じゃ回覧持ってきたってわけでもなさそうだし」
「回覧?ええっとそういう使いっぱしりじゃないです」
 ぶんぶん首を振りつつ手を振りつつ忙しない。
 組長さんは首を傾げたまま、こいつは一体何なのだろうという顔を崩さない。
 元親はしどろもどろになりながら、ここから逃げる算段を考えようとするが、基本頭より体を動かす事の方が好きな元親である。 
 そう簡単に逃げられそうにない。そのまま追いかけられて死ぬほど怖い目に合わされて冷たい海に投げ込まれるのがオチだ。
「・・・・・・・・・ああ、もしかしておめぇ、」
 男が何か言いかけたとき、賑やかな女性の声が響いた。
「あら、お客様ですか?」
 組長が振り向く。
 ほっとして元親が顔を上げると、にこにこと笑みを浮かべた綺麗な女性と、その少し後ろに華奢な男が立っている。
 男だ、とすぐに分かったのは体に凹凸がなくお洒落のかけらもないそっけない服装をしているからで、徐々に視線を上げて顔を見た瞬間どきりと胸が鳴った。
 どこかで見たことがあるようなないような。
 日本人形のようにたおやかで端正な顔立ちの中に気品があり、それでいて痩躯にも関わらずなよなよしさがない。
 じっとこちらを見つめる目はするどく、けれどほんの少しの戸惑いが見え隠れしていた。
 自分と同じように所在なげな表情に、ああ、おそらくこいつも外部の人間だ、と元親は判断する。
 門の内側に現れた割りにはぎくしゃくしていて、迷子だろうか、などと一瞬考えてしまった。
「まつ殿」
「まつ、どの?あ、もしかして前田の」
 知った名に安堵するとまつ殿、と組長さんに呼ばれた女性が近寄ってきて門を開けた。
「はい、前田まつでございます。ここの管理をしております。片倉殿、こちらは」
「いや、それが組長か、と聞いてきたのでな、町内会の使いかと思ったが違うらしい」
「町内会?」
 いきなり庶民的なことを言いだしたぞこの人、と驚愕する暇もなく、はっとして元親は一度身を引くと門の表札をのぞきこんだ。
 そこには古めかしい文字で【ばさら荘】 と書かれており、その下にやけに可愛らしいハート形の札がかかっている。
 札にはこれもまたファンシーな文字で【組長】と書かれていた。




 どうぞ、と案内されながら元親はまつに続いてばさら荘の中へと足を踏み入れた。
 さきほどまつの後ろにいた男は予想通り、自分と同じ新しい入居者で下見に来ていたらしい。
 すれ違いで帰って行く後姿をしばらく眺めながら、少しもったいないことをしたな、と思う。
 存在感の希薄な、それでいていつまでも脳裏に残るような、不思議な青年だった。否、少年と青年の中間くらいだろうか。
 少なくとも自分よりは年下のようだった。
 残り香、のような男だ。
 僅かにうつむいた顔の、頬をくすぐる栗色の髪がとても柔らかそうだった。
 猫みたいだな、撫でてみたいな、と考える自分に驚く。
 元親は元来猫や犬と言った動物が大好きなので、その延長かもしれない。
 庇護欲をそそるというのだろうか。
 これからひとつ屋根の下に住むことになるのだし、積極的に話しかけてみよう、と決意する。
 玄関ホールからのびる階段は二階、三階へと続いており、元親が借りることになる単身者用の部屋は二階らしい。
 まずは一階を、とダイニングキッチンへ通されると早々にお茶の支度をされて戸惑う。
「広いですねここ」
「ええ、十人は楽に一緒に食事ができるようになっております。もちろん個々の部屋にもキッチンはありますよ。単身者の方や学生さんは月々の家賃に少し上乗せさせて頂いて朝と夜の食事を提供できます」
「さっきの、あいつも?」
「片倉殿ですか?」
 彼は三階のファミリー用で親戚の方と一緒です、と答えるまつに首を振って、目の前に出された手製のクッキーを摘まんだ。
「俺とすれ違いで帰って行った、あの若い男です。学生さんですかね」
「ああ、毛利殿ですね。毛利元就殿。今春から大学生ですよ。おうちの御事情でおひとりこちらにお引越しされることになります」
「ふうん・・・・・・・・」
 毛利、元就、か。
 やけに堅苦しい名前だなどと自分のことを棚に上げて苦笑する。
 聞かれても必要以上にプライベートなことを語らないまつの高感度も限りなく上がっていった。
 人当たりがよく穏やかで、みんなのおねえちゃん、といった雰囲気だ。それでいて口が軽くないのは信頼が置ける。
「部屋ってもう決まってるんですか?」
 すでにさっきの組長こと片倉のように入居している人たちもいるようだ。
 もし叶うなら、毛利の隣か向かいの部屋がいいな、と元親は思った。
「三階の片倉殿のところと、もう一組が猿飛殿と真田殿。あとは二階の一番手前左手が慶次です。長曾我部殿は空いているお部屋へどうぞ。引越しのお日にちよりも先に運べる荷物があれば自由に出入りして下さいませね」
「いいんですか?」
 部屋と、事前の搬入の二重の意味で尋ねるとまつはにこにこと笑いながら紅茶のお代わりを注いでくれた。
 それなら、と元親は考える。
 一番手前を慶次が使っているのなら、残りはその向かいと、奥の二部屋になる。
 毛利という男のことは何も知らないが、おそらく彼は奥の部屋を使いたがるだろう、と思った。
 静かなまなざしは騒がしいのを嫌いそうだ。しょっちゅう人が上り下りする階段の近くは好まないだろう。
 だとすれば、左手奥、もしくは右手手前、の部屋をキープしたい。
 向かいか隣りならば顔を合わせることも多くなるだろう。
 こちらは深夜営業の店を経営しているので学生とは生活時間が違うだろうが、まずは朝の爽やかな挨拶からだ。
(うん、よし)
 何故こうも彼と接触しようとしているのか自分でも分からないが、せっかく「気になるやつ」を見つけたのだから仲良くなりたい。
 高校を卒業したばかりで家族と離れるのは何かと心細いだろうし。
 などとさっそくアニキ風を吹かせる気満々の元親だった。
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「あっはははははははは。元親らしいや」
「うっせ!マスターて呼びやがれ遊び人!」
 昼間に起こった顛末をグラスを磨きながら話してやると、床にモップをかけていた慶次は爆笑しながら涙を目に浮かべた。
「だって、組長さんって!確かに片倉さんて見た目怖いけど失礼すぎるよ〜!あの人いい人だよ。庭の家庭菜園本格的なの作ってるもん」
「うっせーな誰がどう見たってヤのつく自由業に見えるだろうが!・・・て本人に言うなよ?絶対言うなよ!?」
「それは言えっていう前振り?」
「ちげぇ!!」
 ヤのつく自由業の人ではなかったけれど 怖いのに違いはない。
「何してる人なんだ?」
「伊達グループ総帥の秘書。ていうのは建前で同居してる政宗の世話役ってところかな。おぼっちゃんなんだよね」
「伊達グループ?知らねえが金持ちなんだな。政宗ってのは次男坊か何かか?」
 道楽で家を飛び出したか何かだろうか、と想像したがどうやら違うらしい。
 慶次は長く伸ばしたポニーテールを後ろに払いながら、一度体を起こしてよっこいしょー、と年寄りのように腰を叩いた。
「跡取りだよ。でも家族と不仲らしくて家出ちゃって。まあまだ学生だし、将来のことは自分で決めるって豪語してるらしいよ。大胆だよねえ」
「ふうん」
 元親には分からない世界だが、金持ちの息子となれば色々気苦労も絶えないのだろう。
「しっかしおまえ口軽いな。まつさんを見習えよ」
「別に言っちゃいけない事じゃないもん。秘密じゃないもん」
「野郎がもん、とか言うな」
 しかし似合ってしまうのが慶次という男である。
 髪を長くのばし、髪飾りをつけてみたり唇を尖らせてわがままを言ってみたり、たくましい外見と少々乙女チックな感性とが何故かよくマッチしている不思議。
「あと三階にもう一組いるのが・・・・・・」
「それよか毛利のこと何か知ってるか?」
「毛利?もうりもうり・・・・・・ああ、二階に新しく入る人でしょ。大学生になるっていう。会ったことないけど」
「そうか。いや、今日すれ違ってさ。何か独特の雰囲気のやつだなあって」
「へぇ」
 興味なさそうな返答をしながら、慶次は手際よく床磨きを終え、椅子を並べ直し、ドアの擦りガラスを磨くために外へと出て行く。
 会ってみなきゃ分からねえんだ。
 ただすれ違っただけなのに、こんなにも気になるのだから。
 毛利という人間について興味を示してくれなかった慶次をうらめしく思いながら、開店までコーヒーでも飲もうか、と考える。
 どこか拗ねたような子供じみた自分に思わず苦笑いをした。
 知りたいのなら直接会って聞けばいい。
 どうせ今後同じ家に住むことになるのだから。


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