若、と遠慮がちに声をかけられて、彼は振り向いた。そろそろ春だなあ梅が満開だなあ、などとぼんやり考えていた表情そのままで、穏やかに首を傾げる。
柔和で優しげな顔立ちは女性のように整っていて、けれど次代の当主なのだからもうすこし威厳を、などと古い家老らはやんわり苦言を呈したりはするけれど決して嫌われているわけではなかった。
なにしろ現・当主が当主である。同じような顔立ちながらどうしてこうも正反対の性格に育ったのか誰もが首を傾げるところだったが、おそらく早くに亡くなった奥方の影響だろう、いやいや人質として差し出された先の貴族然とした佇まいと肩身の狭さからこうも遠慮がちになったのだ、と四方八方から勝手な意見。
だが結局は誰もがこの若い殿さまを気に入っていて、頼りないながらも支えなくては、守らなくてはと家臣一同決意に萌える、いや燃えているのだった。
「文が届いております」
「うん、ありがとう」
にこ、と笑い返すと従者はぶんぶん首を横に振って跪く。何故そこで顔を赤らめるのだ、と突っ込む人間はここにはいなかった。
「父上と・・・長曾我部、信親殿」
父であり現毛利家当主である元就は、現在鍋だかカブトムシだかの城へ行っているはずである。
あやしい僧侶が気になるのでちょっとヤキを入れてくる、と言って数日前旅立ってしまった。
大丈夫だろうか。
二通の手紙は一方は非常にぶ厚く、もう一方はぺらっぺらの短い紙を無理やり丸めた感があって苦笑する。言わずもがな、ぶ厚い方が父からの、残った方が長曾我部元親の嫡男信親からのものだろう。
どちらを先に読むか、などと考えることはしない。当然どちらを優先すべきかは決まっている。
この、無駄に長くてくどくて神経質で同じことを何度も何度も繰り返してうざくてそのくせ最後には『恥ずかしいので読んだら返してね』などと書いてある父からの手紙である。仕方ないのでその都度返しているが、筆まめな彼は同じ城にいても何故か手紙をせっせと渡してくるのだからよく分からない。側近の桂元重などは「きっと親子の交流を図ろうとなさっているのでしょう」などと微笑ましそうに告げるが、確かに顔を合わせれば厳しいことしか言わない元就も手紙では何となく優しい気がしなくもないので、これが一種の愛情表現というやつなのかもしれない。同じ城内にいるのに。
それはともかく、隆元は手紙を手に部屋へと入り、座り込んだ。
がさがさとぶ厚いそれを広げればまぁ長いこと長いこと、部屋の隅から隅まで広がる文に苦笑する。しかもその長い紙にすら入りきれなかったらしく、一度最後までぎっしり書いた文字はぐるりと一周して初めの文の右上に斜めで書きこまれていたりする。そうかと思えば行と行の間にまだ続いていたりするのである。しかしどれだけ長い文だろうと、肝心の内容を要約すればこの紙の長さの十分の一で足りる。三行で、と言えば三行で済まされるくらいだ。残りの九割は、時候の挨拶と説教と近況と説教と説教と説教である。同じ城内なのに。
ざっと目を通して、何が言いたいのかをすぐさま察知するのにはもう慣れた。たまに元春などは家老に読ませているらしいが。
「えーっと・・・えっ、四国へ行け?えっ」
だらだらと綴られた中に不穏な文章を発見して思わず声をあげる。
「四国で行われる祭りに毛利家代表として行ってくるように。土産は適当に・・・て、えええええ!?わ、私が行くんですか!」
三行でも余るそれだけの用件をひたすらまわりくどく連絡してきたわけだが、もうそんなことはどうでもよかった。隆元にしてみれば一大事、戦でも始まるかのような顔色である。
「元春は尼子にちょっかい、いや討伐に行ってるし隆景は・・・連れていけないし!」
逆なら良かった、と肩を落とした。隆景を連れて四国へ行こうものなら、信親がまた気持ちの悪いことになるに違いない。
元就も元春もいないところでそれを自分がどうにかできるなど露ほどにも思わない。
そのうちしゃがみこんで泣きだしどうにもおさまらなくなったところで、きっと毛利家か長曾我部家どちらかの家臣が渋々事を納めてくれるだろう。
信親からの文は当然、祭りへの招待状だろう。それも隆景への。
「ご、ご無体なああああああ!」
隆元の部屋から響き渡る悲鳴に、家臣たちは思わず貰い泣きしそうになるのだった。
「大丈夫なのか?」
白く、それでいて精悍な顔に若干の同情の色を浮かべて伺えば、傍らの華奢な体が半分だけ振り向いた。
「貴様、我を愚弄するか。何故我がカブトムシごときを恐れねばならぬ。我はこれでも山育ちぞ」
「ちげぇよ」
突っ込みどころがふたつみっつあるのだが、とりあえず気の短い西海の鬼はがっくりと肩を落として嘆息した。
「カブトムシはどうでもいい。そうじゃなくて、あんたうちの祭りに嫡男派遣したろ」
「ほう、鬼の分際で耳聡いではないか。あれか、貴様の鳥か」
船にいる間中常に元親と一緒にいた鳥のことだ。いつの間にか姿が見えなくなっていたかと思えば、これもまたいつの間にか現れふたりの頭上をぐるぐると旋回した後小さな紙を足に巻きつけて戻ってきた。おそらく四国からの文なのだろう。
「まあな、国で何かあればすぐに連絡するように伝えてる。信親がいるから大丈夫だろうが、突発的事態に備えてな」
「突発的事態」
「今がそうだよ。まさにな」
四国で行われる祭りと言っても本当に地元のささやかなもので、わざわざ大毛利に使いを出すほどではない。提案したのは信親で、出立準備に追われる元親の前で彼は満面の笑みを浮かべながら「隆景殿をお呼びしようと思って」と言っていたのだったが。
「失敗したなあの馬鹿」
「当たり前であろう。みずから鬼の住処へ赴く可憐な美少年がいてたまるか」
「自分にそっくりだからっておまえ・・・」
よくそこまで恥ずかしげもなく言えるものだ。
ちなみに元親の鳥なんぞより毛利が抱える忍の方が情報が早いことも、すでに手を打って隆元へ行かせるように仕向けたことも、当然元就は黙っている。呆れたように苦笑する元親と四国でがっくりしているだろう信親の心中を考えるだけで笑えてくる。
長曾我部家の嫡男信親は、毛利家三兄弟の末弟小早川隆景に惚れていた。隆景は元就の影武者であり小早川水軍の将である。智略に優れ、元就がかつて使っていた采配を譲られた両川のひとり。ただし中身は元就の百倍温厚で五百倍ほど可愛らしいのであった。
まさかの、当主に続き嫡男の惚れた相手が毛利の血筋の人間という事件にそれぞれの家臣たちは動揺していた。当たり前である。長曾我部の人間は泣くし小早川および毛利の人間は激昂した。うちの可愛い殿さまをあんな野蛮なところへ連れていかれてなるものかとそれはもう必死である。しかし、結局元就の消極的な黙認、もう少し言えば「まあ好きにすればいいんじゃない」のひとことで、全ては当人同士の話し合いで決着することとなる。
隆景は「まずお友達から始めましょう」で妥協することにし、信親は「いずれ結婚してください」とキャッキャウフフな新婚生活を夢みて今日も隆景の似顔絵(元親作の元就の似顔絵を少しだけ加工した)を枕の下に置いて寝るのである。
ちなみに元就は消極的に容認はしたものの、積極的に嫌がらせをして長曾我部家に対しちまちまとしたダメージを与えていた。趣味と言っても過言ではない。巻き込まれるのは嫡男の隆元だったり次男の吉川元春だったりするが、多少大事な身内に被害が及んだとしても長曾我部に嫌がらせができるならそれもまた必要な犠牲なのだ。
「まあ、隆元もうまくやるであろう」
「いやいや・・・お互い気まずいだろ。信親は『え、何で』てなるだろうし呼ばれてもないのにのこのこ出向く隆元も可哀想だろ。ったく・・・信親も呼び寄せる相手の予定くらいしっかり把握しとけってんだよ」
ぶつぶつ元親が呟くが、いくら予定を掴んだところで結局元就が邪魔をするのだが。
「やつらのことはどうでも良い。それよりわざわざついてきたからには相応の礼儀を示せ」
「あ?何だよ護衛してやってんのに」
「護衛?護衛と申したか貴様。気が触れたか。死ぬのか。死ね鬼」
「うわぁ・・・」
流れるような罵声に思わず怯む元親である。
「お供なんざいらねぇっつって勝手に飛び出して行ったあんたをどうにか守ってくれって言われたんだぜ俺」
「誰に」
「あんたのことが大好きな毛利のみなさん」
「愚劣極まりない。我は他人に守られるほど弱くない」
「知ってるよ」
まあ気持ちの問題だ、と笑って、腕を伸ばすとこちらを睨みあげている元就の頭を軽くぽん、と叩いた。
何をする、と嫌がるように頭を振る様子が猫のようでちょっぴり可愛い。いや、中身は猫というより虎だか何だかの猛獣だが。
「それよりよォ、変な僧侶が気になるって言ったけどなんだよそれ」
「ああ・・・。金吾のやつがなにやら奇妙なモノを拾ったらしいのだ」
「それが僧侶?」
「銀色の長い髪に口元を覆い、二本の鎌を持つ僧侶だ」
「そんな僧侶いてたまるか!」
もっともである。
「しかも金吾はそれを我に報告しなかった。独断で余所者を城へ招き入れ、しかも保護した挙句そのまま置いているという」
もしこれが他国の人間で、毛利にあだなす者であれば大問題である。
「見えてきた」
ほれ、と見やる先は烏城である。漆黒の翼を広げような城は、晴天の下にあって何だか幻めいて見えた。
ふたりは馬を操って門へとたどり着く。門兵が元就の顔を見て慌ててその場に土下座した。
(え、土下座したよこいつ)
なんじゃそりゃ。
驚いてやや引き気味の元親を無視して、元就は地面に額をぐりぐり押しつけている兵の背中を思い切り踏んだ。
(えええー?)
なにそれ羨ましい。
しかも踏むだけでなくぐりぐりしている。細く高い踵のある沓で丁寧にぐーりぐーりして、元就はふぅ、と満足そうにため息をついた。
(うわぁすげぇいい顔)
ああ、やっぱり美人だなぁ、などとうっとりしながら、いやしかし何だこの変なオーラ立ちこめる現場、と顔を引きつらせた。
「あ、ありがとうございます毛利様!」
「お礼言うんだ」
「ふん。はよぅ門を開けぬか愚図めが。金吾を呼べ」
「は!」
いちいち嬉しそうな顔をして、門兵は脱兎のごとく門の内側へと駆けていく。元就はつまらなさそうないつもの顔に戻って、のんびりと後を着いて行った。
「なあ、さっきのアレ何」
「挨拶だ」
「挨拶なのか!」
変わった風習だ。羨ましい。
そうこうしているうちにざわざわと騒ぎが大きくなり、城からわらわらと小早川軍の人間が出てきた。
遠くからひぃぃぃぃぃ、という甲高い悲鳴が聞こえる。嫌だよぅ、怖いよぅ、テンカイ様ァァァァ、と子供が駄々をこねるような声が響き渡り、ああ、あれが金吾か、と元親は遠い目をした。
やがて遠巻きにこちらを見ていた兵士たちが割れて道ができる。後ろからこづかれながらよろよろ歩み寄ってきたのはでかいカブトムシだった。彼の背中の鍋をぺしぺし叩きつつ、長い銀髪の男が目を細めて嬉しそうな表情を浮かべながらついてくる。
(あいつが怪しい僧侶?)
どう見ても怪しい。怪しくないところを探すほうが難しいほど怪しい。何かゆらゆらしてるし。
「ももももももももももうりざばぁ」
鼻水をたらしながら、カブトムシはその場にへたりこんだ。何を言っているのかよく分からないが、たぶん「毛利様」と言ったのだろう。某幸村の「オヤカタサバァ」のようなものである。
「金吾」
冷たい声音が静まり返った周囲に響いた。
怒っている。それはもうとんでもなく不機嫌な声である。その視線と声だけで心臓がぎゅっと痛くなるくらいだ。元親は慣れているが慣れていても心臓が痛い。
「貴様、我に無断で余計なことをしたであろう」
「え、え、なななな何のことですか」
「やかましいわこの昆虫が!はいつくばれ!そして転がれ!」
「ひぃぃぃぃぃ」
へたり込んでいる金吾をがしがしと蹴りながら無体な命令をする元就に、金吾は号泣しながら言われた通りごろごろ転がり出した。
「貴様はそこで転がっておれ!おい、そこの」
矛先を向けられ、銀髪の僧侶がゆらりと顔を上げる。
しばらくにらみ合いが続いた。
「ふ、ふふふ。あはははははは」
ふいに僧侶が笑いだした。びくりとして転がっている金吾が顔を上げる。
「ふははははははははははは」
海老ぞりになってげらげら爆笑している僧侶を、元親は奇妙なものを見る目で眺めた。
「お、おい・・・こいつ大丈夫か?」
ひそひそと元就の耳元で囁く。
「あれが大丈夫に見えるのか?狂人ぞ」
「やべぇな」
どうするよ、と万一にそなえて一歩踏み出す元親だったが、すぐさま「邪魔だ」と引っ張られた。
ようやく僧侶は笑いを引っこめると、ぜぇぜぇしながら会釈だかなんだか良く分からない仕草を見せる。
「これはどうも初めまして、毛利公。そちらにいらっしゃるのは長曾我部公ですね」
「貴様、何者だ」
「私ですか?私はカブトムシの餌係です」
「天海様ぁぁあああああ?」
背中の鍋でしゅるしゅる回転することに楽しみを見出し始めた金吾があらぬ暴言にぴたりと動きを止める。
「ほう、餌係か」
「ええ、胡瓜とか大根とか与えるのが趣味なんです」
「僧侶のくせに虫を買うのか」
「暇ですもん」
「おーい」
何の会話してるんだよ、と元親が遠慮がちに突っ込むが、ふたりは耳を貸さなかった。
「そうか。・・・ふん、まぁいい。それより我は疲れた。早く部屋へ案内せぬか気が聞かぬ愚図どもめ」
「は、はいいぃぃぃ!」
怯えながらよろよろ立ち上がる金吾に手を貸す事もなく、餌係がどうぞどうぞと城の中へとふたりを案内する。
最も日当たりのよい、いつも元就が仕様する部屋は埃ひとつなく完璧に掃除されていた。何故かいつも突然やってくる元就に雷を落とされないため、城の女たちは毎日五回しているという。大変な労力だがあの冷たい目で「この役立たずが」と叱られその場で心臓が止まるよりずっと良い。男たちは叱られるのが嬉しいようだが、真っ当な女たちは誰よりも元就を恐れ、敬うのである。
ようやく一息ついて、しずしずと差し出されるお茶と和菓子を口にしているころへふらりとあの僧侶が姿を現した。
「ごきげんよう」
「何だ餌係」
「おいおい、そろそろちゃんと名前聞いてやれって」
ちゃっかり元就の部屋でくつろいでいる元親を一睨みして、元就はそっぽ向く。
「カブトムシの餌係なぞに名は不要ぞ」
「ええ、私の事は餌係でけっこうです。それより、そろそろ餌の時間なのですが、見物にこられますか?」
「えーっと・・・それはつまり、あいつの食事の時間ってことだろ?けどまだ日は高いぜ」
「一日六度餌の時間なのです」
「多いだろ」
だからあんなにぷくぷくしているのだ、と思ったが、餌係は何とも嬉しそうな顔をしているのぐっと言葉を飲み込んだ。
「ほう。して、何を与えるのだ」
何故か元就は興味があるようだ。
餌係はにんまりと目を弓型にして、言った。
「京より取り寄せた限定のお菓子です。茶は大陸から取り寄せたもので」
「良かろう、見物してやろうぞ」
「ええ、そうしましょう」
うふふふふ。
あはははは(棒読み)。
餌係の笑い声に、元就は完ぺきな棒読みで答えた。
怖い。
できることならここで待っていたいが、元就に「行くぞ元親」などと声をかけられれば行かないわけにはいかない。しかもめったに名前など呼んでもらえないのだ。
「な、なあ元就」
「何だ元親」
「・・・・あああああああ」
嬉しい。ついでに恥ずかしい。
顔を真っ赤にしてその場にしゃがみこんだ元・姫若子に、元就は絶対零度の視線を送った。当然元親は気づいていない。
「おふたりは仲良しなんですね」
餌係はふたりを案内しながらそんなことを言う。
「そうそう俺たちすっげー仲良し・・・」
「そうだな。貴様とカブトムシの関係に少し似ておるな」
「どういう意味!?」
心外である。
「俺おまえに餌もらったことねえんだけど」
「与えておるではないか、三月に一度くらい」
「・・・・・飢え死にする」
「するか馬鹿者」
じゅうぶんであろう、とどこか意地悪そうに笑う元就に、黙ってふたりの会話を聞いていた餌係は、ああ、と得心がいったようにうなずいて、ふふふと笑った。
「うぁあああああんひどいよ天海さまぁあああ」
「おやおや、カブトムシが泣いている」
実に上品でおいしそうな菓子と香り豊かな茶が置かれている前でカブトムシは号泣していた。
ぷくぷくした体はぐるぐると鎖で拘束され、雑に転がされている。
「うむ、これは美味ぞ」
「へぇ、こりゃ高いだろ」
贅沢に砂糖を使っているにも関わらず品の良い味がする。普段はあまり菓子を好んで食べない元親も、さすがに京の都で並んでも購入することすら難しいと言われる和菓子は素直においしいと思った。
「これはカブトムシの餌には高価すぎるぞ。今度から我の元へ献上するがよい」
「そうですね。カブトムシには大根の葉っぱがお似合いですよねあははははは」
「うぁあああああああん僕のお菓子いいいいい」
「餌係とやら、貴様こんなカブトムシの世話をして楽しいか?」
さらりと核心を突くような元就の問いに、餌係はつんつんと指で巨大なカブトムシを突いて遊びながら振り返った。
「ええ、一応彼は私の恩人ですし」
「恩人?」
「嵐の夜に拾ってもらったんです。私記憶がなくて、行くあてもないので困っていたんですよ」
「記憶喪失なのか」
そりゃ難儀だな、と元親は心底同情する目をした。
「ええ、でもこうして住まわせて頂いていますし、何の不自由もありませんので」
「・・・自分のことを知りたいと思わないのか」
片っ端から菓子の載った盆を空にしながら元就が尋ねる。食べた物がどこへ消えて行っているのかは永遠の謎だ。彼の腹の中は異次元へ通じているのか、と毛利家始め元親も疑っている。
「そうですねえ、思い出してもきっと嫌な事ばかりでしょうし。いいんですよこのままで」
餌係、楽しいし。
そう言う男は本当に楽しそうで。
まあ、おいしいお菓子を献上するならいっか。
元就はお茶をずずずと啜りながら、わんわん泣きながら痛いよぅ食べたいよぅと叫んでいるカブトムシを蔑むような目で見た。
カブトムシより得体の知れない僧侶より菓子が大事。
結局僧侶の正体はつかめないまま、『カブトムシの餌係』として元就は納得することにしたのだった。
「おいいいのか智将さんよ」
天下の謀神が京都の和菓子に餌づけされちゃった、なんてどう言い訳するんだと元親は詰め寄る。確かに少々哀れな境遇かもしれないが、あの奇妙な雰囲気はただものではないと直感が告げている。放置していいものだろうか。大事な大事な元就の身に害を及ぼさなければいいのだが、と男らしく心配する。
だが元就はふん、と鼻を鳴らして、手土産に持たされた餅菓子の入った袋をごそごそと漁っていた。
「ておい!まだ食うのか!」
「うるさい。貴様は手綱を持ってさっさと歩け」
元就が乗ってきた馬には大量の土産が乗せられているため人は乗れなくなってしまった。仕方なく、元親の馬に乗り、当の主は手綱を持たされ歩きである。
「そういやあいつらどうしたかなあ」
「あいつら?」
「信親たちだよ。また問題起こしてなきゃいいが」
まあ、隆元だったら安心だな、と笑う。
しかも『何しに行ったの?』とでも言われそうだ。元親も、結局何しに行ったかよく分からない。カブトムシの餌係と知りあっておいしいお菓子を食べて土産をもらっただけである。
「ふん。まあ良いではないか・・・ん?」
「お?」
ふわり、と降ってくるのは鳥の羽だ。
「おお、ぴーちゃん!」
「また手紙か?」
今回は毛利方の忍から特に何の情報も来てないが、と思いながら、元親の腕に止まる鳥の手紙を見る。
「お、信親からだな。えーっとなになに・・・え?」
「どうした?」
やはりまた何か問題でも起こしたか、と聞くが、元親は眉尻を下げ情けない顔をした。
「こりゃ早く戻った方がよさそうだな」
「事態は収拾してないということだな」
まったく、世話の焼ける子供たちだ。
ふたりは同時にため息をついて、元親が元就の後ろにまたがり手綱を引く。
「んじゃ、帰るか」
本当はもっとのんびり散策でもしながらふたりきりの時間を満喫したいけれど。
そうもいかなさそうである。
ちょっとした、幕間のお話。